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7 帰ったのか

 階段はどこまでも続いている。水墨画のような灰色の雲が広がるだけの景色に囲まれていると頭がおかしくなってしまいそうだった。今ならまだ後戻りできる。段を下りる度に何度も弱気な考えが浮かんでは消えたが、その度に心潤す青の光景を思い返してなんとか前へ進んで行った。

 何段下りたのか数えておけば良かったかもしれない。恐らくこれまで経験した中でも最高記録の段数を下った純佳は、突如として目の前に現れた城に目を丸める。

 城は西洋と東洋のものを混ぜたようなシルエットをしており、その先端は捉えることができないくらいに高いところにある。すべてが真っ黒で、純佳が最初、それは影絵だと勘違いするくらいだった。


「ここが──魔王の館」

「久しいであろう」


 純佳の呟きにオヌがクスリと笑う。ほんの僅かなオヌの笑い声が聞こえたのか、城の門が開かれる。出てきたのは背の低い髭面の小人だった。長いとんがり帽子を被り、目元はよく見えない。小人はオヌと純佳を交互に見た後で声を張る。


「何奴か」

「聖者の長、オヌにございます。こちらは下名どもが召喚した死神様にあられる」

「なんと……‼」


 オヌが純佳を紹介すると、小人は純佳の姿をよく見ようと帽子を持ち上げた。帽子の下に現れたのはなんとも愛くるしいきゅるきゅるとした瞳だった。白目はなく全体が黒目に覆われているが、それもまた小動物みたいで可愛らしかった。


「貴方様が死神様にあられるか‼」


 小人はまるで死神を初めて見たかのような反応を見せ、飛び上がって喜んだ。興奮も束の間、すぐさま純佳の前にひれ伏し、感激の涙まで流し始める。


「お待ちしておりました死神様‼ どうぞ、どうぞこちらへ‼」


 小人は顔を伏せたまま純佳たちを城の中へ案内する。あまりの喜びぶりに純佳は戸惑うが、オヌは涼しい顔をして小人の案内に従った。


「彼らが感涙するのも頷けよう。魔王殿は彼らの長ぞ。その長の機嫌が悪いときたらそら居心地も悪かろう。貴方様の帰還は誰もが待ち望んだこと」

「……そうなんですね」


 またちょっぴり不安になってきた。でも今のところ、城で出くわす小人たちは皆、純佳を本物の死神だと思って歓迎してくれている。彼らも聖者よりは死神と接点があったはずだが、そんな彼らが気づかないのだ。もしかしたらこのまま魔王もすんなり受け入れてくれるかもしれない。小人たちの歓声が聞こえる度に、純佳の緊張が薄れていく。


「魔王様ー‼ 驚きです! なんと、本当に、死神様が帰って参りましたよぉ‼」


 最初に城に招き入れてくれた小人を筆頭に、同じような風貌の小人たちがわらわらと純佳たちの前を我先にと駆けて行く。城を入ってすぐに真っ直ぐに伸びた赤の絨毯が敷かれた廊下を歩けば、魔王が待つ大広間へ辿り着いた。

 純佳たちよりも先に大広間に入っていた小人たちは、とんがり帽子を脱いで深々と頭を下げ、花道を作って待っていた。髭と繋がった豊かな髪は皆ぼさぼさで、一様に紫だ。


「魔王殿」


 花道を堂々と突っ切ったオヌは臆することなく魔王の玉座へ進み出る。

 青銅の瀟洒な椅子は巨大で、椅子ごと背を向けているせいかそこに誰が座っているのか姿を捉えることはできない。しかし金継が施されたその椅子が一瞬ぐらりと動いたことから、そこに誰かがいることは間違いない。


「死神様が一向に戻る気配がないゆえ、我らにて召喚いたしました。どうぞ、顔をお見せください」


 椅子の背に向かってオヌが威厳のある声で語りかける。やはりそこに座っているのは魔王らしい。純佳はオヌの斜め後ろから恐る恐る椅子を見上げる。


「召喚──? 聖者らしくもない。なぜそんな勝手なことをする」


 椅子の向こう側から聞こえてきたのはどの音域にも属さないような心地良い声だった。恐ろしいのに好奇心を搔き立てられる魅力的な声だ。感情の読めない声色は怒っているようにも、呆れているようにも聞こえる。


「死神様が必要な理由など、貴殿が最もよく理解しておられるだろう」


 オヌは多少の呆れを滲ませつつ魔王を諭すように答える。


「──理由、だと?」


 次の瞬間、何トンの重さがあろう巨大な椅子がグワンと勢いよく回転し、一瞬にして正面を向く。


「聖者の役割に俺の子守など含まれていないはずだ」


 魔王はそう言って肘掛けに手を乗せたまま身を乗り出してまじまじとオヌを観察する。


「ひぇっ」


 その眼力に思わず純佳は悲鳴を上げた。すると今度は彼の獰猛な瞳が純佳を捉える。目が合うと、こちらを見据える瞳が黄金で、中に深緑の輪があることがよく分かった。人間離れした爬虫類のような瞳だ。神秘的な瞳を縁取る睫は羨ましいほどバサバサに生え、かえって鬱陶しそうにも見える。

 座っていても脚が長いことはすぐに分かり、まるで雑誌の表紙を飾るモデルのようだと純佳は瞬間的に思った。黒を帯びた金髪はきちんと整えられているわけではないが、その無造作なところが顔の良さを引き立てている。

 魔王は純佳の全身を舐めるように観察し、何かを思案するかのように眉根を寄せた。二人が見つめ合っていると思ったのだろう。オヌは二人の様子をじっと見た後で満足そうに唇で弧を描いた。


「久しぶりの再会はどうだ。この先は余所者は遠慮した方が良いであろう。死神様、召喚した責がある。何かあれば下名に申しつけを──と言いたいが、こちらの方が貴方様には居心地も良かろうし、必要もないか」


 そう言い残し、オヌは小人の花道を戻って城を去って行った。

 一方の純佳はオヌが帰ったことに気づかぬほど、魔王との邂逅に呆気に取られていた。彼の瞳に縛られ指一本動かすこともできなかった。特に魔王が眉根を寄せた瞬間は、もう生きた心地がしなかった。

 終わった。殺される。

 純佳の脳内はたった二つの言葉だけがぐるぐると駆け巡っていた。大広間はしんと静まり返り、たくさんの小人たちが同じ場所にいるとは思えないほどに静寂に包まれていた。皆、二人の動向のみに注目している。

 何か言わなきゃ。何か言わなきゃ。何か、何でもいいから言ってみないと……‼

 ゴクリとつばを飲み込み、純佳は固まった唇を動かそうと試みる。


「──ま、魔王様……」


 カラッカラに乾いた声が細々と出ていく。


「お久しぶりではないですか」


 また少しオヌを引き摺ってしまう。純佳はカクカクした動きで丁寧にお辞儀をしてみせた。これが死神っぽいのか、もう何も判断はつかなかった。しかし何もしないのも気まずすぎて耐えられない。


「────死神」


 ようやく魔王にも動きが出る。前のめりになっていた身体を背もたれに戻し、彼は偉そうな姿勢で死神と名乗る純佳を見定めるように見下ろす。が、どことなく、指で顎を撫でる仕草がぎこちなく見えた。もしかしたらこの再会を彼も予測しておらず、戸惑っているのかもしれない。純佳は物事を自分に都合のいいように捉えるように努めた。


「帰ったのか」

「は、ハイ」

「────ふぅん……おかえり」

「え?」


 素っ気ない反応に拍子抜けした純佳はつい、ただの貫井純佳が出そうになってしまいそうだった。あんなに警戒して身構えていたのに、彼はあっさり自分を死神だと認めた──っぽく思える。


「現世は楽しかったか」

「え──えと、はい。それなりに」


 っていうか敬語でいいのかな。

 そんなことを思えるくらい純佳の心に不意に余裕が訪れる。


「そ。ま、帰ってきたんなら好きにすれば」

「……へ?」

「魔王様ーーーー‼」


 魔王がそっぽを向くと、小人たちが一斉に玉座に駆け寄り彼の足を引っ張ったり、すがりついて大泣きしたり、椅子によじ登ってぽかぽかと肩を叩いたりし始めた。


「そんな態度やめてください! せっかく死神様が戻られたのです!」

「どうか機嫌を直してくださいー!」

「魔王様ぁ、もう拗ねるのはよしましょうよぉ」


 小人たちは口々に魔王を窘めるが、魔王は耳を貸そうとせず、ぷいと純佳から顔を逸らしたまま微動だにしない。保育園で保育士に反抗する子どものようだ。

「申し訳ありません死神様! ここのところずっと、魔王様はこのように機嫌が悪く……まるで骨が抜けてしまったように無気力なのです」


「死神様が最後に見た魔王様とは大違いで、さぞ戸惑われるでしょう」


 その場に取り残されていた純佳の前に二人の小人がいそいそと歩み出て情けなさそうに頭を垂らした。


「えと……機嫌が悪いと、ああなる──んだったっけ? ほら久しぶりだから、ちょっと忘れちゃって」

「魔王様の様子がずっとおかしいのは、きっと機嫌を損ねているからなのです。あの、手に負えないほどに好き勝手する魔王様からは想像もつかない姿でしょうが……」


 小人は互いに顔を見合わせながらもしゅん、と肩を落とす。


「死神様ぁ、これ以上は我らでは対応しきれません。魔王様の気力を引き出すなんて私たちには到底できないことです。死神様、どうか試練が訪れる前に魔王様が本来の力を発揮できるようにお助け下さい。魔王様に渇を入れるなど私たちには無謀すぎて、死神様でないと対処できないのです」

「……今、彼は無気力状態なのね?」

「そうでございます」

「死神様が戻られたと聞いて、私どもはすごく嬉しかったのです! 部屋も綺麗にいたしました。皆、魔王様の機嫌を直すためならば死神様のお力になります。死神様が魔王様に愛想尽きるのも頷けますが、今回だけは! 試練に耐えるためにもお力添えをいただきたいのです」

「……うん。分かってる」

「ありがとうございます‼」


 この流れは経験がある。聖者の屋敷で正座するオヌとイルの姿が脳裏に浮かび、純佳は苦笑する。


「魔王様! ではさっそく、お帰りになった死神様をお部屋にご案内いたしますね。いいですよね? ね⁉」

「勝手にしろ」


 魔王は小人たちにぽかぽか叩かれながらも静かな声で返事する。迫力のある外見こそ見目麗しいが、なんだか頼りなさが拭いきれない。第一印象では恐れをなしたが、よくよく見ると帰宅時間の満員電車で見かける疲れ果てて脱力した若手サラリーマンが纏う哀愁と重なるものが彼にもある。


「ささ、死神様、こちらへ」


 不思議に思いながらも純佳が魔王に背を向けると、「おい」と魔王が不意に呼びかけてきた。


「その板はなんだ」

「え……? これ……ですか?」

「そうだ。その妙な板。現世から持ち帰ったのか。変なものじゃないだろうな」


 魔王が指差したのは純佳がずっと握りしめていたスマートフォンだ。常世ではよっぽど奇妙な物に見えるのだろう。


「これは──お守りみたいなものです」


 またしても適当な嘘をついた。かといってスマートフォンについてイチから説明するのも厄介だ。純佳はあたかも現世から持ってきた宝物だと言わんばかりに大袈裟にスマートフォンを抱きしめてみせた。

 魔王は純佳がスマートフォンを大事そうに抱えたことに眉を顰めたが、深く追求するつもりもないらしい。


「そうか。なら肌身離さず持っているといい」


 意外にも優しいことを言って、その関心をぷつりと切った。



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