12 地獄行きってことね
シュモンが帰ると、純佳は腹を括ってヒノメが待つ死神の部屋へ戻った。
戻ってきた純佳の顔つきを見たヒノメは彼女の覚悟を察して軽く目を見開く。純佳の意を決した瞳の輝きに、ヒノメの頬にも安堵の色が浮かぶ。
死神の部屋の中には寝室や湯浴み場の他にもいくつか扉が設けられており、ヒノメはそのうちの、赤で塗られたひときわ目立つ扉の前に純佳を立たせた。どうやらこの扉の向こうが死神の執務室らしい。拳を握りしめ、微かに残るシュモンの温もりを頼りに純佳は赤の扉を開けた。
中に踏み入ると、執務室は他の部屋とは違い円形で、天井も圧倒的に高く、闇の奥へと溶け込むように続いている。壁も床も古びたレンガ造りではあるが、どことなく温かな空気が満ちていた。部屋全体は薄暗く、光源は壁に一定間隔で並ぶ焔だけだった。焔はゆらめきながら鈍く橙色の光を投げかけている。その光は影を長く歪ませ、部屋に不確かな輪郭を与えていた。
中央には巨大な器が鎮座し、静かに水を湛えている。器の中心にそびえ立つ一本の支柱は部屋の天井へ届かんばかりに高い。支柱周囲の水は穏やかな円を描いて流れていた。水面を覗き込むと、ぼんやりと色とりどりの球が水中を漂っていた。球の輪郭は朧げで、どこか現実感がない。それらはゆっくりと揺れながら、水の流れに沿って踊るように次々に支柱へと引き込まれていく。支柱を駆け上がる数多の色彩は目を見張るほどに美しかった。
ふと目を凝らすと、部屋のあちこちに小さな光が漂っていることに気づく。それはふわふわと宙を舞う綿毛のようだった。
壁一面には無数の本が敷き詰められていた。どれも古そうだが、背表紙が並ぶ光景はまるで知識そのものが積み重ねられた迷宮のようで圧巻だった。本は静寂の中で眠っているが、時折、焔の明滅に呼応するかのように影が揺れ、文字の囁きが聞こえたような気がした。
「すごい……」
目まぐるしく支柱を駆け巡る朧げな球体を見上げ、純佳は感嘆の息を吐く。すると一体の綿毛が、不意に器に向かって全速力で飛び込んでいった。ぼちゃんっと音がしたかと思えば、綿毛は一つの球体を咥えてトビウオのように跳ねる。しばらく跳ねた後で、綿毛は球体を抱えたまま水の底へとダイブして姿を消した。
「あれは?」
「あれが仕分けられるべき魂です。支柱に吸わせるべきでない魂」
「地獄行きってことね」
「はい。実際には──まぁ、細かいことはいいでしょう。見てお分かりの通り、これが魂の仕分けを担う道具です。死神様は完全に役目を放棄して常世を去られたのではありません。死神様が不在の間、道具を自動化するまじないをかけておりました。しかし、完璧を持続するのは難しい。なのであたしが時折この道具の補助をしておりました」
「死神様って、すごくしっかりしてるんだね」
「ええ。彼女は勤勉なのです。力がないあたしでも補佐ができるようにと、まじないを込めた杖も授けてくださいました」
ヒノメは携行してきた木製の杖を純佳に差し出す。純佳よりも背の高い杖だった。
「これがあれば、あなたも仕分けができるはず。死神様の力が込められておりますので。その力を借りることができます」
「魔法使いの杖みたい」
死神の杖は先端が鍵状になっており、そこから渦を巻き、中央には深緑の石がはめ込まれていた。杖は軽く、道に落ちている木の枝とそう変わりない感触だ。
「それで器をかき混ぜ、地獄行きの魂を分別してください。魂はどれも朧げな姿をしていますが、歪な形をしているのでそれで判断がつくでしょう」
ヒノメに言われ改めて水中を覗き込むが、正直どれも同じような形にしか見えなかった。
「見つけ次第、その魂を杖で水中に押し込んでください。抵抗するでしょうが、気にせず、押し込み続けてください。沼が迎えにきますから」
「……分かった。やってみる」
まだ実感はなかったが、純佳はとにかく形から入ってみることにした。杖を携え、揺蕩う魂たちに意識を集中させる。ぽわぽわと光る魂たちが最期の救いを求めてこちらに訴えかけているようにも見え、その光景を眺めているだけで精神が削られそうだった。一度強く瞼をぎゅっと閉じ、純佳はつばを飲み込み気持ちを切り替える。
やるしかない。やらなければ死神とは名乗れない。
緊迫した空気が執務室の外まで届いていたのか、ロウリュウが様子を見に部屋に入ってくる。
「──あった!」
純佳が声を上げた瞬間と重なり、ロウリュウの身体がびくりと揺れた。
僅かに形の異なる魂を見つけた純佳は握りしめた杖を器に差し入れ、該当の魂をグッと底に押しやろうとする。しかし弾力のあるその魂は、想定よりも強い力で反発してくる。あまりの強さにあわや杖が手から飛んでいきそうになった。
「だめ……! お願いだから大人しくして! きっと悪いことをしたんでしょう⁉」
グイグイと魂を押し込もうとする純佳。なかなかうまく沈めることができず、たった一つの魂相手にかなりの時間を消耗してしまった。ようやく魂を沈ませた純佳は達成感が沸き、誰かと共有したくなって後ろを振り返る。が、魂と格闘する死神の姿が想像と違ったのだろう。きょとんとしたロウリュウの瞳と目が合った。
まずい、たどたどしすぎたか。
純佳の背筋に嫌な気配が走る。
「そのような視線は失礼ですよ。死神様も現世におられましたゆえ。魂の案内の感覚を思い出しているのでしょう」
何度も瞬きするロウリュウをヒノメが静かに窘める。
「はっ……! 誠に申し訳ございません! なるほど現世の空気に穢れてしまったのですね」
「ええ。穢れで能力が落ちているのでしょう。感覚を取り戻すのにも時間がかかるかもしれません」
ヒノメに促され、純佳はコクコクと頷く。
「ははぁ。やはり現世の空気は我らには合わないのですか。しかしそれで、魔王様の試練までに感覚を取り戻すことはできるのでしょうか。魔王様があの様子なので、最悪の場合、死神様のお力を借りる必要もあるかと思うのですが」
「それは死神様の責任ではない。そもそも試練は魔王様のためにあるものなのですから」
「いやそうなのですが……」
「気持ちは分かります。でもロウリュウ、焦っても何も得はありません。あたしたちは自分に出来ることに注力しなければ。ということでロウリュウ、仕分けを終えたら死神様は湯浴みをする。仲間たちと準備を整えてきてくださいな」
「承知いたしました!」
ヒノメに一礼しロウリュウはパタパタと忙しなく執務室を後にした。
「ありがとうヒノメ。バレちゃうんじゃないかと冷や汗かいた」
「確かに危険でした。執務室には誰も入らぬよう言っておかなければなりませんね。彼らも不慣れなことをしているので」
「そうだよね……」
「あなたはお気になさらず。仕事に慣れるよう努めてください」
「はいっ!」
ヒノメは器に近づき、とめどなく流れてくる魂をじっと見やった。
「まだまだ先は長いですよ」
「はい……! がんばります!」
純佳はぴしっと敬礼をして自分に渇を入れた。
「ところでさ、前から気になってたんだけど、魔王の試練って一体何なの? 皆言うけど……すごく怖がっているから」
「ああ。試練というのは、大いなる力を与えられた存在に定期的に課せられた──試験みたいなものです。強大な力と権威を持つ魔王様もその対象で、魔王様の場合は、様々な使い魔が魔王様に試練を与えに来るのが恒例です。魔王としての素質を保つための慣習とも伝えられています。ちなみに今回の使い魔はロッタ殿です」
「定期考査ってことか。魔王に相応しいか定期的に能力をチェックされるみたいな」
「はい。この試練に耐えられなければ、魔王様は消滅します。すなわちそれは世界の均整の崩壊。唯一の存在が崩れれば、世界は再構築されることになりますから。試練は、世界の存続を左右する非常に重要なものなのです。皆様もちろん自覚しておりますし、矜持もありますのでしっかりとこなしますが……」
「なるほどね。そりゃ、今の魔王じゃ不安が残るかも」
魔王の無気力な光のない瞳を思い出し純佳は苦笑した。今の彼はどちらかと言えば世界の崩壊を望みそうだ。
「あ。もしかして死神にもそういうものがあるの?」
「いえ、死神様にはありません。死神様はどの神々よりも一線を画す存在なので」
「……なんか、すごいや」
「だから、死神様は素晴らしい方なのです」
死神の偉大さが伝わったのが嬉しかったのか、ヒノメは少しだけ誇らしげな様子で微笑んだ。




