第伍話 主役になれないということ
「え~、本日は転校生をですメェ、紹介します」
眼鏡をかけ、ヤギのように白ひげを生やした担任が告げる。
わしはおしゃまな猫のようにしゃなりしゃなりと教室に入って、チョークで黒板に名前を書いた。
「蛇野神ミズチだ! よろしくな!」
チョークで文字など書いたのは初めてだから、ミミズが這ったような字になってしまった。
クラスメイト達の好奇の目がわしに注がれる。特注品の人形はやや小柄だが、髪の長い美少年にも美少女にも見える。もっと見るがよいぞ。
パリッとした制服を着たわしは、学び舎に来るのも初めてだった。ここが学校。生徒たちの若い気力に満ち満ちている。ハレの気が多分に感じられる。いいところじゃないか。
「こちらこそよろしくぅ!」
元気のいいクラスメイトが応じ、周囲が笑いに包まれた。わしも笑った。この人形は表情筋まで作りこまれている。さすが造形の神の仕事だ。
ここがわしの新しいステージ。百合丘高校。数百年生きてきて学び舎に来るのは初めての経験だった。わしがいるのはBクラス。操のクラスの隣だった。
「ミズチさんはメェ、遠くから越してこられてですメェ、早く皆となじむのに期待します。メェ、ミズチさん」
この担任、見た目だけでなく言葉もヤギっぽい。よく話を聞くと「メェ」でなく「ねぇ」と同意を求めているらしいが、顔があまりにもヤギなので「メェ」と言っているようにしか聞こえないし、仮に「メェ」と言っていたとしても妙な語尾だなと思うだけだった。
高校に来る数日前に因幡の白兎とした会話を思い出す。
『なにゆえわしを高校に?』
『百合丘高校には、将来的に結びつく縁が多くあります。スセリビメの未来視ではそうなっています。ミズチさんは女子高生になって、女子高生たちやその周辺の縁を結んでいただきたいのです』
訳知り顔の因幡の白兎。対照的にわしは眉をひそめた。
『しかし現世に縁もゆかりもないわしが、どうやって学生をするのだ? 身分も戸籍もないのだが』
『学校の管理者たちの認知能力を少しゆがめて、一人くらい不法入学してもバレないようにします』
『なんでもありだのう、縁結びもそちらの力でできるのでは?』
『強引すぎる介入は良くありません。人同士のつながりは、上位の神による強引な介入では成しえません。それほどまでに繊細なものなんです。そこは、階級的に人間に近い立ち位置のミズチさんが向いてます。ミズチさんが等身大でできることを探して、達成してください』
そう言って渡してくれた、制服の丈もぴったりだった。
『まぁ、できる範囲で頑張ってください』
『おぉ……』
数百年独りだったわしが学び舎に行く……それまでのわしの生活からは考えられないことだ。情報過多な思春期真っ盛りの子供たちに囲まれて、自分に何ができるか少し不安になった。
何とかなるだろう。そう思ってやっていくしかない。
職員室。ヤギ担任が書類を揃え、わしに向き直る。
「入学に必要な書類はすべて確認しました。ところでミズチさん。性別の欄が空白のようですが……」
「わしの性別はない!」
神様だからな。
「そう、じゃあ体育の時間は一人で着替えてくださいメェ」
性別の話はそれきりだった。食い下がられるかと思ったのだが、あっさりしたものだ。
体育の時間は薄着になるが、人形の球体関節はサポーターを巻いてごまかしている。今のところ怪しまれている感じはしない。まぁ正体がバレることはないだろう。
職員室を出たわしは、時代性というものを感じずにはいられなかった。どの性別を選ぶのも自由。誰と恋愛するのも自由。自由すぎて、自分の軸がない者には逆に生きるのが難しいのではないかと思わされる。
わしは自身の願いのためにここにいる。が、皆が皆自分のやりたいことがわかっているのか甚だ疑問だ。わしも当面の目標ができる前は、漫然とした生き方しかできなかった。学校では、そういった者たちのための取り組みをしているのだろうか? わからない。
わしがクラスに戻ってきた時、待っていたのは同級生たちからの質問の嵐だった。
「ねぇねぇ、前はどんなところで暮らしてたの?」
「好きな食べ物は何?」
「男の子なの? 女の子なの?」
わしは今までの自分を取るに足らない存在だと思っていた。それがいきなり人気者になってしまった。そうなっては、何を話せばいいかわからないし、迂闊なことを言っては正体がバレてしまう。
「ええーい! うるさい! そんな質問にいちいち答えてられるか!」
結局帰りの時間まで、その日の休憩時間は全部質疑応答に費やされてしまった。
この学校に、女同士の縁を結びたがっておる者が他にもいるのだろうか。男女共学の学校なのだし、男女恋愛も多いと思うが。まぁ、わしはおそらく女同士専門になっておるから、そういうのは神社に来ないのだろうな。
教材の入ったカバンを持って、這々の体で逃げ出したところ、校門前で待ち伏せている奴がいた。
なんじゃ。まだわしに関わりたがるやつがおるんか。
「転校生さん……蛇野神ミズチさんですよね」
その者はおかっぱに眼鏡、低身長という、目立たないことが逆にアイデンティティのような女子高生だった。
少女は出会い頭にお辞儀してきた。
「蛇野神さん、よければ私とお友だちになってください!」
いきなりで面食らったね。
わしの返答を待たず、その少女は早口でまくしたてるように言う。
「私、蓮向蓮華と申します。私の仕事は『情報屋』です」
「情報屋ぁ?」
「よくギャルゲーやライトノベルに、生徒の情報を沢山持ってる仲間、いるじゃないですか。そういうポジションを目指しています。誰かの人生を面白おかしくすることが私の使命だと思ってます!」
「はぁ……」
わしはゲームなんてやらんから知らんのう。
「蛇野神さんが良い学生生活を過ごすために尽力します! だって転校生なんて、学生時代に一度出会うか出会わないかといった機会じゃないですか。転校生、という響きの時点でまるでアニメです! 私そういうの大好きなんで! 積極的に関わっていきたいなって!」
「そ、そうなのか……」
わしはひたすら困惑した。この娘、喋る量が多い!
物好きな女にひたすら圧倒されていると、ナイフのようにとがった言葉が別の方向から飛んできた。
「あんた、まだそんなこと言ってんの?」
新手か!?
背後からピシャリと言われた声に、蓮華は魔女の一撃を受けたように一瞬硬直して、ガチガチになりながらも振り向く。
「せ、生徒会長……!」
そこには髪の毛を縦ロールにした、背の高い女子がいた。お嬢様っぽい印象だが、体育で強そうでもある。
「相変わらず変なこと考えてるのね……ギャルゲーしぐさ? ほんっと意味わからない行為だわ。他人の人生を面白おかしくしたいって、あんた自身が主人公になりたいとか思わないわけ?」
蓮華はあははと愛想笑いしながら、精一杯喋る。
「わ、私は誰かの人生を豊かにする脇役の使命を全うしたく……」
生徒会長は蓮華をきっと睨む。
「人生はゲームじゃないわ! 誰もが自分の人生の主人公なのよ! あんたは自分のこと脇役だと思ってるかもしれないけどね! 他の人間は皆自分が主人公のつもりで生きてるんだから、あんたみたいなスタンスの奴は埋もれてっちゃうわよ! そこんところわかってんの?」
「ヒィ……!」
「あんまり転校生に迷惑かけないでよね。それと、明日の生徒会ミーティング忘れないで。じゃあね」
生徒会長は言うだけ言うと踵を返して、校門から去っていく。
蓮華はその背中を眺めつつ言う。
「あれは癖強生徒会長、吉野ミヨ子さんです。攻略対象としてはお勧めしませんな」
「いや攻略とかせんから……」
「とりあえず、これ。私のSNSアカウントです」
名前とアカウント名が書いてある名刺を、レンゲはポケットから出して渡してきた。ちっちゃいハムスターのようなキャラが、IDの隣に描かれている。これがアイコンだろうか。
「わし、SNSなんて使ったことないぞ」
「ひとりごとを呟くと、同意してくれる方がたくさんいるんです。コミュニケーションアプリは持っておいたほうがいいですよ」
「そうなのか」
「あと、これから『みずっち』って呼んでいいですか?」
「……好きにすればいい」
「やった! 今後は家にいてもSNSで交流しましょう! ではっ! しゅばっ!」
蓮華は弾かれるように校門から出ていった。
両方ともベクトルは違うが、嵐のような女であった。
わしの学生生活、向かい風が吹いておるのう……。
・
学校での情報収集は仕事の一環ということでいいらしいが、休みの日は本当にすることがない。わしは依代から抜けて、幽体で本殿の中をゴロゴロするよりなかった。
とりあえずSNSアプリを、因幡の白兎から貰ったスマホに入れてみた。蓮華をとりあえずフォローし、「わしだ蛇野神だ」とリプライしたら、音速でフォロバが返ってきた。ヤツも暇だのう。
『好きなアニメ何ですか?』
質問リプライが蓮華側から飛んでくる。
ラジオ番組ならわかるが、アニメは見てないな……。
適当に答えようとした時、わしは神社に何者かが来る気配を感じた。
お客か!? 操に引き続き二人目の参拝者だったらいいのう。人に見えない姿ながらも、かしこまってしまう。
しかし、鳥居をくぐってきたその姿は……。
『生徒会長!?』
参拝客は紛れもない、あの気の強い生徒会長だった。
生徒会長は、賽銭箱に五百円玉を投げ込み、手を叩いて念じる。
「どうか私に蓮向蓮華さんとの縁を結んでください。よろしくお願い致します」
はい!?
生徒会長が情報屋と縁を結びたがっている……?
わしは見間違いじゃないかと思った。しかし神社の前で手を合わせているのは、何度見ても生徒会長その人。
「あの子は頭いいし、ポテンシャルを秘めてる。周りのことを良く観察できてるから、やろうと思えば人心を掴める。でも自分を脇役だと思いこんで、可能性を閉ざしてる。そこが歯がゆいの」
ううむ、なるほど。
とりあえずわしは彼女の話を聞くことにした。
ヤギ担任はモデルがいます。




