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9 やはり異常事態ですよね⁉


 正面から見つめられながら食事するのは気まずかったが、空腹が限界まで達していた純佳はまず目の前に置かれた味噌汁をすすった。


「おいしいぃいい……」


 思わず感嘆の声が出ていく。昨日こちらの世界に来てから食べ物を口にしたのはこれが初めてだ。食べ慣れたはずの味噌汁がとんでもないご馳走の如く純佳の舌を唸らせた。

 食事に満足する様子を見たヒノメは僅かに頬を崩して微笑む。素っ気ない表情に優しさが差し込み、純佳は少しだけほっとする。


「改めて自己紹介を。あたしはヒノメという。死神様にお仕えし、補助するのがあたしに与えらえた使命。死神様が留守の間も、彼女の仕事に不都合がないようにお手伝いをしていました」

「仕事って、どんなこと?」

「それは後ほど。では次にあなたのことを教えてください。あなたは何者ですか」

「わたしは貫井純佳。日本に住んでる大学生で、今は就活中の身。靴が脱げて、気づいたらここに。死神の召喚に失敗して、誤って呼び出されてしまったみたいで……」


 それから純佳はシュモンのことと、死神になりきって世界の崩壊を防ぐために協力すると彼と約束したことをすべて正直に打ち明けた。ヒノメは何を指摘することもなく、静かに耳を傾けていた。


「それはまた災難でしたね。その聖者とやらも、よくあなたと取引する気になったものです。よほど必死なのでしょうか」

「本当に……わたし、ただの人間なのに」

「あなたもあなたで、思い切ったことをするのですね」

「確かにそうなんだけど……それしか元の世界に戻れる見込みもなさそうだから……もう、仕方なく……」


 話を聞き終えたヒノメの冷静な感想に、純佳は無謀な挑戦に足を突っ込んでしまったことが気まずくなる。本物の死神を知っているヒノメにしてみれば余計に愚か者に映るだろう。


「──でも本当に、魔王様の機嫌を直せると?」


 ヒノメは眉を顰めながら純佳を吟味するように見つめる。


「分かりません。だけどやらずに後悔するより、やってみてから玉砕しようかなと」

「そう。やはり思い切りが凄いですね」

「褒められてないよね……?」

「はい」


 ヒノメはこくりと頷いてから純佳が平らげた数枚の皿に視線を落とす。


「ヒノメさんが思う通り、滅茶苦茶なことをしてる自覚はある。だけどわたしがまだ生きてるって聞いちゃったから、何もせずにはいられなくて……」

「ヒノメでいいです。敬称など、魔王様に怪しまれますから」

「わたしが偽物だって魔王に言うつもりはないの?」

「ないです。先ほども申しましたが、あたしは死神様の御意向に従うまで。あなたがどこまでの力を持っているかは分かりませんが、ただ賭けるしかないのです」

「──死神様の御意思に?」

「そうです」


 ヒノメは感情のない声で同意した後で立ち上がり、空になった皿を重ね始める。


「魔王はわたしの正体に気づかないかな──?」

「あなたが上手くやれば、それは大丈夫でしょう。特に今の魔王様であればなおさら気づけない」

「どうして? 二人は長い付き合いだって聞いていたけど、本当にそんな気づかないものなの?」

「彼は死神様の容姿に関心がない上に、死神様もまた、御自身の姿を変えるのを好んでいましたから。死神様はとても素晴らしい御方です。でも彼女自身はそう思っていないようで、本来の姿を好きになれないと仰っていました。だから次々に姿を変え、魔王様も死神様の外見の変化を楽しんでいました」

「──二人は、恋人同士なの?」

「恋人と言うよりも、永久に対となる存在と申しましょうか。それこそ昔は、彼らがもっともっと若かった頃ですが、恋人のように仲が良かったと聞いております。あたしも実際にはその様子を少ししか見る機会がありませんでしたが。ただもうここ数百年は腐れ縁のような仲で恋人的関係ではなかったです。切っても切れない存在。あなたの世界で、その関係をどのような名で呼ぶかは見当もつきませんが」

「相棒、みたいな?」

「なんとでも。ともかく、二人にしか分からぬ絆が確かにありました。ですがだからこそ、深い絆があるからこそ。裏切られたと感じる行為は、想像を絶する深い傷を残すのでしょう」


 ヒノメは重ねた皿を机の端にまとめ、大きな窓の外に目を向けた。窓の外からは光が差し込むが、その正体が何かは判断がつかなかった。少なくとも純佳はこの館に来るまでの間太陽を見ていない。

 神妙な面持ちで動きを止めたヒノメの瞳には在りし日の二人の姿が映っているかのようだった。


「死神が出ていったのはどうして──?」

「真意はあたしにも分かりません。それは魔王様も同じかもしれません。とすると、ある時、あなたの言葉を借りれば、相棒、に、黙って家を出ていかれたようなもの。あたしは死神様の御意思を尊重します。でも捉え方によっては裏切りと感じてもおかしくはありません」

「確かに。生涯の親友がいたとして、愛想を尽かされたらすごく落ち込むかも。黙って去られたらとんでもなく悲しいと思う」

「ええ。だから魔王様にとっても相当な衝撃だったはず。自暴自棄なのか、本心は分かりかねますが」

「トラウマってやつかな? 確かに相当ショックな出来事があるとガラリと人が変わってしまうのは珍しいことじゃない」


 ヒノメの話は純佳が魔王に抱いた印象に納得感を持たせるものだった。無気力的で、もう何もかもどうでもよさそうな声。戻ってきた死神に関心を寄せず拗ねるだけの反抗的な態度。どれも現世でもよくある光景だ。


「とはいえ機嫌が悪いって聞いてたから、もっと癇癪を起こして大暴れでもしてると思ったら、無気力的な感じになっちゃうとは驚いたけど。ほら、魔王って、破壊的で怖いイメージがあるから」

「それは魔王様の通常の姿です」

「へ?」

「破壊的な衝動に駆られやすい魔王様があんなに大人しくなってしまうなんて、異常事態としか思えないでしょう。よっぽど機嫌を損ねているに違いありません」


 ヒノメが困ったように肩をすくめると同時に、部屋の扉が勢いよく開かれる音が響く。驚いて振り返ると、廊下からいくつかの影が走ってきた。


「しししししし死神様……‼」


 やけに震えた声で純佳の前に跪いたのは、九人の男女だった。姿こそ人間に似ているが、よく見れば皆、耳は三角にとんがり、獣のような鋭い爪が伸びた指は手のひらよりも圧倒的に長い。どうやら厳密には人間ではなさそうだ。


「本日より、我ら悪魔が貴方様の身の回りのお世話、護衛に務めます。先ほど魔王様より命を受けました。どうぞ、よよよよろしくお願い申し上げる」


 中央で首を垂れる悪魔の一人がぷるぷると身を震わせながら懸命に声を張り上げる。はきはきとした語調はまるで軍隊でしごきを受けている訓練兵のようだった。


「魔王様が……?」


 彼らの申し出にすぐに反応したのはヒノメだった。顔をしかめ、純佳を一瞥する。何か違和感でもあるのだろうか。純佳も首を傾げる。

「ええ。我らも驚いたのですが、確かに魔王様の命令にございます」


「──そんなに不思議なことなの?」

「はい。魔王様に仕える者は皆、あたしを除いて死神様には会ったことがございません。死神様に近づくことを禁じられていましたから」

「禁じる? なんで」

「それは魔王様が嫉妬なさるからでございます」


 先ほどと同じ悪魔がハッキリと答える。ほかの八人の悪魔たちはまだ畏れ多くて死神の顔を直接見る勇気がないようだ。床に目を向けたまま事の成り行きに身を任せてる。


「嫉妬?」

「そう。魔王様の指示で、皆は死神様から距離を置いていたの。死神様本人は初耳でしょうね」


 ヒノメの口調は、すべてがちんぷんかんぷんの純佳をフォローしているのか、もとから死神は禁止令を知らなかったのか、どちらとも取れる絶妙なトーンだった。


「死神様、普段お会いすることはなかったでしょうけれど、彼ら悪魔は魔王様の手下で、通常は彼に仕えています。どうやら今日からは、死神様のお世話もするようだけれど」

「ヒノメ殿、やはり異常事態ですよね⁉」


 端でずっと震えていた悪魔がもはや悲鳴のような声でヒノメに訊ねる。


「我らも困惑しているのです‼ 魔王様がお狂いになったのだと認めたくはなかった。でももうそうとしか思えない‼ ああ! この世はもう壊れてしまうのだ……!」


 悪魔は頭を抱えて泣き出す。隣の悪魔が同情するように彼女の背を撫でていた。


「死神様! どうか魔王様を正気に戻してください! 我ら悪魔も、まだ暴れ足りぬのです! 世を手放すにはまだ早すぎる! 魔王様とはいえ許されませんよ!」


 勢い余って魔王の批判を口にした悪魔はハッとして慌てて口を押さえて青ざめる。


「み、皆さん落ち着いて……とにかく、わたしたちでできることをしましょう……!」


 ワーワーと騒ぐ悪魔たちのペースに置いてけぼりになっていた純佳は、椅子から立ち上がり皆を落ち着かせようとガッツポーズをしてみせる。が、死神らしくなかったのかヒノメがそっとその手を下ろさせた。


「後で皆で役割分担でもしましょう。死神様は疲れているの。今はそっとして差し上げて」

「承知いたしました! ヒノメ殿」

「死神様、どうぞこちらへ」


 敬礼する悪魔をよそ目にヒノメは純佳を連れて寝室へと向かう。


「皆、死神に会ったことがないからわたしを受け入れてくれたんだ……あ、そうだ、あの小人たちも悪魔なの?」


 放心状態のままベッドに座り込んだ純佳は扉の隙間から悪魔たちの様子を窺っているヒノメの背中に問いかける。


「彼らは妖精の一種。悪魔とは違います。妖精たちは力が弱いから悪魔よりも簡単な仕事をすることが多いの」

「なんか……色んな人がいるんだね」


 人、と言っていいのかは自信がなかった。純佳は両足を抱えてゆらゆらと身体を揺らした。


「あ、じゃあ、死神に仕えてるってことはヒノメも悪魔なの?」

「いえ、あたしは違います。精霊の類です。遥か昔に死神様に掬い上げられ役を得ました。その時から、あたしは死神様に忠誠を誓っているのです」

「精霊……ふふ、色々ありすぎて、難しいね」

「まぁ、あたしのことはもともとあなたと同じ人間だったと思っていただければ」


 寝室の扉を完全に閉めたヒノメは指を折り、何かを計算しながら素っ気なく答える。


「どうすれば……あんなに悪魔を遣わされても逆にどう役割を与えればいいのか分からないじゃない」


 ぶつぶつと独り言を呟くヒノメ。どうやらこれまで一人でやっていた死神の世話をどう分担すればいいのか悩んでいるようだ。


「手伝おうか?」

「え?」

「大学で、色々とプロジェクトをやらなきゃいけないことも多かったからさ。もしかしたら力になれるかも」

「本当ですか?」

「うん。迷惑じゃなければ」


 純佳の申し出に、言葉にはせずともヒノメの表情が明るくなっていくのが分かった。


「あ、そうです。あなたにお伝えしておくべきことがありました」

「え? なんだろう。知らなきゃいけないことばっかりだけども」

「魔王様の名前です。流石に、魔王様と呼び続けるのは冷たい印象が残りますし、魔王様も気分良くはないでしょう」

「そっか。確かに。よそよそしくて機嫌が直るどころじゃないかも」

「魔王様の名前はガルチと言います」

「ガルチ……」


 結構大事なワードだ。純佳は決して忘れぬように彼の名前を頭に刻み込んだ。


「魔王に名前があるってことは死神にもあるの?」

「ありますが……」


 好奇心に煌めく純佳の瞳を一瞥したヒノメは少し考えた後で凛とした声で答える。


「あたしの宝物だから、それは教えられません」


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