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5 恩人になるの初めてかも

 「どうして死神じゃないって言ってくれなかったんですか」


 無礼とは思いつつ、わざと不満を露わにして言ってみる。純佳の棘のある語調にもシュモンは怯むことなく、こちらもわざと大袈裟に肩をすくめてみせた。


「お頭たちに言っても信じてくれない」 

「どうしてそう言い切れるんですか」

「君よりもお頭たちとの付き合いは長い方だから、傾向くらい読めるさ」

「それは──ッ、確かに……そうですけど……ッ」


 ずるいほどサラリとした主張だった。それを言われては、ついさっきこの世界に来たばかりの自分は何も言い返せない。純佳が言葉を詰まらせ目を伏せると、シュモンは数秒の間を置いてから「ごめん」と囁いた。先ほどから度々繰り出してくる彼の囁き声はいやに耳心地がよく、純佳はその声にもなかなか慣れなかった。

 魔王の機嫌を直すとオヌとイルに半ば強引に約束させられた後、純佳はシュモンに連れられ今夜の寝床に向かっていた。今日のところはもう休みなさい、と優しく笑うオヌは見惚れるほどに優美で、その麗しさに普通ならば良い夢を見られそうだったが、残念ながら純佳の心は休まりそうにない。オヌたちから解放されるや否や、自分の味方をしてくれなかったシュモンに文句の一つや二つ、言わなければ気が済まなかった。

 しかし温厚な顔つきに似合わず意外とシュモンは強情だ。のらりくらりとかわされては文句を言っても虚しいだけだった。


「魔王の機嫌を直すって……わたし、それ以前に殺されます。あ、もう死んでるっぽいですけど」


 ぶっきらぼうに落ち葉を蹴り、純佳は突如として襲ってきた実感に喉が絞まる感覚を覚えた。階段から落ちて頭を打って、次は魔王とやらに惨たらしく殺されてしまうのだ。二度も死ぬなど誰が望むものか。


「どうしてわたしを無視したの……?」


 たった一人、話の分かる人がいてくれたと思ったのに。

 不安と共に絶望感が押し寄せ、純佳は誰にも聞こえない声で呟く。もう歩く気力すら失いそうだった。純佳の足取りが重くなるのを察し、一歩前を歩いていたシュモンが立ち止まる。


「君が死神ではないとお頭に言わなかったことは謝る。でも僕にも言えない事情があって──それを君にも知って欲しい。余計に怒らせてしまうかもしれないけど」

「事情?」


 こちらを向くシュモンの真摯な眼差しに純佳は落ち込んだ瞳を持ち上げる。


「わざと君を召喚したわけではなかった。僕ら──いや、僕だって本物の死神様を召喚したかった。だけど僕ら聖者が死神様ほどの存在を召喚するなんてこれまでなかった経験で。能力のある者をかき集め、イチかバチかでやってみたんだ。君たちの言う、一世一代の勝負みたいなものさ」

「……でも、わたしが呼ばれたということは」

「そう。察しの通り召喚は失敗したと言っていい。お頭たちは気づいてないけど」

「それはあなたが伝えてくれなかったから……」

「そう。それも僕のせい。加えて言えば、召喚が失敗したのも僕のせいだと思う」

「え? どうして?」

「集められた聖者たちは精鋭ばかりだった。だけど僕は違う。背伸びしてできるふりをしただけ。本当は実力が足りていないことを僕も自覚はしていた。だけどこんな機会滅多にないからどうしても参加したくて。参加予定の聖者の一人が前日の字鬼掃討で怪我をしたその代打に名乗り出た。渋っていたお頭にも無理を言って。お頭もきっと、しつこく願い出る僕のことを信じてくれたんだろう」


 シュモンは遠くを揺蕩う落ち葉の群れを眺めながら眉根を寄せる。その面差しは少しばかり後悔しているようだった。落ち葉の群れは、小さな竜のようになめらかに風を切っていく。


「これまであまり目立った活躍をしてこれなかったから。そろそろお頭やイルたち上層部に能力を認めて欲しかったのが本音。だから地道に鍛錬を重ねて、自分なりに能力を高めてきたつもりだった」

「わたしを助けてくれた時、あなたはとても強かった」


 肉が切れる醜い音と眩いばかりの天から降り注ぐ光を思い出し呟いた純佳に、シュモンは嬉しい一方、恥ずかしさもあるのか控えめに唇の端を持ち上げた。


「あれはね。攻撃系の能力は着実に磨けていたみたいだ。でも召喚はまた違った。きっと僕が失敗したから、君がこちらに呼ばれてしまったはず」


 シュモンは言いにくいことをどうにか言葉にして、がばりと勢いよく頭を下げる。


「本当に申し訳ない! 僕が無理に参加なんかしなければ、きっと本物の死神様が召喚できたはず。僕が余計なことをしたに違いない。召喚の儀は、誰か一人でも息の合わない奴がいるとうまくいかない、高度な能力が求められるものだから」


 シュモンの柔らかな白い髪が目の前でふわりと揺れる。胸が安らぐかぐわしい香りがほのかに鼻を掠めた。


「僕ら聖者はもう、死神様に頼るしかない状況にある。だから僕のせいで失敗したなど口が裂けても言えなかった。何より、僕を信じてくれたお頭を裏切ってしまう。そうしたらもう僕は──聖者を堕とされる」

「召喚の儀をもう一度やり直すことはできないんですか?」

「それは難しい。高度な能力が求められる儀式は聖者の力も奪う。最近は字鬼も大暴れしているし、僕らも息が切れてきた。次に召喚の儀ができるのはしばらく先になってしまう」


 シュモンの苦しそうな声色に純佳の胸がギリギリと痛みを覚える。彼の懸賞さはどこか身に覚えがあった。純佳は今日の面接のことを思い返す。もうずっと前の記憶に思えた。


「僕らにはもう後がない。次の召喚を行う前に魔王様への試練も訪れる。今のままでは彼に試練など──ああ、無理だ。そう、もう世界は崩れてしまう……!」


 苦悩の色を浮かべ、シュモンは顔を上げて純佳の肩を掴む。


「頼む……! 勝手なことを言っているのは自覚してる! それでももう、君に頼るしか術はない。ようやく掴んだ機会なんだ。ここで真実を語ればこれまでの努力がすべて無駄になる。僕は聖者でいられなくなるし、生きる術を失う……! どうかお願いだ! 君の力を貸して欲しい。もちろん協力はする。できることはなんでも。君がここで不自由することのないように、全力で助けるから……!」


 シュモンの手が純佳の肩から離れ、その両手のひらは地面に向かう。この体勢は純佳も映画やドラマで見覚えがある。しかし目の前で誰かが実際にするのは初めて見た。


「どうかこの愚聖者を助けて欲しい……! もう僕には後がない──! 僕はまだ聖者でいたいんだ!」

「ちょ、ちょっとやめてくださいっ」


 まさか異世界でこんな手本みたいな土下座を見ることになるとは思わなかった。

 純佳は慌ててシュモンを立ち上がらせ、彼の装束についた落ち葉を払った。


「それに、僕はまだ世界を終わらせたくない」


 落ち葉を払う純佳の頭上でシュモンがぽそりと呟く。純佳が見上げると、目が合った彼の瞳にはまだ希望の光が宿っているのが分かった。


「せっかく鍛錬の成果も出てきたところだ。さっきの字鬼退治、見ただろう? それなのに──こんなところで終わらせたくない。お頭に認められたいのもそうだが、これもまた理由の一つだ。僕はまだ世界の先を諦めたくない」

「──そっちの方が、独りよがりじゃなくて立派な理由に思えるのに」


 世界の崩壊を憂い、切なさの滲む彼の面持ちに純佳はつい笑みを浮かべる。よっぽど聞こえが良い理由があるのになぜそちらを先に言わなかったのか。それが不思議で可笑しかったのだ。


「なにか可笑しい?」

「いいえ」


 シュモンが微かに首を傾げたので純佳は即座に首を横に振る。ころころと表情は変わるが一貫して必死な様子が就活中の自分と重なる気がした。少しのことで落ち込み、イラつき、喜ぶ。どうも他人事には思えない。


「世界を救えたら、わたし神に昇格できるかな」


 冗談めいて純佳が笑うとシュモンは再び首を捻った。


「何を言ってる。君はまだ生きてる。世界が終われば、その時こそ君も死ぬだろうけど──でも今はまだ生きてる。ただこちらの世界に迷い込んだだけさ。だから君も、元の世界に戻れると思えば、こんなところで終わらせたくないだろ? 今ならまだ間に合う。変えられる。諦めないで欲しい。世界を救ってみようじゃないか。こんなこと、なかなかできるものじゃないと思うし。帰ったら、それこそ君は英雄だ。ただそのことを誰も知らないってのはあるけど……それもまたカッコいい気がするだろ」

 シュモンの語気はだんだんと勢いづき、その様子に純佳は企業説明会の雰囲気を思い出した。確かに彼の言う通り世界を救う経験なんてなかなか体験できない貴重な機会ではある。かといって誰かにアピールできるものでもないのはもどかしい。十中八九、頭のおかしい奴だと思われる。


「──就活で使えるエピソードにはならなさそうだけど……でも」


 シュモンの言った中に、純佳の背中を猛烈に押してくれる要素はあった。彼は純佳はまだ生きていると言ってくれた。しかも元の世界に戻れることも示唆している。この単純な答え合わせは純佳のテンションを上げるには十分な理由となった。


「逆に考えれば、魔王の機嫌を直すことができないと元の世界に帰ったとしても、終末が近いってことだよね?」

「ほぼそうなると思う」

「じゃあ、もし魔王の機嫌を直すことができたら、わたしは元の世界に帰ってこれまで通り平穏に過ごせるってこと?」

「魔王様の機嫌が直り、均整が元通りになったらもちろん君の世界に帰す。君を安全に帰せるよう僕も鍛錬を積む。君は元の世界に帰りたい?」

「そりゃもちろん」

「では、君を助けるから、君も僕を助けてくれる──ってことは、できる?」

「──わかった」


 もう自分が助かる道はこれしかない。

 そう感じた純佳はシュモンとの取引に応じることにした。彼の失敗がバレないように彼の願いに応え、彼には自分の願いを叶えてもらう。これしかない。


「ありがとう……! 改めて礼を言いたい。えっと──君は」

「純佳。貫井純佳が、わたしの名前」

「スミカ。可愛らしい名前じゃないか。僕は」

「シュモン、でしょ?」

 純佳が人差し指を突き出して名前を言うと、彼もまた自分を指差してこくりと頷く。

「ありがとうスミカ。君は僕の恩人だ」

「恩人になるの初めてかも」


 純佳が照れくさそうに笑うとシュモンは純佳に向かって右手を差し出す。これもまたドラマや映画でよく見る光景だ。純佳はシュモンの顔を一瞥してから慎重にその手を握り返した。取引成立の握手。憧れたこともあるが、実際にやると妙な緊張と責任感に包まれる。

 骨ばった彼の手は大きく、思ったよりも冷たい。が、冷たさの中に人肌を感じ、恥ずかしくなった純佳はすぐにその手を離す。性格はともかく、気品のある端正な彼の容姿を改めて意識してしまうとどうにも調子が狂いそうだった。ここまで整った目鼻立ちの異性に出会ったことはない。そもそも彼は(たぶん)人間ではないし、今はそんなことを考えている場合ではないと分かってはいるものの、素直に照れてしまう自分を純佳は憎んだ。

 気を取り直そうと、純佳はずっと気になっていることを口にする。


「だけど魔王は流石に死神に会ったことがあるんでしょ? わたしが別人だってすぐにバレるし、そうそううまくいくとは思えないんだけど」


 やるとは言ったがやはりまだ不安が残る。純佳は殺風景な落ち葉の道を再び歩きながらシュモンに訊ねた。


「魔王にとって死神は大事なパートナーなんでしょ? それを名乗るなんて無謀としか思わない?」

「それは問題ないと思う。しばらく魔王様は死神様と会っていないと聞いてるし。死神は姿形を自在に変えられる。大事な相手とはいえ腐れ縁みたいなものだ。相手の見目など、取るに足らない」

「そうなの?」

「そう聞いてる」

「そっか。会ったことないんだもんね」


 純佳が笑うとシュモンは気まずそうにはにかんだ。


「でもさ、どうしてわたしが間違って召喚されたのかな。わたしたちの世界……えーっと、現世っていうの? そこは、何十億人も住んでいるのに」

「常世も管轄が分かれてる。死神とかは単体しか存在しないから全域を見るけど、聖者はたくさんいるからさ。ちなみに僕らが担当するのはこれくらいだよ」


 言いながらシュモンは手で円を描いて大体のエリアを教えてくれようとしたが、宙に描かれたただの丸では地球のどのあたりを指しているのかを特定することはできなかった。

「死神様が痕跡を残していたのがちょうど僕らの管轄内だったから僕らの支部が召喚を行うことになった。失敗したとはいえ途中までは上手くいっていたはず。僕の力が足りなかったとすれば、たぶん──近くに本物の死神がいた痕跡があったのだと思う」


「近くに? えっ、こわい。死神でしょ? やっぱり冷酷な人なのかな」

「さぁ。それはなんとも──」

「会ったことないんだもんね」

「うん」

「あっ、もしかしてだけどさ」


 純佳はハッと気づいたようにスーツのポケットを探る。取り出したのは画面の割れたスマートフォンだ。


「死神って、この子だったりしちゃう?」


 純佳はそう言ってスマートフォンを操作する。電波は当然届いていないが、操作自体に支障はなさそうだ。

「ほらこの子」


 摩訶不思議なものを見るようにスマートフォンを眺めていたシュモンに向かって純佳はこの前友人たちと撮った写真を見せる。純佳の隣に写っているのは花梛だ。


「彼女、わたしたち友人の間では魔性の女って呼ばれてるの。それに彼女もわたしがいた場所に少し前までいた。だからもしかしたらって思って」

「うぅーん。申し訳ないが分からない」

「そっか、だよね。っていうか、姿も分からないのによく召喚しようとしたね」

「痛い指摘だ。ところでこの彼女、魔性の女って呼ばれてるの?」

「うん、すーごくモテるからそう呼んでるんだ。本人も面白がってる」

「へぇ」


 シュモンはあまり関心がなさそうな声で相槌を打った。冗談で花梛の写真を見せた純佳だったが、彼があまりにも興味を示さないのでふざけてしまったことを若干後悔した。スマートフォンのホーム画面に戻り、純佳は時を刻まない画面上の時計をじっと見やってからハッと顔を上げる。


「そういえば、ここってスマホの充電はできる?」

「……ジューデン?」


 シュモンのきょとんとした反応に、純佳はまた自分の発言を悔やんだ。


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