【第二話・創設! 問題解決部】
登場人物・用語解説
◯魔術使い
ヒトと共に暮らし、ヒトより高い身体能力と特別な術『妖魔法術』を有する希少で特別な生き物。
容姿はほぼヒトと変わりないが、中には獣の耳や尾を持つ個体も。
◯魔術科学園
魔術使いが強力かつ安全な魔術の使い方を学ぶ為に入学する公立の学園。
日本には札幌校、渋谷校、名古屋校、大阪校、高松校、福岡校の計六つがある。
中高大一貫校で、学年は九つ。
◯夏伊勢也
先端が赤く染まった白い短髪に金の瞳、チーターのような獣の耳と尻尾を持つ魔術科学園名古屋校の中等部二年生の男子。
暴れん坊だが明るく天真爛漫な性格で、嫌いなことから逃げるのが得意。
◯鳴神新
紺色と薄水色の長髪に紫の瞳、ユニコーンのような耳と尻尾、角を持つ魔術科学園名古屋校の高等部二年生の男子。
美しい容姿を活かしてモデルとしての活動をしており、穏やかな物腰とは裏腹に非常に自分に対してストイックである。
◯鴨橋立
前髪のみがオレンジ色に染まった白い髪、青い瞳、カモノハシの尻尾を持つ魔術科学園名古屋校の高等部二年生の男子。
おちゃらけた性格で、どんな時も騒がしく賑やか。
◯得田家路
センター分けにした黄色い髪に紺色の瞳、虎の耳と尻尾を持つ魔術科学園名古屋校の高等部二年生の男子。
常に論理的かどうかを重視し、非科学的なことに弱い。
◯東海望
紺のメッシュが入った白い髪にオレンジの瞳、羊の角を持つ魔術科学園名古屋校の高等部三年生の男子。
元生徒会長で、自分のことがとにかく大好きなナルシスト。
◯鮫島光
灰色の髪に緑のメッシュと瞳、サメの尻尾を持つ魔術科学園名古屋校の大等部一年生の男子。
口が悪いので誤解されやすいが、本当は面倒見が良くて優しい。
◯初雁隼
先端が水色に染まった銀の長髪に右が青で左が金の瞳、ユキヒョウのような耳と尻尾を持つ魔術科学園渋谷校の高等部一年生の女子。
北海道にある剣術の名家初雁家に双子の妹の狛と共に生まれており、剣術の達人。
真面目な性格だが、時に年頃の女子らしい一面も。
◯初雁狛
先端が赤に染まったツインテールの黒髪に右が金で左が青の瞳、クロヒョウのような耳と尻尾を持つ魔術科学園渋谷校の高等部一年生の女子。
隼とは双子の姉妹だが、姉とは違って剣術よりもおしゃれやランチが好き。
◯獅子賀煌輝
センター分けにした銅色の髪にライオンのような耳と尻尾、赤い瞳を持つ魔術科学園渋谷校の高等部一年生の男子。
誰に対しても用心深い性格で簡単に信用しようとせず、仲良くなることは難しい。
◯雲雀椿樹
コーラル色のインナーカラーが入った茶色のふわふわとした髪に柴犬のような耳と尻尾、緑色の瞳を持つ魔術科学園渋谷校の中等部二年生の男子。
初雁家に代々仕えている雲雀家の出身で、隼と狛は幼少期から従者として奉仕してきた幼馴染。
右目が長い前髪で半分ほど隠れているが、非常に怖がりで臆病な主人や勢也などの信頼している人物以外にはそれを頑なに見せたがらない。
上郷山陽
青のメッシュの入った灰色と黒の髪に緑の瞳、褐色の肌、龍の尻尾を持つ魔術科学園大阪校の高等部三年生の男子。
必要最低限なことしか話さず、助詞をよく省略しているので言いたいことが伝わらないことも。
桜燕
漆色と白の髪にピンクの瞳、燕の尻尾を持つ魔術科学園福岡校の高等部二年生の女子。
ボーイッシュな容姿だが、男に間違われることは少ない。
初夏のある日。
魔術科学園名古屋校では、五日間に渡る中等部の期末試験の最後の数学のテストが行われている。
広大な学園は図書室のようにしんと静まり返り、数多の生徒が用いる鉛筆のカリカリという音だけが周囲に響く。
皆の視線は己の答案容姿に集中しており、問題との一糸乱れぬ静かなる戦いを繰り広げる。
時計の長針は五十九分を指し示しており、それが意味するのは残り時間はほんの僅かであること。
既に何人かの生徒は答案による攻防を終えて誤字などの確認のフェーズに移っており、擦れる鉛筆の音も先ほどよりも些か弱まった。
そしてガチッと音を鳴らしながら長針の先端が頂点に達すると同時に、終戦を示すチャイムが鳴った。
試験時間終了の信号だ。
その瞬間に全教室から歓喜の悲鳴が、鉛筆が一斉に置かれる音を掻き消さん勢いで湧き上がった。
「っっっしゃあぁ!!!」
「終わったぜぇぇぇ!!!」
長い試験期間を終えた達成感と膨大な勉強量から解放されたことが生徒達にとってあまりにも嬉しく、その空間は先ほどまでの図書室のような静まりから一転して商店街のように騒がしくなった。
答案用紙を後ろから集めるという教師の指示も完全に無視し、生徒達は筆記用具を放り投げて歓喜のあまり踊り狂った。
そんな中、とある男子生徒が二年生の教室を誰よりも早く飛び出した。
「悪ィな! オレはお先に失礼するぜ!」
飛び出した生徒は先端が赤く染まった白い短髪に、茶色い斑点の入った黄色い獣の耳と尻尾を有している。
夏伊勢弥だ。
楽しいを愛し退屈を忌み嫌う暴れん坊で、定期試験でもない限り数時間も椅子に縛りつけられていられない。
チーターのような耳と尾を持つが、嫌なことややりたくないことからの逃げ足の速さも本物のチーターさながらである。
努力が苦手な性分にも関わらず、五日間の試験期間を無理に耐え切ろうとしたものだから感じているストレスは半端ではなく、押し込められたバネのように心のひずみが溜まっていた。
故に今の彼は教室や教科書といった勉強を想起させるものに激しい拒絶反応を示しており、そこから一刻も早く逃げ切る生存本能に従ったのだ。
皆に驚かれ引き止められても、彼は足を決して止めない。
走り続けて向かう先は二週間と5日ぶりのゲームが待っている我が家………ではなく、学園にある転送装置だ。
「うわっ、危ねえな。」
「すんませーん!!」
廊下で教師にぶつかりかけても何のその。
教室を一室、二室、三室と通過し、転送装置の前へと滑り込む。
目的はただ一つ、渋谷校にいる大好きな先輩初雁隼に褒めてもらうこと。
七が過去に訳あって世話になったことのある人物で、尊敬できる彼女からの褒め言葉を賜ったのならさぞかし誇らしい勲章になると考えたのだ。い。
故に視界が見えている状態ではこの装置は使うことができず、転送する瞬間を目視することは実質不可能に等しいのだ。
しばらく眩しさに耐えていると、やがて光は弱まり収まった。
(着いたか………?)
ゆっくりと瞼を上げると、そこは一般的な学園の姿をしている見慣れた名古屋校ではなく、床に左右にネオンの走る近未来的な建物であった。
それは勢弥の知る、紛れもない渋谷校の姿であった。
「よし、問題なく行けたな。」
今回も不具合が発生せず、無事に自身の転送に成功した。
後は隼のいる高等部一年の教室を目指すだけ。
勢弥が再び目的地に向かって走り出した時、壁に埋め込まれたデジタル時計が視界に入った。
「………んあ?」
その時計が示す時刻は十二時三分。
それを見て、勢弥はあることを思い出した。
「はっ、今日の軽音部………!」
今日は試験の終了につき部活動が再開される日で、軽音部の活動が始まる時刻まで既に二十分を切っている。
故に隼からの褒め言葉を受け取った次第に急いで名古屋校に戻り、軽音部の時間に間に合わせなければならない。
それに気付いた勢弥の心には一瞬の焦りが生じたが、それはすぐに消え失せた。
「今日は試験で疲れたから、もう頑張るのはしばらくお休みしてーな。部活………サボっちまうか。」
部活動を行えば少なからず疲れるし、久々にゴロゴロしたい気分の勢弥は部活に対するやる気が出ない。
軽音部は勢弥が創設した部活で、勢弥にとって思い入れのある場所ではあるがそれとこれとでは話が別だ。
無理をして部活に参加したことでストレスを溜め、それで周囲に当たり散らしてしまったら申し訳ない。
ならば今日は部活を休み、頑張った自分への労りと労いに心血を注ぐことにしよう。
魔が差した勢弥は自分を甘やかし、軽音部をサボることを決意した。
やりたいことだけして過ごすのは普通に生きていれば難しいが、できるだけそうでありたいものだ。
勢弥はケロッと気持ちを切り替え、隼のいる高等部一年の教室に向かった。
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階段を駆け上がり、何室もの教室の前を通過し、再び階段を駆け上がり、何室もの教室の前を通過し………勢弥がようやく高等部一年の教室の元に着くと、そこに誰かが立っていた。
三人がいたが、そのうち二人は勢弥の知っている人物であった。
「ん? ………お、勢弥じゃん!」
立っていた者のうち女子生徒………隼の双子の妹初雁駒は勢弥に気付くと顔をそちらに向け、にこやかに陽気に話しかけた。
勢弥は彼女と話したことがある。
銀と水色の髪にユキヒョウの耳と尾を持つ姉に対し、駒は黒と赤の髪にクロヒョウのような耳と尾が特徴で体型や顔つきは双子らしく似ているものの見間違えることは絶対にない。
「駒先輩! ご無沙汰してます! 椿樹も!」
勢弥も顔見知りである駒に元気よく返事をし、隣にいる柴犬の耳と尻尾を生やした小柄な男子生徒にも声を掛けた。
「勢弥殿! お会いできて嬉しいです。」
その男子生徒………雲雀椿樹はホテルマンのように恭しく丁重に話し、勢弥にペコリとお辞儀をした。
剣術の名家である初雁家に先祖代々支えてきた紫陽花家の末裔である椿樹は、幼少期から続けてきた従者という仕事柄他人に気さくに接するのが苦手だ。
彼にとって勢弥は幼馴染である隼や駒には親しさで及ばないものの、同じ中等部二年生だったり隼と駒を慕っているという共通点もあって親友と呼べる間柄であったが、それでもタメ口や呼び捨てなどはしようとすると身体がむず痒くなってしまう。
勢弥は椿樹のそんな事情を知っていたので、彼の態度について特によそよそしさ等は感じなかった。
そんな勢弥に対し、駒が疑問を口にする。
「アンタって確か名古屋校の子よね。渋谷校に何の用で来たの?」
「え、とそれは………」
「隼様に会いたくなってしまわれましたか?」
問いに答える間も与えられず、椿樹に図星を突かれてしまった。
隼を慕っているだけあって、隼に向けられた感情に対しては椿樹は非常に敏感なのだ。
言わんとしたことをまんまと当てられ、木のように固まった勢弥に対して駒は揶揄うように言った。
「やっぱりー? 隼推しの言いたいことってすぐ分かんだよね〜。口がいつも『しゅん』って言いやすい形してて隼の話したくてたまんなそうな感じが〜。」
そこまでは思ってないと言おうとしたが、図星なのは否めないので勢弥は何も返さなかった。
「それでそれで? 隼に何の用? 姿拝めればそれで充分? 用事次第では、ウチらが代わりに引き受けるけど。」
相変わらず口数の多い人だ。
でも勢いに負けてはいけない。
オレには「隼先輩に褒めてもらう」という大切な目的があるんだから。
勢弥がそれを伝えようと口に開いた時、そこにいた三人目の人物に言葉を遮られた。
「おいおい、俺を蚊帳の外にしないでくれよ。」
男は話しながら手を叩いて不敵に笑う。
勢弥達よりずっと長身なその男は、右手で前髪をかき上げるとニヤリと笑って言葉を続けた。
「おい椿樹に隼。お前らが何を考えているのかは大体分かるぜ?」
話しながら両手で椿樹と隼の肩をそれぞれ鷲掴みにし、屈んで二人の耳元に囁くように述べる。
「『期末試験を頑張ったから、大好きな隼に褒めて欲しい。』そう思っているんじゃあねえのか?」
「!!」
再び思っていたことをまんまと言い当てられ、勢弥は椿樹と共に木のように立ったまま硬直した。
その推測力には思考を読まれた本人はもちろん、狛も大層驚いていた。
先ほど勢弥の言いたいことを完璧に見透かした自分ですら、具体的には分からなかった勢弥の思考に詳細について男がエスパーのようにピタリと言い当てたからだ。
「その様子を見るに、俺の推測は合っていたようだな。」
「おう。けど、どうして………」
「他人の思考回路をお見通しするのは俺の得意技でなあ。特に可愛い可愛い担任の生徒に近付くような奴の思考には、敏感になってしまうのさ。」
口ぶりからして、この人は高等部一年生の担任なのだろう。
驚き慄く勢弥達に、男は構わず言葉を綴った。
「まあ安心しろ、俺はお前らを責めているわけじゃない。むしろお前らの考えに共感しているんだ。隼は文武両道の達人で、武術も妖魔法術もそつなくこなせる優等生だ。そんなヤツに褒められたら、そりゃあ嬉しいよなあ?」
「………。」
「隼はまだこの教室にいるぜ? どうぞ褒めてもらいに行けよ。だがな………。」
「だがな………?」
言い回しに含みを持たせ、男は不敵にニヤリと笑う。
何が「だがな」なのだろうか。
何処に「だがな」を使って否定するべき点があるのと言うのだろうか。
「だがな………本当にそれだけでいいのか?」
「えっ??」
それだけでいいのか………男の口から出た言葉は、予想の対極に位置するものであった。
そんな言葉を使うからには、もっと喜ばしい事態が自分達を待ち受けていると言いたいのだろう。
隼お嬢様から褒め言葉を賜ることより、喜ばしい事態などないはずだというのに。
「それだけとは何でしょうか。隼お嬢様の褒め言葉だけで、千金にも値する価値があると言うのに!」
「まあ聞け、考えてもみろ。お前らは勉強や何かを繰り返し続けることが大の苦手で、勉強を教えていた友達を呆れさせていたよな。そんなお前らが膨大な勉強時間に耐え、試験を最後まで受け終えたと知ったら………あいつはどれだけ喜ぶと思う?」
「えっ………と。」
「そうそう、この人の言う通りだよ。アタシは隼の双子の妹という立場だから分かるけど、あいつは努力家や頑張る人間が大好きなの。きっと大いに感激して、褒め言葉だけじゃ気が済まないはず。機嫌次第ではアンタらの欲しい物を買ってくれるかも。おねだりするなら、今がチャンスじゃない?」
先ほどまで男の様子に驚いていた狛も、男の言葉に同調するかのように言った。
まるで二人に、催眠術をかけるかのように………。
「マジか隼先輩が、オレの欲しいもん買ってくれるかもしれねえってことか………。」
既に勢いに呑まれかけている勢弥に対し、椿樹はその臆病さ故に提案に対して慎重であった。
「しかし、本当に良いのでしょうか。僕はあの方の従者です。従者が主人に物をねだるなど………」
「従者だからこそだよ! いつもあいつの代わりに飯作ったり家事してんでしょ? そのお礼も兼ねて請求しちゃいなよ!!」
「そうだぜ? それに隼はお前に幼馴染という理由でいつも大層甘いじゃあないか。幼少期からあいつに仕えてきたお前だからこそ、得られたポジションなんだぜ?」
狛と男の説得は手強い。
その気でなかった者すらも、その気にさせてしまう力がある。
その話術は悪用できそうなほどに巧みで、波のように勢いに引き摺り込んでくる。
「椿樹、アンタはもっとわがままになっていいよ。」
「そうそう。世の中図々しく生きなきゃ損だぜ?」
二人は人の心を動かす技術に長けていた。
その手法は、もはやただの言葉とは思えないほとだ。
言葉巧みに人を誑かし、マリオネットのように操る。
最初こそ警戒していた椿樹も、すっかり思うがままにされてしまった。
「そう、ですね………。隼お嬢様に………僕の欲しい物………ご購入して頂きます。」
椿樹がそう言い終えた、次の瞬間。
ガランと大きな音を立てて、乱暴に扉が開かれた。
「!?」
気付けば勢弥らの背後には、初雁隼本人が立っていた。
隼は無言で四人を睨み、額にしわを寄せている。
その表情からはかなり機嫌が悪いことが窺え、とてもではないがおねだりなどできそうな雰囲気ではない。
「誰に何を買ってもらう、ですって?」
言葉の一つ一つから、苛立ちと怒りが感じられる。
それを見た椿樹は完全に、言いたかったことが心の奥に引っ込んでいた。
男と狛も空気を読み、何も言わずに佇んでいたが………
「隼先輩! 椿樹がな、アンタに何か買って欲しいものがあるって言ってんすよ!!」
(オイーーーーー!!!)
勢弥が空気を読まず、皆が口にするのを謹んでいたことを堂々と大声で言ってしまった。
この話を無かったことにしようとしたのに、これで全てが台無しだ。
勢弥の言葉を聞いた聞いた隼は更に顔をしかめて額のしわを増やし、仁王像のように四人を睨んだ。
「ふうん? 私に何かして欲しいことがあるみたいね。言ってみなさい。」
隼は意外にも要望を伝えるところまでは許す寛大さを見せたが、そこは圧倒的な凄みと強さを持つ彼女。
ご褒美を寄越せなどと面と向かって言えるものはおらず、狛と男に至っては知らんぷりをし始めた。
椿樹は勢弥に余計なことをしてくれたと怒りの感情を抱いたが、彼に自分の意識を包み隠さず曝け出されたことでいっそ吹っ切れてしまったのか、堂々と要望を言い始めた。
「………結論から申しますと、隼お嬢様には僕と勢弥殿の欲しい物を買って頂きたいです。」
「はい、よく正直に言えました。」
椿樹の要望を聞いて、隼は思いの外笑顔になった。
隼は嘘をつかない人間が好きで、例え自分の意に反する意見であろうと正直に言う者には好感を抱くのだ。
椿樹は隼の表情を見て、ほんの少しだけ希望を抱いた。
「で、では、僕達の要望を聞いてくださるということで………」
「それは嫌だ。」
椿樹を絶望に叩き落とすように、隼は冷たくそう言い放った。
表情も再びしかめっ面に戻り、相手の期待を打ち砕く。
「正直に言えたのは確かに偉いけど、それと私がその気になるかどうかは別の問題よね。」
淡々とそう言い放つ隼には、相手の要望を聞き入れる気など毛ほどもないように見える。
「中間試験の為に勉強を頑張った? そんなのは自分の成績や将来・進路の為だから当たり前でしょ。頑張っただけで偉いと言うなら、同じ試験を受けた他のみんなや懸命に授業をしてくださった先生方もご褒美を貰えないと不公平じゃない?」
燃えるような怒りを抱きながら、氷のように冷たく言い放つ。
正論の暴力で、椿樹や勢弥は完璧なまでに叩きのめされてしまった。
図々しくご褒美をねだろうとした椿樹はともかく、褒め言葉が欲しかっただけなのに巻き込まれた勢弥は不憫というものであろう。
しかし今の激昂した隼からは、褒め言葉の一つもかけてもらえるとは思えない。
動揺する勢弥らに構わず、隼は容赦なく言葉を続けた。
「それよりあなた達、部活と課題はどうしたの? 部活に入っていない狛と椿樹はともかく、勢弥は軽音部の活動があったよね。」
「え………っと。」
「それは………。」
確かに今日は渋谷校でも名古屋校でも、教師から課題が出されている。
加えて勢弥は部活動という本来の義務を怠っており、あまり文句を言える立場ではない。
討論で叩きのめされた椿樹は、思わずその場で泣きかけてしまった。
勢弥はそんな椿樹を不憫に思い、隼の持論に獣のように喰らいつく。
「へっ、やらねーよ部活も課題も。こちとら期末試験で疲れてるんで。頑張ることはお休みにしたいんすよ。」
そのあまりにも甘ったれた言葉に、隼は思わず絶句する。
そんな隼に勢弥は、これまでのお返しだと言わんばかりに怒涛の言葉の嵐をお見舞いする。
「オレらはやりたくねーことはやらねー主義なんで。オレらにやりたかねーことやらせたきゃ、先にそっちがご褒美を用意すんのが筋ってモンすよね。」
「何………何を言っているの?」
ストイックな自分にとって想像もつかない考えに、隼は突っ込む気にすらなれない。
一方で椿樹はガツンと言い返す勢弥の姿勢に感化され、彼に加勢して喧嘩に加わった。
「ええ、勢弥殿の仰る通りです。隼お嬢様は仮にも裕福な初雁家の生まれであられるのに、僕達にはそのうちの一銭たりとも恵んでくださらないのですね。あなたは僕達が思っていたよりずっと、ずーっと『ケチ』だったようですね。」
「は?」
ケチと言われたのが引き金となり、隼の怒りはヒートアップした。
その勢いはご褒美をねだることを提案した張本人の狛が、勢弥らに「そのぐらいにしときなよ………。」と思うほどであった。
しかし勢弥も椿樹も慄くことはなく、そこに根を張っているかのように一歩も引かない。
「ケチだと言われて激昂なさるぐらいなら、ケチでないことをご自身で証明なされたら如何ですか?」
「はぁ? 何をしろって言うのよ。」
「僕の欲しいゲームソフト………好きなアーティストのアルバム………どれか一つで良いです。貴方の財布で買って頂けますか?」
「………」
「物でなくとも構いません。関東の外の遠い場所に旅行に行くのも良いですね。それか海水浴に赴くのも………。」
椿樹は指で数を数えながら、自分の欲しい物やしたいことを一つずつ挙げていった。
その表情は挑発の意思に満ちており、忠誠を誓っているはずの主人に躊躇なく刃を向けている。
「欲しいですね〜、ゲームソフト【カーラッシュ】。そのメーカーが作った、自社キャラクターが集結して戦うゲームを友達とプレイした時に初めてそのゲームのキャラクターを操作しました。それがとても楽しくて、ゲームソフトも欲しくなったのですが………もっと優しいご主人がいれば、買っていただけたのでしょうか。」
「ふうん?」
「アーティスト『Jaumpy』のアルバムも欲しいですね。去年の紅白歌合戦で初めて歌を聴いてファンの一人になりましたね。あのジャンルに囚われない独特なサウンドと中毒性の高いメロディーの虜になってしまいまして。アルバムを買ってもっといつでも曲を聴けるようにしたいのですが………僕にお金持ちで優しいご主人がいたらなぁ………。」
「ああ、そう。」
「物でなくともいいのですがね。例えば海水浴に行くとか。僕は一昨年はこの学園に入学する為の受験勉強で忙しく、去年も諸事情で暇がなくて海水浴に行けなかったので海が恋しくて仕方ないのです。ああ、何処かに海に連れて行ってくれる優しいご主人はいないのでしょうか?」
「チッ。」
「僕は家事や料理の一つもできない強いだけの無能なご主人様の為にそれらを代行しているというのに、ご主人様は僕の為に何一つ施してくれることはない。一生懸命尽くして仕えていても、これではやり甲斐が………」
「黙りなさいよ………?」
ドスの効いた低い声が、椿樹の言葉を刃物のように切り裂いた。
その隼の様子は誰が見ても「やばい」と分かるものであった。
狛は思わず担任の教師である男の後ろに隠れたが、その担任の教師すらも、隼の迫力に怯え震えていた。
「おい椿樹、もうやめとけよ! 隼先輩本気で怒ってんぞ!! さっき舌打ちまでしてたし!!!」
「勢弥殿、少し黙って頂けますか? これは自分勝手な隼お嬢様に反省して頂く為にしているのです。邪魔をなさらないで下さい。」
制止する親友の声も、もはや風の音にしか聞こえない。
椿樹はどんどん暴走し、何者にも止められなくなっていく。
「ハッ、自分勝手? 自己分析がお上手なことね。そんなこと言ったってゲームもアルバムも買わないし、海にだって連れて行かないわよ。大体まだ夏には早すぎるし、この時期に泳げる海なんてないわ。」
「隼お嬢様ならそこをどうにかしてくださると思っていたのですが………家事だけでなく妖魔法術も大したことがないとは。これではどうして今まで貴方を慕えていたのか、本格的に分からなくなってきました………」
「いい加減にしなさいよ!!!!!!」
堪忍袋の緒が切れ、隼は堪らず怒号を上げた。
そして左手で椿樹の頭を、右手で尻尾を乱暴に掴んだ。
「痛い痛い痛い痛い!! やめてください!!! 耐えられません!!!!」
「あなたが謝るまでやめないわ!!! 聞き分けの悪い従者には、こうするしか………ない!!!」
「ぎゃあああっ!!!」
隼が尻尾を強く引っ張ると、椿樹がつんざくような悲鳴を上げた。
勢弥は思わず敵・味方の感覚も忘れ、仲裁に入り制止を試みる。
「二人とも落ち着け!!! ほら椿樹、謝れよ!!! わがまま言ってごめんなさいって!! 早く!!!」
「いいえ謝りません。僕の正しさを………証明する為にしているのです!!!」
そういうと椿樹は、隼の足を思い切り踏みつけた。
「いきゃあ!!」
隼は足を踏まれた痛みのあまり、思わず椿樹の頭と尻尾を掴んでいた手を離した。
その悲鳴の声色からして、相当に痛かったことが伺える。
「いったた………。」
「おい隼先輩、大丈夫か………」
勢弥が隼を心配し、椿樹を咎めようと近付いたその瞬間。
「今だ!!!」
その隙に椿樹はチーターのように加速し、飛ぶ鳥のようにその場を駆け去っていった。
「椿樹!?」
「あっ!! ちょっと待ちなさいよ!!!」
隼と勢弥が手を伸ばして引き止めようとするも、既に椿樹には聞こえていない。
「やめてやります!!! 初雁家の従者など!!!」
振り向きもせず泣き交じりに吐かれた捨て台詞を最後に、椿樹の声は一切聞こえなくなった。
隼は椿樹を追おうと少し走ったが、すぐにやめた。
「勝手にすればいいわ。どうせお腹が空いたら、泣きべそかいて戻ってくるんだから。」
勢弥はすぐに名古屋校に戻り、第二音楽室の扉を開いた。
軽音部の活動場所だ。
既に部活動の終了時刻に迫っているが、問題ない。
勢弥がそこに来たのは部活動をしたくなったからではなく、部員の皆に先程の件を解決するアドバイスを貰う為であった。
あんな喧嘩が起きてしまったのは、椿樹をけしかけた自分にも非があると考えており、そのことを深く反省した勢弥は隼と椿樹を仲直りさせる為に部員に助言を貰おうと考えたのだ。
勢弥がそこに入ると、部員達は既に楽器を片付け始めていた。
大らかな性格である橋立を除いて、彼らは全員無断で部活動を休んだ勢弥に対して怒っていた。
「何用だよ、この怠け者が。」と部長の光。
「今更部活動をしたくなったの? もう遅いけど。」と部員の新。
「本当に悪かった。今日の期末試験で疲れて、部活なんてせずゴロゴロしていたい気分になって………それでサボっちまった。」
勢弥は可能な限り、最大限の誠意を見せて謝罪した。
それを見た部員達はそれ以上怒る気になれず、彼の過ちを許すことにした。
許してもらった勢弥は、本来の目的である相談をする為に先程あったことを話し始めた。
「こんな風にサボっといてこう言うのも図々しいけどよ、あんたらに相談があるんだ。オレ………実は部活を無断でサボるのと同じぐらい、悪いことをもう一つしちまっててよ………。」
「………」
「………なるほどー。自分が隼ちゃんと椿樹くんを喧嘩させてしまった、だから自分に非がある………勢弥くんは、そう思ってるわけね?」
「そこで吾輩達の意見を参考にして、こういう状況においてどうすれば良いのかを考える………というわけか?」
部員の橋立と望の問いに、勢弥は黙って頷いた。
「口喧嘩か。私はもう長いことしていないが、中等部の頃………一度してしまったことがあったな。」
「マジか!?」
椿樹と似たようなことをしてしまったと語るのは、意外にも普段は冷静な印象のある家路。
論理的かどうかを重視する計算機のように合理主義な彼がそんなことをするとは思えないが、話を詳しく聞けば何かの参考になるかもしれない。
「なあ、その話詳しく聞かせてくれよ!」
「ああ。あれは確か三年前だったか。喧嘩のきっかけは覚えていないが、親友の一人と怒号の飛び交う大喧嘩をしてしまってだな………。」
家路は目を閉じて眼鏡を抑え、ゆっくりとその時の状況を語り始めた。
「その時は本気で相手を許せないと思った。罵倒をした。物を投げたりもした。当時のクラスメイト曰く、私も相手も壁が吹き飛ぶと思ったほどの荒くれ様だったそうだ。喧嘩をしていたその瞬間は縁を金輪際切るつもりでいたし、当然謝る気など更々なかった。だが喧嘩をした日の夜、相手と楽しく遊んで一緒に過ごした日々を夢で見た。だから福岡校にいた同級生の友達に相談した。どうしても仲直りがしたいと。そうしたら彼女はこう言った。」
『キミはどうしてその子と仲良しになったの? それを思い出してごらんよ。』
「私が彼と仲良くなった理由………思い出そうとすれば、容易く幾つも思い浮かんだ。だから翌日に会ってすぐ謝った。相手も同じ気持ちだったようで、互いに仲直りして親友に戻った。」
「その相手とは今でも仲がいい。この中に彼がいるかどうかは………言わないでおこう。」
「………」
「だから君も、もし今度椿樹に会ったらこう問いかけるといい。『隼はゲームを買ってくれるから好きなのか? ゲームを買ってくれなかったら、途絶えてしまう縁なのか?』とな。」
一方で渋谷校では、狛が隼と話をしていた。
現在時刻は二十三時で寮の門限を越しており、加えて外では大雨がザアザアと音を立てて土砂のように激しく降っている。
にも関わらず椿樹は、未だに帰ってきていない。
「さっきのこと………本当に自分だけが悪くないと思ってる?」
「ええ。悪いのは椿樹に変なことを唆したあなた、まんまと乗せられて私にわがままを言った椿樹、そして止めなかった勢弥の三人だけでしょ。」
「だからそのことは謝ったじゃん。椿樹と勢弥も戻ってきたらアタシがちゃんと謝らせる。今はアンタには本当に非がなかったかって話をしてんの。」
「私が加害者だって言うの!? 急に高い物を要求された挙句ケチで自分勝手とまで言われたのに!?!?」
「そりゃあ自分のされたことだけピックアップしたらそうなるよ。けど隼も酷いことしたよね? 椿樹の尻尾引っ張ったよね?」
「………。」
「それに仮にアンタが悪くなくて全部椿樹に非があったとして、だからってこのまま探しに行かなくていいと思ってる?」
「探しに行くって言っても………もう門限は過ぎたし、こんな大雨の中………」
「だからこそでしょ! 想像しなよ、何処かで冷たい雨に降られてびしょ濡れになりながら震えている椿樹を!!!」
「!!!」
言い争いのような話し合いの末、隼は狛の言葉によって事態の重大さを受け止めたようだ。
ようやくその気になった隼はいても立ってもいられなくなり、狛の制止も張り切ってその場を駆け足で走り去って行った。
「椿樹!!! つーばーきーーー!!!」
土砂降りに見舞われながら、隼は懐中電灯を片手に椿樹の名前を大声で叫んだ。
渋谷校周辺の大通りや街道は、既に大方捜した後だ。
電柱の裏、側溝の中、廃品置き場………人が隠れそうな場所も、ほぼ全てを隈なく目をつけている。
捜索を開始してから、既に一時間ほど経過した。
にも関わらず椿樹どころか、椿樹の尻尾の毛一本たりとも見当たらない。
もはや隼には椿樹への怒りの感情は、水に打たれた炎のように跡形もなく消え失せていた。
今の隼の心は、椿樹への申し訳なさと反省の気持ちで溢れるほど一杯に溢れていた。
「………あの時と、同じだ………。」
隼はまだ自分が中等部で、札幌校にいた頃を思い出していた。
思えばあの時の自分は父譲りの厳格で狭量な性格で、同級生に対して横柄かつ身勝手に接して孤立していた。
普段の振る舞いのせいで友達や仲間が一人もできず、本当に困った事態になった時に助けて貰えず痛い目を見た。
故に高等部に進級し渋谷校へと転校した際は自分を変えると決意し、周りに厳しく接したりなどは二度としないと誓ったのだ。
それなのに、それなのに………結局、何一つ変わっていなかった。
変えたというのは口先だけで、本質的な悪い面は未熟だったあの頃のままだ。
変わったというのは思い込みだけで、根本的な歪んだ面は愚か者だったあの頃のままだ。
そのことにもっと早く気付けたら、もっと早く改められていたら………今日のようなことは、起こらなかったに違いない。
今思えば椿樹の「ケチ」という言葉は確信を得ていたように感じられる。
ゲームソフトの一つや二つを高いと買わなかったばかりに、こうして大切な人を一人失うことになったのだ。
あの子とこれからもずっと一緒にいられる権利に比べたら、たかがゲームソフト一本の値段など破格もいいとこだ。
「もしも見つけられたら、もう二度とあの子に厳しく察したりしない。ゲームだってアルバムだって、そんなものいくらでも買ってあげるわ。あの子が行きたがる場所なら、どれだけ費用がかかろうとも何処へだって連れて行ってあげるのに………。」
瞳から垂れ落ちる水滴は、雨か涙か分からない。
ここまで見つからないとなると、不穏な文字が脳裏に映る。
交通事故………行方不明………誘拐………。
もしも本当にそうであったら、二度と椿樹と会えないのだろう。
そうなると最初から分かっていたら、別れの言葉の一つも言えただろう。
どうして………あの時………さよならの一言も言えなかったのか。
前向きさを失い、絶望しかけた………その時。
隼の足元に、輝く光が現れた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
一方椿樹は、学園から少し離れた場所にある公園に設置された土管の中で雨風を凌ぎながら過ごしていた。
土管の中は暗くて狭い上にゴミ捨て場のように薄汚く、とても一夜を過ごたいと思える場所ではない。
しかし現在の椿樹は空腹に加えて身体が冷え切っている為にまともに動くことができず、心境としても寮に戻りづらいが故にそこで眠るしかなかったのだ。
彼も隼同様に怒りの感情は完全なまでに消失しており、心の中は反省の気持ちと自分の惨めさで満たされていた。
コーラル色のインナーカラーが入った茶色い髪はもちろん、自慢の柴犬のようなふさふさとした尻尾もぐっしょりと濡れて汚れており、耳はだらんと垂れていた。
もうゲームソフトもアルバムもいらない。
何処にも連れて行ってくれなくてもいい。
ただ隣にいて、笑ってくれるだけでいい。
そう思っていたはずなのに、気付けばあれもこれもと醜く欲張り、そして………全て失ってしまった。
褒めてもらうだけで良かったはずなのに、狛達の勢いに完全に呑まれ、無理なお願いをしてしまった。
「隼お嬢様。わがままを言ってごめんなさい。あのような過ちを働いた僕ですが、これからも従者として傍らに置いてくださるでしょうか。隼お嬢様………ふぁ、あ〜っ。」
一人で謝る練習をしていた椿樹であったが、段々と眠くなってきたのか大きな欠伸をした後に眠い目をこすり、自身の腕を枕にしてゆっくりと眠る準備に入った。
普段なら尻尾を抱いて眠るところだが、今の尻尾は雨に打たれて暖かさと柔らかさを失っており、とても抱いて寝る気にはなれない。
段々と土管の硬さにも慣れ、うとうととし始めた頃………枕元に、何者かが現れた。
「おい。何をしている?」
「ヒッ!」
その声は、野太い男のものであった。
恐る恐る見上げると、そこには大柄な二人組の男が立っていた。
「なんでここで寝てんだ? ホームレスか?」
見知らぬ長身の男が揃って、こちらをじっと見下ろしている。
その光景はあまりにも恐ろしく、椿樹は思わず土管の奥に引っ込む。
「それは………あなた方には関係ないでしょう!」
しかし小さな抵抗も虚しく、尻尾を掴まれて引き摺り出されてしまった。
「質問に答えろ。どうしてここで寝ているのかと聞いている。」
「何か問題を抱えているなら、助けてやってもいいぜ? ちっこいの。」
「うぅ………」
二人の男は椿樹を見て、何を思ったのかにんまりと笑った。
この人達は、確かに見かけは怖い。
だけどもしかしたら、自分の力になってくれる可能性がある。
そんな一縷の望みをかけて、椿樹は昼間の学園での出来事を二人の男に明かした。
同時刻、隼は足元で輝く光を見つめていた。
電線も電球もないというのに、赤や青や黄色や緑と様々な色に煌めいている。
それは美しくはあるが、同時に妖しさも感じられた。
そして隼は光が塊ではなく一本の筋となっており、何処かへと伸びていることに気付いた。
その筋は道路の中央にセンターラインのように現れ、ある分岐点を目処に直角に曲がっている。
まるで、何処かへと誘っているかのように。
光に沿って進めと、語りかけられているかのように。
具体的な根拠はないが、隼はこの光の道筋に従って進めば何か良いことがある気がした。
そして考えるよりも先に、その脚は光の標を追って動いていた。
直進し、直進し、右に曲がる。
二ブロック直進し、右に曲がり、三ブロック直進する。
それを繰り返しているうちに、いつしか隼はとある公園へと辿り着いた。
光の筋は公園の中へと続いている。
施設の中に入るような指示が、光から出たのはこれで初めてだ。
「どうして公園の中に? ハッ、もしかして………!!!」
隼は光に従い、公園の中へと入って行った。
公園は木々が生い茂っていて路地裏のように薄暗かったが、光が眩しく輝いていたので懐中電灯は不要であった。
光の筋は公園の奥へと続いているが、そこに何かがあるのだろうか。
それに沿ってしばらく歩くと、ある地点で光の筋がハサミに切られたかのように途絶えていた。
そして、光の終着点には………。
「そうなのか、お前の主人は意地悪だな。」
「だが俺達は違うぞ。衣食住はもちろん、お前の欲しがるものはゲームソフトだって何だって買ってやる。」
「誠でございますか!?」
「ああ。だからそんな意地悪な主人は捨てちまって、俺達についてこないか?」
「俺達がお前の、優しくて新しい『ご主人様』になってやるよ。ヘヘヘヘッ。」
………光の終着点で隼が目にしたのは、見知らぬ大柄な二人組の男と、それらと一緒に歩いている大事で大切な従者………椿樹であった。
椿樹は二人組の男を完全に信用しきっており、疑いも怪しみもせずにホイホイとついて行っている。
光の筋はやはり椿樹の居場所を、隼に教えてくれていたのだ。
「椿樹!!!」
「ちっ、邪魔者が来やがったな。」
「隼お嬢様!!!」
「お嬢様………そうか、あいつがさっきお前が言っていた意地悪な主人ってやつなんだな?」
隼の姿を見た途端、二人組の男の様は豹変した。
腕で椿樹をきつく締め付け、二人がかりでガチガチに拘束する。
「うわあ!? いきなり何をなさるのですか!?」
「お前はもう俺達のものだ! 誰にも渡さないからな!!!」
「させるものですか!!!」
隼は脚に力を込めて高く上空に跳躍し、二人組の男目掛けて飛び膝蹴りをお見舞いした。
「うおっ!!」
そして両手で二人組の男のそれぞれの頭をガッシリと掴み、腕を閉じて勢いよくぶつけた。
「いでぇ!!!」
「ひぃぃ!!!」
二人組の男が痛みで悶えたことで腕が緩んで隙が生まれ、椿樹は瞬時に脱出した。
「隼お嬢様!!! 昼間は無礼を働き申し訳ございま………」
「謝罪の言葉は後で聞く!!! 今は逃げて!!! 早く!!!」
椿樹を安全な場所へと逃すと、隼は男二人組へと刀を向けた。
「おいおい、何する気だ!?!? 命だけは勘弁してくれ!!!」
「まあ貴方達は妖魔法術も使えない一般民間人だものね。最小の威力の技で勘弁してあげるわ。」
『旋風の妖魔法術・威力I!!!』
隼が技名を放つと、たちまちその場に渦巻状の風が現れた。
その風は怯える二人組の男に容赦なく襲いかかり、お手玉のようにふわりと持ち上げると上空へと吹き飛ばしていった。
「ああああぁぁぁぁ〜〜〜〜!!!!」
風の力は見えないながらに凄まじく、大柄な男が二人まとめて悲鳴を上げながらフェードアウトしてしまう。
男二人組が視界から消えると、隼は刀を懐へとしまい、後ろで木の陰に隠れている椿樹にもう出てきてもよいと合図した。
「おいで。」
そして椿樹がそっと自身に近づくと、隼は両腕を広げて迎合の姿勢を取り、椿樹をぎゅっと抱きしめた。
「うっ、うぅ………ぐっ………ぐすっ、し、じゅんおじょうざま………。」
「何かしら。泣きながらでもいいから、落ち着いて話してごらん。」
「じゅ、じゅん………じゅんおじょうざま!!! ほんどにごべんなざい!!! ぼく、わがままを言って………迷惑をかけて………じぶんがっでは、ぼぐのほうなのに、じゅんおじょうざまに、じぶんがっでっでいっで………」
「もういいよ。」
「えっ?」
「だから、もういいよって言ったの。」
隼は椿樹の頭を撫でながら、菩薩のように優しい眼差しで微笑みながら言った。
「わがままを叶えることは簡単じゃない。言うだけならタダだけど、実現するには費用がかかったり、物理的に不可能なものもある。泳げる温度でない海を泳げるようにする、とかね。私だって万能じゃないし、あなたに家事をしてもらっているように誰かの助けが必要な時もある。それに気付いたのは………結構最近なんだけどね。まあとにかく、叶えてあげられないお願いもあるってことを分かってくれたらそれでいいよ。」
「左様ですか………ですが、どうしてあんなに酷い行いをした僕を助けに来てくださったのですか?」
「それは………そうだな。じゃあこういうことにしておこうかな。『そうしないと自分が後悔すると思ったから』、これでいい?」
「はい!」
「とにかくあなたが無事で良かった………そう言えば、狛が言ってたわ。約二週間のテスト期間、起きている時間をほとんど勉強に費やしたんですってね。」
「ええ? ああ、はい。」
「『よく頑張りました。』これを言って欲しかったんでしょう?」
「はい………その言葉は、勢弥殿にも言って差し上げなければなりませんね。」
「そうね。あの子に会ったら言っておくわ………それにしても椿樹。褒められたのが嬉しいからって尻尾振りすぎよ。」
「そうですか?」
「ええ。ものすごくパタパタ音がしてる。ふふふっ。」
そうやって言葉を交わしているうちに、隼の担任の教師が車で迎えに来てくれた。
「よお、迎えに来てやったぜ?」
担任の教師の車は、不良生徒によって落書きまみれにされたボコボコでボロボロなキャンピングカーであった。
その姿はまるで廃車置き場から盗んできたのかと思うほどで、昼間に乗って走るのは少し恥ずかしい。
ライトは点灯しカーブミラーも欠損していないことから、「ギリギリ」車検を通っているらしい。
「どうもありがとうございます。ですがそのスクラップ同然の車の見た目………もう少しどうにかならないのですか?」
「分かってないなあ、これがいいんじゃないか。さあ乗った乗った! ただでさえ門限を過ぎているんだからあまり寄り道はできないぞ。」
隼と椿樹は、恐る恐る廃車同然のキャンピングカーへと乗り込んだ。
二人が座ったことを確認すると、キャンピングカーはガクンガクンと不穏な音を立てて出発した。
隼は雨ですっかり冷え切った椿樹の身体を毛布で包んで温め、空腹な彼にドーナツを与えた。
「はむっ、はむっ、はむっ………うーん、生き返った気分です。」
「その尻尾も後でブラッシングするね。汚れたまんまじゃ嫌でしょ?」
「ええ。ありがとうございます………うわはあっ!?」
「おおっと悪いな。こいつぁ古いから急に揺れるもんでな。」
「左様ですか。」
ボロボロなキャンピングカーでのドライブはお世辞にも快適とは言えなかったが、速度は思っていたよりもあるようであっという間に学園に着いた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「いいぜ! 今回は悪かったのはお互い様っスからね。」
「ええ。寛大な心を持つのも、立派な魔術使いの必要条件ですからね。」
「二人とも許してくれてありがとう。じゃあ一件落着ということで、もう寮に戻って寝ましょうか。」
「もう眠らなくてはならないのですか? 試験も終わったことですし、二週間ぶりにゲームがしたいのですが………」
「だめ、寝なさい。家出さえしなければ時間はたくさんあったんだから、自業自得よ。」
「そんなぁ………。」
「今寝るなら、私のベッドで添い寝させてあげるけど………」
「寝ます!!!」
「全く現金な子ね………ところであなた達、課題はどうする?」
「課題? うぅ………そういやあったな。ドサクサに紛れて忘れてもらおうとしたのに………。」
「私はそんなに甘くないのよ。でも残念ね、もし今勉強を頑張るなら夏になったら海水浴に連れて行ってあげると約束できるのに………」
「やります!!!」
「本当に現金な子ね………」
「アッハハハハハハッ!!!」
四人の笑い声は、月まで届きそうなほどに響き渡った。
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翌日。
椿樹は隼を起こす日課の為に、隼よりも早く起きて彼女の寮室へと赴いた。
「隼お嬢様、起きてください。隼お嬢様………。」
「ん、んん………ああ、椿樹?」
いつものように隼の身体を揺さぶり、ホテルのモーニングコールのように優しく起こす。
隼はううんと身体を伸ばすと、ゆっくりと瞳を開いて目を覚ました。
「ふぁ、あ〜………おはよう、椿樹。」
「おはようございます、隼お嬢様。」
「椿樹、毎日起こしてくれてありがとう。そうだ。いつも私の為に頑張ってくれている椿樹に一つ提案があるんだけど………。」
「何でしょうか?」
隼は寝そべったまま身を椿樹に寄せる。
椿樹は何が起こったのか分からず、「提案」という言葉にドキっとした。
「試験勉強を頑張ったご褒美と、いつも家事をしてくれることへのお礼と、昨日のお詫びの気持ちを込めて………あなたのお願いを、資金的・物理的に不可能でない範疇で何でも聞いてあげる。」
隼が自分のお願いを聞いてくれる………想像もつかない提案であったが、もしその言葉が本当であると言うなら、それに対して出せる答えは一つだ。
「左様ですか!? でしたら僕は、隼お嬢様と………二人きりで………その、お出かけがしたいです。」
「それって、要するに………私と、デートをしたいってこと?」
照れくさくて遠回しに言ったことを直球で言い換えられ、椿樹は思わず動揺した。
幸いにも同室の者はまだ眠っており、その言葉を聞いたものは隼以外にはいなかった。
「ダメ、でしょうか………」
「いいわ。」
椿樹のお願いは、隼に意外にも快く承諾された。
二人は寮を出て各々の教室に向かう間も、ずっと言葉を交わしていた。
「でも、ゲームソフトじゃなくて良かったの?」
「今はゲームソフトより、貴方とのデートに価値を感じます。」
「そう。じゃあゲームはまた今度ね。それで、デートだけどいつ行く? 今日の放課後でもいいけど。」
「左様ですか!? そんなに早く行けるものなのですか?」
そんな二人の微笑ましい会話を、陰から眺めている者がいた。
隼と狛の同級生・獅子賀煌輝だ。
彼は隼らの会話を聞きながら、手元に起こした光を見つけた。
隼の足元に現れたのと同じ、ひとりでに七色に輝く光を………。