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JCの修学旅行 ~遠い日の約束Ⅱ~  作者: Red/春日玲音


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17/21

三日目 立て籠もり事件 その二

都築治夫、三十二歳。フリーター。


どこにでもいそうな、少しこじらせたオタク気質の男――

少なくとも、本人はそう思っていた。


治夫の人生で最も輝いていた時期は、中学卒業までだった。


成績は常に上位。教師からは期待され、周囲からは「頭のいいやつ」と一目置かれていた。

狭い世界の中では、確かに彼は“特別側”の人間だった。


だがそれは、所詮は田舎の小さな枠の中での話にすぎない。


都内の有名進学校へ進学した瞬間、その幻想はあっさり打ち砕かれた。


教室には、自分より賢い人間がいくらでもいた。

努力を努力とも思わず、当たり前のように結果を出す連中が、そこら中にいた。


治夫の成績はみるみる落ちていき、気がつけば下から数えたほうが早い位置にいた。


その現実を、治夫は受け入れられなかった。


「自分が劣っている」

その事実だけは、どうしても認められなかった。


やがて学校に足が向かなくなり、不登校の末に退学。

そこからは坂道を転がるようだった。


家に引きこもり、親の金で生活しながら、ネットとアニメとゲームだけが世界のすべてになる。

現実で失った“自尊心”を、画面の向こうの世界で埋め合わせる日々。


それでも心のどこかでは、自分は「本当は有能な人間」だと思い続けていた。

うまくいかないのは環境が悪いから。

周りが自分を正しく評価しないから。

自分は本気を出していないだけだ、と。


引きこもり生活が十年を超えた頃、両親もついに限界を迎えた。

家賃だけは出すが、生活費は自分で稼げ――半ば追い出される形で、一人暮らしが始まる。


アルバイトはした。だが長続きしない。


年下に指示されるのが気に入らない。

単純作業は自分のレベルに合っていないと感じる。

少し注意されただけで「自分はこんな扱いを受ける人間じゃない」と勝手に傷つく。


結局、職を転々としながら、心の支えは“オタ活”だけになっていった。


そんな治夫が強く傾倒したのが、歌手のYukiだった。


きっかけは、声優・星夜が出演していたアニメのイメージソング。

その歌声に「選ばれた存在」のような特別さを感じた瞬間から、治夫の中でYukiはただのアーティストではなくなった。


表立った活動が少ない分、情報は断片的だった。

だが治夫は、異様な執念でそれらを集め続けた。


SNSの書き込み、イベントの目撃情報、関係者の発言の端々。

点と点を勝手に線で結び、「自分だけが真実を知っている」という感覚に酔っていく。


その情報量と妙な正確さから、一部のファンの間では“カリスマ”のように扱われるようになった。


現実では評価されなかった自分が、ここでは認められている。


その事実が、治夫の歪んだ承認欲求を強く満たした。

いつしか彼の中で、Yukiは「応援している存在」ではなく、「自分が理解し、支えている存在」へとすり替わっていった。


――だからこそ。


最近、Yukiの周囲に“男の影”があるという噂を知ったとき、治夫の中で何かが決定的に壊れた。


裏切られた、と思った。


自分はこんなに理解しているのに。

支えてきたのに。

情報を広め、ファンを繋ぎ、存在を守ってきた“功労者”なのに。


それなのに、自分の知らないところで、勝手に幸せになろうとしている。


そんな理屈が、頭の中で当然の前提として組み上がっていく。


それでも最後の一線で、どこか信じたくない気持ちがあったのか、治夫はさらに情報を集めた。


そして昨日――

秋葉原で、Yukiが男性と親しげに歩いていたという目撃情報を掴む。


そこで理性は完全に崩れた。


確かめなければならない。

問い詰めなければならない。

“真実”を本人の口から言わせなければならない。


その歪んだ使命感に突き動かされ、治夫はオフィス・スノウの前で張り込んでいた。


中へ入る勇気はない。

だが立ち去ることもできない。


そんな中途半端な状態でうろついていたところへ、まどかに声をかけられた。


不意を突かれ、動揺し、

そして――


「まずいところを見られた」


そう思い込んだ瞬間、治夫の行動は完全に制御を失ったのだった。



治夫の中では、いつの間にか前提がすべて入れ替わっていた。


Yukiは「応援する対象」ではない。

「守られるべき存在」でもない。


――“自分が管理し、理解し、導く側の存在”。


そういう歪んだ立ち位置に、無意識のうちに自分を置いていた。


情報を誰よりも知っている。

古参ファンとして支えてきた。

界隈の人間にも一目置かれている。


だから自分には、他の連中とは違う“資格”があるのだと、本気で思い込んでいた。


Yukiがどんな活動をするか

誰と仕事をするか

どんな人間と関わるか


本来なら一切関与できないはずのそれらに対して、治夫の中では「口を出す権利がある」という認識にすり替わっていた。


恋愛の噂を知ったときも同じだ。


ショックだった。

怒りも湧いた。


だがそれ以上に強かったのは、


「どうして自分に相談しなかった」

という、常軌を逸した発想だった。


裏切られたファン、ではない。

蚊帳の外に置かれた“関係者”のつもりでいた。


自分はYukiのことをこんなに理解している。

あの男より、自分のほうが絶対に支えになれる。

なのに、なぜ間違った選択をするんだ。


そんな思考が、疑いなく“善意”の顔をして頭の中を埋め尽くしていく。


治夫にとってこれは嫉妬ではない。

支配欲でもない。


――“目を覚まさせてやらなければならない”


本気でそう思っている。


自分は加害者ではなく、

間違った道に進みかけているYukiを正しい方向へ戻す“救済者”。


だから問い詰めるのは必要なこと。

怖がらせるつもりはなかった。

少し話をするだけのつもりだった。


そうやって、自分に都合のいい理屈だけを積み重ね、

「これは悪いことじゃない」という結論に無理やりたどり着いている。


現実の自分は、仕事も続かず、社会の中で何の評価も得られていない。

けれどこの物語の中では違う。


自分は唯一、真実に気づいている存在。

周囲の愚かな人間たちより一段高い場所にいる理解者。


その幻想だけが、治夫の折れかけた自尊心を支えていた。


だからこそ。


その物語を壊しかねない存在――

Yukiの“現実の人間関係”は、治夫にとって排除すべきノイズだった。


秋葉原の目撃情報を見たとき、胸の奥で何かが音を立てて崩れた。


裏切り。否定。拒絶。


自分の存在そのものを「必要ない」と言われた気がした。


だから確かめに来た。

話をすればわかると思っていた。

自分の言葉なら、きっと届くと。


それがどれほど一方的で、身勝手で、恐ろしい思い込みか――

その視点だけが、彼の世界には決定的に欠け落ちていた。


そして。


計画も覚悟もないまま現場に立ち、

予想外の相手――まどかに声をかけられたことで、


治夫の脆い“正義の物語”は一瞬でパニックへと変わった。


理解者でいるはずだった自分が、ただの不審者として見られた。


その現実を受け止められず、「見られた=終わりだ」という極端な思考に飛躍し、取り返しのつかない行動へと、衝動的に踏み込んでしまったのだった。



薄暗い部屋の中を歩き回りながら、治夫の頭の中では必死に言い訳が組み立てられていた。


違う。

これは誘拐なんかじゃない。


ただ――少し、話をするために場所を変えただけだ。


そうだ、あの場じゃ落ち着いて話せなかった。

周りに人もいたし、騒ぎになるかもしれなかった。

だから仕方なかったんだ。


自分は冷静に考えて行動しただけだ、と

必死にそう思い込もうとしている。


床に座らされているまどかの姿を、視界の端で捉えるたびに胸の奥がざわつく。

だがその不快感を、「罪悪感」とは認めない。


これは必要な措置だ。

誤解を解くため。事態をこじらせないため。


あの子は関係者だ。

オフィスから出てきた。

Yukiの近くにいる人間に違いない。


だったら事情を知っているはずだ。

話を聞けば、きっと誤解だとわかる。

自分が勘違いしているだけだと証明してくれるかもしれない。


――そうなれば、全部丸く収まる。


自分は誰も傷つけていない。

少し驚かせただけ。

ちゃんと話せば理解してもらえる。


理解してもらえれば、解放すればいい。


そこまで考えて、治夫は何度も小さく頷く。


「大丈夫だ……まだ、大丈夫……」


手に持ったナイフの存在だけが、その“普通の話し合い”という理屈と決定的に噛み合っていない。

それでも彼の思考は、そこを意図的にぼかす。


これは脅すためじゃない。

ただの護身用。

万が一、向こうが騒いだときのため。


自分が悪いわけじゃない。

悪いのは、ちゃんと説明してくれなかったYukiだ。

誤解を生むような行動をした周囲だ。


自分はただ、真実を知りたいだけ。

裏切りじゃないと確認したいだけ。


それなのに、どうしてこんなことになったんだ。


「どこで間違えた……?」


つぶやきながらも、心の奥ではまだ思っている。


今なら戻れる。

ちゃんと話して、誤解が解ければ、これは“行き違い”で済む。

警察沙汰になるようなことじゃない。


自分はまだ、取り返しのつかない一線は越えていないのだと。


その認識だけが、かろうじて彼の理性を繋ぎ止めている最後の糸だった。

犯罪者心理というのはよくわかりませんが、大抵の場合は、こんな拗らせを些細なきっかけで、さらに拗らせた、って感じじゃないのでしょうか?

最初から悪い人はいない、という生善説を信じているまどかです。

作者としても、そうであればいいと願ってます。



ご意見、ご感想等お待ちしております。

良ければブクマ、評価などしていただければ、モチベに繋がりますのでぜひお願いします。

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