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縁結びの神様は百合の間に入らない  作者: 樫井素数
第四章 暗黒声優編
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第拾八話 声優というリアル

 スタジオの壁に大きく投影されているのはアニメ作品。しかし作画が出来上がっておらず絵コンテ段階で、誰がどのキャラか把握するのが難しかった。棒人間がポーズをとっているような段階の作画に、声優は脚本を手に、命を削って魂を込める。


「私……あなたが好きなのっ!」

 明美は叫ぶように言う。

 喉から血を吐かんばかりの演技だった。


「カット!」

 監督の合図で一同は休憩時間に移った。緊張していた場の雰囲気が弛緩する。泊まり込みで働いているスタッフもいるらしく、室内に少し弁当のにおいが漂った。


 収録を終えた明美は肩で息をするようにしていた。熱意のこもった演技は、身近で見るとすごいものだ。彼女の声には迫力があったし、人気声優であることも頷けた。この仕事に情熱をかけているのが伺える。

 しかし、先輩声優から投げかけられた言葉は冷ややかだった。

 あそこまでの演技をしたのに、湊彼方は褒めることなく淡々と、明美の問題点を指摘する。

「セリフに気持ちが乗ってない。主人公の相手が好きと言う気持ちを全然表現できてないわ。あなたの演技はただ叫んでるだけよ」

 そんな評価に、明美はスポーツドリンクを飲みながら、反応するのも疲れたというような顔をする。

「……そうですか」

「あなた、人を好きになったことあるの?」

 湊彼方の質問に、明美は額に汗を浮かべながら、視線をそらして言った。

「……ない、です」

 彼方はふぅん、と頷く。この先輩は収録を終えた後も、汗一つ垂らしていない。先ほどは彼方のセリフが多かったが、リテイクを要することもなくすべてこなしていた。

 そんな経験豊富な彼女の言葉だからこそ、駆け出しの明美に重く突き刺さる。

「現役女子高生声優。若いゆえに向こう見ず、だけどエネルギーはある。その熱意なら、確かに一発撮りのオーディションでは印象はいいだろうね。ただ、この業界は熱意だけで続けられるものじゃない。女子高生という看板も珍しいものじゃない。メディアは何か特集する目玉が欲しいから、あなたに注目してるんでしょうけど……彼らが離れた時が本当の終わりよ」

「……」

「正直、この業界はあなたには早すぎたように思うわ。キャラクターに自分を重ねられるほど人生経験を積んでいないもの。もっとよく学びなさい。そして演技に幅を持たせられるようになって。そうしなければ明日にもクビかもしれないわ」

 明美は握りこぶしをぎゅっとする。

 畳みかけるように彼方は言った。

「現場に必要なのは、一時的にすごく頑張れる人じゃないの。どんな時でも一定以上のパフォーマンスができる人よ。あなたは今だって、そんなに疲れてしまっている。今はいいかもしれないけど、そんな仕事スタイルで人気声優の座を守れるか、甚だ疑問ね」

「……」

 これは相当な言われようだ……黙って聞くしかできない明美の辛さはわかる。わしで言うと、上位の神からお小言を言われているようなものだ。逆らえないしその力もない。ただじっと耐えるしかない。そこから反省に向かうかどうかは当人次第だ。


 それから以前の収録の撮り直しをぽつぽつとやり、スタジオは解散となった。スタジオから出ると、薄明るい月明かりが夜道を照らしていた。夜空に上弦の月が輝いている。

「……はぁ……」

 明美は疲れ切った顔でスタジオから出て、月を見上げていた。

 帰らなければ明日の学業に差し障る。彼女の目には、月が潤んで見えていることだろう。


   ・


 夜十一時。終電ギリギリの電車に乗って明美は帰路に就いた。

 住宅地は静まり返っている。マンションの六階まで、他に誰も乗らないエレベーターで行く。ちん、と開いたドアから抜け出て、人気のない廊下を渡り、自室に着いた。

 部屋は鍵がかかっていなかった。家族はすでに寝ているようだ。明美は疲れ切ってゾンビのようになって、自分の部屋に入り、ベッドに倒れこんだ。

 それから、明美は声を押し殺すように泣いた。

 塩っ辛い目じりをこすり、明美は虚空に向かって声を発する。

「あめんぼあかいなあいうえお、うきもにこえびもおよいでる……」

 発声練習だ。何となくだが、毎日この儀式を続けていると思う。声優として、声を出す練習は欠かせないだろう。

 家族は誰も起きなかった。明美のことをわかっているのだろう。何も言うまいとしているようだ。

 明美はひとしきり発声練習をした後、ぽつりと言う。

「私はこの顔と声でやってきたんだもの……今更引き返せるわけないわ」

 その言葉には今の地位へのプライドが表れていた。

 せっかく掴んだ人気声優という立場を崩したくない。その気持ちはよくわかる。わしの目からは明美は声優に向いていないなんてことはないと思う。業界を良く知る人間からは頑張りが足りないというだけで……。


 ただ、湊彼方……あの者は決して悪意を持って接してきているわけではないと思う。

 彼方の言葉には重みがあるが、その重みは生半可な態度で社会を渡ってきた者は持てないものだ。いろんな経験をしたからこそ、あえて明美に厳しく言っているのが見て取れる。

 わしの使命は縁結び。因幡から縁を結べと言われたが切れとは言われていない。ここで縁を切ったら明美の損になるような気がする。何とか明美と彼方を仲良くさせてやりたい。

「どーするかのぅ……」

 幽体ながらわしは頭を抱えた。

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