4話 誰とも繋がれない、現実
講義終了のチャイムが鳴ると同時に、教室が一気に騒がしくなる。
ノートをしまう音、バッグを閉じる音、友人同士の軽口。
その喧騒の中で、空はノートを閉じながら、机に視線を落とした。
「おーい、飯行こうぜ!」
顔見知り程度の、隣の席の男子が、他の男子に軽く手を振った。
空は反射的に顔を上げる。
(あ……)
自分も、行きたい。
雑談して、笑って、当たり前みたいに誰かと一緒に昼を食べて──。
(でも、何を話したら……)
喉がぎゅっと縮まり、声が出ない。
「あ、あの……」
ようやく声が漏れた時には、
彼らはもう肩を並べて教室の出口へ向かっていた。
空はノートをそっと閉じ、深く息を吐く。
(一言、俺も行きたい、そう言えばよかっただけなのに)
机の上のペンを整える。意味もなく何度もノートをめくる。
復習してから行こう。そう、自分をごまかしながら。
五分後。
教室に残っていたのは、空だけだった。
学食に行くと、昼時のざわめきが空気を満たしていた。
トレーを持つ空の耳には、楽しげな声がやけに大きく響く。
グループ同士の笑い声。
カップルが、向かい合って何かを楽しそうに話している。
一人で食べている人もいるけれど、彼らは慣れているように見えた。
空は学食の端、柱の影に近い席にそっと座った。
(スマホを見ていれば、一人でも自然に見える)
そう自分に言い聞かせながらも、心のどこかがひりつく。
(……気にしすぎかもしれない。誰も俺のことなんて見てない)
でも、その「見られていない」という事実が、逆に胸を締め付けた。
その時。
「きゃーっ!!」
甲高い歓声。
学食がざわつき、空も顔を上げた。
スマホを構える学生たちの輪ができている。
その中心に現れたのは──
「萩原蓮だよ!」
「マジ!? 本物!?」
女子学生たちの声。
(萩原蓮……)
空も、その名前は知っていた。
大学でも一際有名なユニセックスモデル。
SNSに写真を上げると途端にバズることで有名だと、ネットで何度も評判を聞いている。
テレビでも、雑誌でも、よく見る。
男性の服も着れば、女性の服も着る。性別を超えた美しさ。
人だかりの隙間から、その顔が見えた。
(……綺麗だな)
ブリーチしているが、上品な印象のショートボブ。
美青年のようでもあり、美女のようでもあり。どちらとも言えない、不思議な美しさ。
空より背が高い。おそらく172、3cmくらい。でも、その顔立ちは美しい女性に見える。
──いや、女性とも違う。男性とも違う。ただただ、美しい。
品のいい白いシャツに、長い足を際立たせるスラックス。
ひょっとしたら、シャツは女性ものかもしれない。
「蓮くん、この前の雑誌の写真、良かったよ!」
「ねえねえ、サイン書いて!」
女子学生たちが、群がる。蓮は、穏やかに笑って応じている。
(すごいな。あんなに注目されて、でも、当たり前のように平然としている)
空には、きっとできない。
何を話せばいいのかわからなくなるから。
(俺には、縁のない世界だ……)
蓮は、食事をしている空のテーブルの脇を通ろうとする。
蓮のファンたちが、一緒に塊となって移動する。
空は、思わず身をすくめた。
一瞬、蓮の視線が空に止まる。
蓮は足を止めて、空に軽く頭を下げた。
「……騒がせちゃって、ごめんね」
静かで、驚くほど柔らかい声だった。
誰かに気を遣うための、優しい声。
空は返事ができなかった。
ただ、胸の奥で何かがわずかに熱を帯びる。
(あぁ、この人は騒がれるのに慣れているけれど、ちゃんと周りを気にかけることを忘れないんだ)
蓮は控えめに微笑み、軽く会釈して歩き出す。
空はしばらくその背中を見つめるしかできなかった。
(男らしい、男らしくないとか、そんな次元を超えた、こんな素敵な人もいるんだな……)
さっきまで一人で食事を取っていた時の孤独とは違う、
空にもまだ名前をつけることのできない感情が、胸に広がっていた。




