第弐話 限りなく透明に近いミズチ
女の子同士の恋を知るためには、とにかく情報収集をせねばならぬ。わしはムダに長く生きたが、こと恋愛については知らないことが多すぎる。それにせっかく頼み事をされたのだから、わしは神社で一人手をこまねくわけにはいかない。家に帰るであろう操についていった。わしの身体は幽体だから、誰にも気づかれることはない。依頼主がどういう人物か、恋愛を叶えるにはそれを知るのが必須条件だと思った。
ついていこう、と思ったら、神社の周囲に張られた結界から呆気なく出ることができた。それがわしにとって驚きだった。参拝客の人となりを調べるための行動なら、『人の役に立つこと』の範囲内らしい。わしは仕事をしている時だけ外に出られるようだ。
「ちょっと肩凝ったかな……」
操が自分の肩を揉む。わしは彼女の背後霊のようになって憑いていた。現代の街はややこしいらしい。操にぴったりついているほうがはぐれる心配がないからだ。しかしこの娘、霊感があるのかもしれない。
わしが封印されたのは室町時代の頃。それからずっと神社に閉じ込められていて、三十年前に拾ってからずっと使い続けてきたラジオの知識でしか外界のことは知らぬ。だから、操が巨大な鉄の蛇のような『電車』に乗って帰る間、わしは様々なものに目を奪われた。
本当に『車』という鉄のイノシシのようなものが大通りを走っておるし、木ではなく『電柱』という石の柱があちこちに立っていて、空を切り取るように黒い線が上空で柱同士を繋いでおる。道行く人々は金属の板『スマホ』を使い、無言で画面を見つめている。
世は情報化社会だという。目先の情報に追われているのか、何となく余裕を感じる者がおらず、室町時代と比べて現代とは窮屈でせわしないものだなぁと思った。疫病で人が死ぬことも多かった、あの頃が住み良かったとは口が裂けても言えないのだが。
それでも久方ぶりに見た外の世界は、わしを浦島太郎のような気持ちにさせた。目に飛び込んでくるものの数々は、ラジオで聞いていたよりも現実感を伴っている。数世代経た人の営みに触れることができて、少し嬉しかった。
気付けば夕暮れ。朱が都市部を染めてゆく中、長屋、いやアパートに操の家はあった。
「ただいまー」
操が玄関を開ける。わしもそれについて家に入る。お邪魔するぞ。
「おかえりー」
台所から声。声のトーンから、そこそこ年季を重ねた人間、母なのだろうとわしは推理した。家の中は漆喰で造られているようで、室町時代の木が見えている室内とはだいぶ違う。
「帰り遅かったじゃない」
「ん、ちょっと用事があって」
「ごはん、いつにする? もう食べられるけど」
「ちょっと後にしてー」
室町時代でも、こんな会話が日常的に行われていたのを思い出す。何気ない親子の会話は、時代が変わっても似たようなものなのだな。
廊下を渡って自室に入る操に次いで、わしもお邪魔させてもらった。
操の部屋は机上のパソコンと、壁に貼られている海のポスターが特徴的だった。
操は布団を敷いてゴロンと寝転がり、スマホを見る。画面には『土地神様マップ』が表示されていた。
「いろんな神様にお祈りしたし、大丈夫だよね……」
その言葉に不安と期待が入り混じっている。
安心せい。他の神が見てくれなくとも、わしはちゃあんとおぬしを見ている。
「星座占いも良かったし……私獅子座だし……」
占いよりもわしを当てにしてくれ〜。
操はスマホを操作し、SNSを開いた。そこには『なでしこ』と書かれたアイコンがある。
「えーと、今日は神社に行ったよ……っと」
操がメッセージを打つと、しばらくして返事が返ってくる。
『操ちゃんのお願いは、何?』
「えぇー……」
操ははたと困った顔をした。特別になりたいと言え、言っちまえ!
「二人でずっと仲良くできますように……って」
わしはガクッと肩を落とした。まだ勇気出ないんかい!
操は目線を上にする。その視線の先に、机の上に置かれたものがあった。教科書やら裁縫道具やらに交じって、雑貨らしいものがいくつかある。
「なでしこちゃんと撮ったプリクラ……」
操のつぶやき。机上の小さな額縁に、プリクラが収められている。操の隣にいるのは、引っ込み思案な顔をした長髪の女子。おそらくこいつがなでしこだ。
「なでしこちゃんがくれたイヤリング……」
額縁の隣に、真珠をあしらった装飾具がある。なでしこ絡みのものが部屋に多いな。
「この前なでしこちゃんがうち来た時口をつけたコップ……」
待て様子がおかしい。
「うへへ……なでしこちゃん……うへへ……」
操は机に向かい、コップを手にとろけていた。口の端が歪み、よだれが垂れそうになっている。
この娘、だいぶ危険人物じゃないか!?
初っ端から、とんでもない奴の縁結びをすることになったのう……。
まぁ、操の相手への想いはわかった。それだけ好きで好きでたまらない、あばたもえくぼ、心の中が好きという気持ちで埋まっておるのだろう。
わしは操の額に手をかざし、記憶を読み取った。ウサギに言われたとおり、神としての力も少し解放されているようだ。
操となでしこが出会ったのは幼少期の頃。母親同士が友人で、家族ぐるみで遊園地に遊びに行っていた。十年前の話だ。
お化け屋敷に入り、ドキドキして呼吸が荒くなるなでしこの手を操は握った。
『こわくない、こわくない……』
操は自分に言い聞かせるようにも言っていた。操の勇気に、くすっとなでしこが笑う。
『ありがとう、操ちゃん』
操の心にぽっとろうそくの火のようなものが灯った。
おそらくそれが、恋心のはじまり。小さなときめき。
操の気持ちは十分わかった。ここから、わしが動かねばならないことだ。
上遠野なでしこの家は……っと。
操の記憶を漁ると、それはすぐにわかった。なでしこは十年前から引っ越しをしていない。操は彼女の家に頻繁に行っていて、道順は暗記しているくらいだった。
郊外にある瀟洒な家。操の記憶の中にある道順をたどれば、そこに着ける。
(……最近学校来てないけど、風邪長引いてるの?)
操はそうスマホに打ち込んだ。ややあって、なでしこから返事。
『……もう少しで治るから。そうしたら、また操ちゃんと会えるから』
含みを持たせたいい方に、操は眉根を寄せる。
何やら暗雲立ち込めてきたぞ。わしは壁からぬるりと外に抜け出た。
・
なでしこの家は、郊外にある閑静な住宅街にあった。夕焼けはとうに消え失せ、夜闇があたりを包み込んでいる。
庭がある二階建ての家で、昨今の経済事情を鑑みるとなんとも豪華な家だった。そして、犬のにおいもする。わしは嗅覚が鋭い。正直、うげぇとなった。わしは昔から犬が苦手だ。
家に潜り込むと同時に、庭でワンピースを着た女子と鉢合わせした。プリクラで見た、なでしこらしき人物だった。相手には幽体のわしの姿は見えておらん。
鎖につながれたゴールデンレトリバーが彼女を見ている。なでしこは犬を見て、囁くように言った。
「クーちゃん、私ね」
その口調はどこか思い詰めたようだった。
「友達に言わなきゃいけないことがあるの……でも、勇気がなくって……」
友達とは操のことだろうか? そして勇気とは、何を言う必要があるのだ? もしや両想いか?
「なでしこ、クーの散歩なら俺が行くよ。夜風に当たるとよくない」
縁側の窓を開けて、若い男がなでしこに言う。
「兄さん……お言葉に甘えて、お願いしてもいい?」
「ああ……それでさ」
なでしこの兄は重々しく言う。
「……友達には言ったのか? お前の心臓の手術のこと……」
聞き捨てならない言葉が飛び出たぞ。なでしこの顔も翳った。
「まだ……」
「後回しにしてると辛くなるだけだぞ」
「でも……操ちゃんと離れるなんて、なかなか言い出せなくて……」
「アメリカなんて飛行機で半日だ。その気になればすぐ行ける。それに、病気が良くなったら日本に帰れるんだ。永遠の別れじゃない」
「でも……操ちゃんに心配かけたくない」
「何も言わずに突然いなくなるほうが嫌だぞ」
わしは察した。
心臓の手術。こやつはそのために海外に行くつもりなのだ。
「とにかく、今日は寝ろ。遅く起きてても心臓にいいことなんてないぞ」
「うん……」
家に入り、階段を上がって自室に行くなでしこ。わしはその背中についていった。
部屋に入るや否や、なでしこはベッドの上にどさりと崩れ落ちる。
それからすすり泣きをして、ぼそぼそとつぶやいた。
「たすけて……操ちゃん……あの時みたいに、怖くないって言ってよぉ……」
うむ……これはまずい。操は早めに気持ちを伝えるべきだろう。そのために、わしに何ができるのか……。
わしは一度神社に戻ることにした。




