二日目 真意
「ネコちゃんお疲れだねぇ」
部屋に戻ってからずっと、美音子はまどかに抱きついたまま離れようとしなかった。
その背中を、まどかは小さな子をあやすみたいに、ぽん、ぽんと優しく叩く。
「ねぇ……星夜さんと雪乃さん、何を伝えたかったのかなぁ……」
美音子の声はかすれていた。
今日は、明らかに無理をして時間を作ってくれた一日だった。
だから手取り足取り教えてもらえるなんて、最初から思っていない。
それでも――
二人が本気で何かを伝えようとしてくれていたことだけは、痛いほど伝わった。
だけど、その“何か”が分からない。
言葉にしてくれないということは、自分で気づけということ。
そこまでは分かるのに、その先に進めない。
「分からへんのやったら、聞くしかあらへんやろ?」
ぽん、と翠が手を打つ。
そしてそのまま、すたすたと部屋を出ていった。
「え、ちょ、翠ちゃん?」
ぽかんとするまどかと美音子。
しばらくして戻ってきた翠は、にやりと笑う。
「ほら、出る準備」
「どういう事……?」
「臨時の進路相談や」
軽い口調だけど、その目はまっすぐだった。
美音子が一人で抱え込んでいるの、ちゃんと気づいていたのだ。
部屋の外では、清文がなんとも言えない複雑な顔で待っていた。
◇
「全く……特別なんだからな」
ぶつぶつ言いながらも、清文はホテルの会議室まで案内してくれる。
すでに消灯時間を過ぎてはいるのだが、美音子の“進路相談”のために、こっそり一時間だけ押さえてくれたらしい。
中に入ると、主任の野崎、ライト、そして星夜と雪乃が待っていた。
「ごめんねぇ。ちょっと飲んでるから、うまく喋れないかもしれないけどぉ」
雪乃がふにゃっと笑う。
「い、いえ……お二人ともお忙しいのに、私なんかのために……」
「ブブー、はい駄目!」
星夜からの、いきなりのダメ出しに、美音子は固まる。
「えっ?」
「まず大事な忠告ね」
椅子を勧めながら、星夜は続ける。
「確かにボクたちはプライベート削ってここにいる。でもね、それは“自分にも益があるかも”って判断したから来たの。そんな相手に『私なんか』は失礼。自分の価値を自分で下げるのはやめるべき。……クセになってるなら、今すぐ改めないとダメ。」
厳しいけれど、まっすぐな言葉。
美音子はうまく理解できないまま、ただ戸惑う。
そこへ雪乃が静かに助け舟を出す。
「ねぇ美音子ちゃん、モデル目指してるんだよね?」
こくん、と頷く。
「厳しいこと言うけどね。あなたくらいの子は、はいて捨てるほどいるの。それが現実」
分かっていたはずの言葉なのに、胸に刺さる。
視界がにじむ。
その時、そっと伸びてきたまどかの手が、美音子の手をぎゅっと握った。
“ひとりじゃない”って、言葉より先に伝えてくれるみたいに。
「でもね」
雪乃は続ける。
「その横並びの中で、たった一つの出会いが未来を変えることがある。だから、自分を貶める言い方はしちゃ駄目。まず“相手にとって、話したい相手”にならないとね」
「どうすれば……」
思わずこぼれた声に、清文が穏やかに口を挟む。
「こういう時はな、『私のためにありがとうございます』でいいんだ」
ライトが「さすが国語の先生」と茶化すと、少しだけ場の空気が和らぐ。
「で、その覚悟の話」
星夜の目がまっすぐ美音子を見る。
「この世界は甘くない。生半可な気持ちじゃやっていけない。そこはちゃんと知っておいてほしい」
こくり、と頷く。
「その上で聞くよ。美音子ちゃんは、どうしたいの?」
分かっていた質問なのに、言葉が出ない。
怖い。正解が分からない。
「セイ、そんなに焦らせないの」
雪乃がたしなめる。
「焦らせてないよ。でもね、ここで何も言えないなら、この先もっと言えないよ」
その言葉に、美音子の胸がドクンと跳ねる。
今この時間は、二度と来ないかもしれない特別な時間。
ここで掴まなきゃ、全部無駄になる。
気づけば、考える前に言葉が溢れていた。
「……セイさんは、Yukiさんは……なんでその道を選んだんですか……怖くなかったですか……」
声が震える。
「私、怖いんです……。先が見えなくて、自分に何ができるか分からなくて……」
涙がこぼれる。
「モデルは……今までで、唯一“自分を認めてもらえた”って思えたから……目指したい……でも、怖い……」
止まらない。
「どうすれば……星夜さんや雪乃さんみたいに強くなれるの……分かんないよ……考えても考えても怖くなるだけで……」
子どもみたいに泣きじゃくる美音子を見て、まどかは息を呑んだ。
いつも落ち着いていて、大人っぽくて、頼れる存在。
そんな彼女の中に、こんなに不安で弱い部分があったなんて。
(ネコちゃんだって、同じなんだ……)
手を握る力を、そっと強める。
翠も、いつもの軽口を挟まず、ただ黙って見ていた。
胸の奥が、ぎゅっと締め付けられる。
(ウチ、何も考えずに“やりたい”とか言ってたな……)
初めて、本気で誰かの“覚悟”を目の当たりにした気がした。
「うん、怖いよ」
雪乃が優しく美音子の頭を撫でる。
「私だって、ずっと怖い」
「Yukiでも……?」
まどかが代わりに聞く。
「当たり前。将来の保証なんてないし、喉壊したら終わり。毎日が綱渡りよ」
翠が思わず呟く。
「そんな思いしてまで、なんで……」
雪乃はいたずらっぽく笑う。
「ミドリちゃん、私の歌、聞きたくない?」
「そんなん、聞きたいに決まってるやろ」
突然話を振られたミドリだったが、即答だった。その質問に対する答えは、ミドリがYukiのファンになってから今も変わらないモノだったから。
「ふふ、ありがと。それだけで頑張れるの。ひとりでも“聞きたい”って言ってくれる人がいるならね」
そして、少しだけ照れたように。
「私には、これしかないから。でも、それに気づかせてくれたのは……歌で想いを届けたいって思えたのは……かけがえのない友達に出会えたから、かな」
ちらりとライトを見る。
その言葉は、美音子の胸に静かに染み込んでいった。
「だからね」
雪乃が言う。
「まずは高校に行きなさい」
「うん。そして入学して、いっぱい見て、いっぱい考えて」
星夜が雪乃に続いてそう言って、名刺を二枚差し出す。
「それでもこの世界に来たいって思ったら、その時また連絡して」
そこには、プライベートの連絡先が書かれていた。
「悪用したらハルに責任取ってもらうからねぇ」
「だ、大丈夫ですっ! 私が悪用しないように見張っておきますからっ。だからライトさんが責任を取ることなんてありえませんっ!」
慌てたまどかが、ライトの反対側の腕をぐいっと引き寄せる。
その必死さがおかしくて、星夜は声を立てて笑いながら手を離した。
「はいはい、頼んだよ保護者さん」
和やかな空気のまま、清文が三人を促す。
「ほら、もう消灯時間はとっくに過ぎてる。これ以上は本当に問題になるからな」
名残惜しそうに振り返る三人の背中を見送りながら、会議室の扉が静かに閉まった。
・
・
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廊下を歩きながら、美音子はそっと名刺を握りしめる。
怖さは消えていない。
でも、ひとりで抱えていた暗闇の中に、小さな灯りがともった気がしていた。
その隣で、まどかは思う。
(ネコちゃんが泣けるなら、私は支える側でいよう。私は誰かの支えになる……そんな生き方がしたいな。)
翠は拳をぎゅっと握る。
(ウチも、もっとちゃんと考えなあかんな……けど……分からへん。ネコはすごいわ。)
それぞれの胸に、それぞれの決意が芽生え始めていた。
◇
会議室に残ったのは、雪乃、星夜、ライト、そして主任の野崎。
急に部屋が広くなったような気がした。
「お二人とも、本日は本当にありがとうございました」
野崎が深々と頭を下げる。
「こういう特殊な業種に関しては、我々も無知な部分が多くて……どうしても通り一遍の言葉でしか指導できません。今日の話は、私自身にとっても大きな学びになりました」
その声音には、教師としての誠実さと、どこか歯がゆさが滲んでいた。
「まぁ、普通はあの年頃の子たちってさ」
ライトが椅子にもたれながら天井を見上げる。
「将来のことなんて言われても、ぼんやりした希望くらいしか持ってないのが普通だと思うよ。あそこまで“怖い”って泣けるのは……正直、すごいよな」
言いながら、少しだけ目を伏せる。
(俺なんて、将来を考える以前のところで止まってたしな)
逃げることばかり考えていた過去が、苦い酒みたいに喉の奥に残る。
「あの年で、あそこまで自分の弱さを言葉にできるのは立派だよね」
星夜がぽつりと呟く。
その横で、雪乃も小さく頷いていた。
「まっすぐすぎて、ちょっと眩しかったね」
二人とも、ほんのり頬が赤い。
酔いのせいだけじゃない。
星夜に至っては、高校卒業後もしばらく“自分探し”なんて言葉の後ろに隠れていた過去がある。
美音子の不器用なほど真っ直ぐな涙は、どこか過去の自分を刺すものがあった。
(人のこと言えないけどさ)
ライトは心の中で苦笑する。
野崎がゆっくりと口を開いた。
「いくつになっても……子どもたちには教えられることばかりですな」
その目は、もう教師の顔だった。
「我々にできるのは、道を決めてやることではなくて……せめて見失わないよう、先を照らしてやることくらいでしょうに」
「それだけでも、十分すごいことだと思う……」
ライトは柔らかく言った。
「当時、大人の都合で放り出された俺が言うんだから、間違いない」
冗談めかした口調だったが、言葉の奥に滲んだ本音に、野崎の表情がわずかに曇る。
しまった、と思う。
(やっぱ酔ってんな、俺)
フォローを入れる前に、雪乃がくすっと笑った。
「でもさ、放り出された子どもが、今は誰かの背中押してるんだよ?」
「それって、けっこう希望じゃない?」
その言葉に、ライトは少しだけ救われた顔をする。
星夜が立ち上がり、ぐっと伸びをした。
「さてと、未来ある若者たちの邪魔をしないうちに、大人は退散しますか」
「だね。私たちができるのは、きっかけを渡すところまで」
雪乃も立ち上がる。
扉へ向かいながら、ふと振り返った。
「でもさ――あの子たちなら、ちゃんと自分の足で選ぶよ」
その言葉に、誰も反論しなかった。
まぶしい未来を思い描ける若者たちと、
もう戻れない時間を知っている大人たち。
交わる時間は短くても、確かに何かを手渡せた夜だった。
ライトたちは静かに会議室を後にする。
廊下の灯りが、少しだけやわらかく見えた。
作者は、ライトと同じカメラマンです。
小学生、中学生、高校生と触れ合う機会が多々あります。
もったいないと思う時もあり、まぶしいと思う時もあります。
たまに一人でつぶやきます
「これが、若さか……」と。ww
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