第拾壱話 幻影の壁
わしは友乃の記憶を見せてもらうことにした。
この術は体力を使う。一度使えば三日は寝込んでしまう。記憶読み取り術は複雑怪奇な仕組みの脳の根幹に分け入るもの……それだけに使い時は慎重になる必要があった。
幽体のわしは友乃の頭を掴む。そして、プールに飛び込む要領でどぼんと頭の中に入った。
目の前に火花が散るように、様々な情報が流れ込んでくる。幼少期からの記憶。それがないまぜになった脳内から、わしは友乃の過去を探った。
友乃の視点から、過去の出来事が走馬灯のようによみがえる。それらをつぶさに見せてもらった。が、友乃の記憶は砂糖菓子のように甘いものではなかった。
「何やってんだ馬鹿野郎!」
突然投げかけられたのは叱咤、飛ぶ灰皿。
酒浸りの父、父の暴行を見て見ぬふりする母。
父が飲んだビール缶などの、ゴミだらけの家。
そこに友乃の居場所はなかった。
(私は……)
崩壊した家庭で友乃は涙をのみ、心の中でつぶやく。
(私は愛されない人間なんだ)
毎朝両親は喧嘩をしている。やれ母が高価なブランド品を買っただ、父が昨晩キャバクラに行っただとか、友乃からすればくだらないとしか言いようのない喧嘩だった。
(親らしいことができない親なら、こんなところにいたくない)
友乃の中で決意ができていく。
その日両親がまた喧嘩していた時、机を拳でダンと叩いて宣言した。
「私……ここから出ていく!」
「出ていくって、どこにだ?」
父親の酒臭い息が友乃の前髪を撫でる。それに屈せず友乃は言い放った。
「高校に受かって、独り暮らしする!」
「それなりの偏差値の高校じゃないと行かせんぞ!」
「私、絶対受かる! こんな家、出ていってやる!」
そう啖呵を切った。
最初は強がりだった。両親へのせめてもの抵抗だった。しかし両親が塾に行くことを許可し、頑張って勉強を続けた結果、友乃は百合丘高校に受かった。
最初のうちはいい気分だった。やっと両親から解放され、独り身の自由を得る。何時に帰っても、何時に寝ても自由。胸がすうっとした気持ちになっていた。勉強も嫌いではなかったから、いろんなことを学ぶ楽しみも得た。
しかし勉学に励むのと同時に膨れ上がっていった彼女のプライドは、家庭にも美貌にも恵まれた完璧超人・芹那の前でガラスが砕けるように崩れ落ちる。
テスト結果が廊下に張り出される。最上段にいたのは友乃の名前ではなかった。
『綾小路芹那』
その名前が幻影の壁となって友乃に立ちはだかる。
「負けられない……のに、勝てない……!」
どうあがいても自分がたどり着けない領域にいる者……それを直視することは、友乃のプライドが耐えられなかった。
芹那は育ちのいいお嬢様だ。愛されなかった自分なんかとは比べ物にならない。勉強でもスポーツでも絶対に勝てない相手がいることは、友乃の意欲を減退させ、評価が下がることに繋がると彼女は思った。
負けるわけにはいかない。もし学年ランクが落ちれば、親たちはまた友乃を支配しようとやってくるだろう。
(ほらみろお前は高校で活躍できなかった。だから我々の支配下に戻れ……!)
そんなことを言う親の幻覚に、友乃は一人で生活しながら必死で抗った。
一番になりたい、という気持ちが、一番でなければ価値がない、という考えにシフトしてしまっていた。
魔術に興味を持ったきっかけが、芹那への呪いだった。元からスピリチュアル方面に興味のあった彼女が呪いのやり方を調べるに至るのは自然なことだった。
学べば学ぶほど奥が深い魔術の世界に、勉強好きな彼女はのめりこんでいった。
そして、友乃はSNSで『呪い道場』のアカウントに出会う。誰かを呪う一体感は恐ろしいパワーを持つ。毎晩のように集会に参加し、芹那を呪った。
友乃は髪の毛の藁人形を霊薬に浸し、ふふふと笑う。
「あなたを私の掌の上で動かしてる感覚……なんて気持ちがいいんでしょう」
芹那が体調不良でテストの首位から転がり落ちればいいと友乃は思っていた。
しかし……。
胸の高鳴りと呪いによる動悸を区別できない芹那は、友乃に紅潮した顔を見せるようになる。
友乃は困惑した。なぜ呪いを受けても、芹那が友乃に近づいてくるのか。
なぜ自分に近づいてくるくせに、敵意も害意もないのか。
もしかして……。
(愛ってこういうものなの?)
友乃も心の何処かでそう思い始めたのだった。
わしは友乃の人生を垣間見て、悲しさを感じた。
「そうか、おぬしの心は怒りに支配されておる。そんな家庭に生まれ育ってしまったからだな」
荒れた室内を眺める、友乃の思考がこちらにも伝わる。
(芹那……最近あの娘を見ても、憎いと言うより複雑な気持ちになる。何なの? これは……)
わしは今の友乃の心境とよく似た気持ちに、最近何度も触れてきた。
たしかに最初は憎かったかも知れない。だが、今の友乃の胸に駆け巡る思いに、わしは答えを言える。
「その胸のざわめきは敵愾心ではない……恋心だよ」
わしはそっと友乃の家を後にした。
あとは実体に戻って、やるべきことをする。




