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10 接客に近いものはありますよ

 目覚めるとすぐに、甘く柔らかな香りが挨拶する。自分が使っていた物とは比較にならない高品質でふかふかのベッドで寝がえりを打てば、サイドテーブルで小さな炎がゆらゆら揺れているのが見えた。

 全身に優しく寄り添うシーツの柔らかな感触と優雅な香りに包まれ、純佳は幸福感に満ち溢れながら身体を横にしたまま伸びをする。

 この世界で目覚めるのはこれが二度目だが、最初の難関を超えたおかげか昨日よりも気持ちに余裕が出ていた。もちろんヒノメのサポートあってこそだが、どうにか朝を迎えられられていることが嬉しくて、純佳は無意識のうちに笑みを浮かべる。


「不都合はありませんでしたか」

「わぁっ」


 誰もいないと思っていたところに声がして純佳は飛び起きる。小さな炎の正体はヒノメが焚いた寝覚めの蝋燭だった。彼女は起きたばかりの純佳の顔をじっと見つめている。あの間抜けな笑みも見られていたに違いない。


「朝餉の用意はできています。それと、あなたの身体に合わせた衣服も繕いましたので、今日からはそちらを着ていただければ、不都合はないでしょう」


 なんとも仕事が早い。短時間でいくつもの仕事をこなしても涼しい顔をしているヒノメに純佳は尊敬の眼差しを向けた。きっと彼女のような人材が、あらゆる企業から求められるのだろう。純佳はもう記憶の底に沈みかけていた就活の光景を思い出し、ぼんやりとそんなことを思う。


「ヒノメ、ありがとう。服、タイトだったから正直ちょっと苦しかったんだ」

「ゆるやかな服がお好みかと思い、そうなるようご用意いたしました」

「ヒノメは器用なんだね。本当にありがとう」

「いいえ。どれもこれも死神様のためですので」


 ヒノメは純佳に軽く頭を下げて寝室を後にした。

 彼女の言う死神様はもちろん純佳のことではなく本物の、彼女が慕う死神のことだ。それを自覚している純佳は余計に申し訳なさを感じた。

 ひとまず髪を整え、ヒノメが縫ってくれた服に手を伸ばす。


「わぁ、ローブだ……!」


 手に取るなり、純佳はファンタジー映画の登場人物たちが着ていたような羽織に興奮した。墨色の羽織とともに、現世でもよく見るシンプルなブラウスと、ドレープが美しいジャンパースカートが用意されている。ほかにも着心地の良さそうな衣服がいくつか畳まれていた。これなら動きやすいし、着慣れているので妙に浮足立つこともない。現世の人間と知ったヒノメが気を利かせてくれたのかもしれない。純佳はヒノメの気遣いに感謝し、ありがとう、と唇を動かした。


「うん? これは……?」


 服の隣に一本の紐が並べて置かれているのに気づいた純佳はそれを持ち上げ首を捻る。絹糸で織られた美しい組紐だ。白練をベースに、薄紫と銀の糸が交互に織られ、光に透かせば艶やかな煌めきを放った。組紐はネックストラップのように半分に折られ、先端には金属パーツが取り付けられている。どうやらそれはナスカンのようだ。


「もしかしてこれって」


 純佳はベッドサイドテーブルに置いていたスマートフォンを振り返る。現世で、スマートフォンを利便性良く持ち歩くために同じようなものを使ったことがあった。外すのが面倒で、フォンタブは今も装着したままつけっぱなしにしている。


「スマホストラップ……⁉」


 組紐の用途に気づいた純佳が驚愕の声を上げる。大急ぎで着替え、純佳はスマートフォンをストラップに下げてヒノメのもとへ駆け込む。


「ヒノメ! もしかしてこれ、スマホ用に作ってくれたの?」

「すま……」


 純佳がスマートフォンをヒノメの顔の前に突き出すと、ヒノメはぽかんと丸く口を開く。


「すま……というものは分かりませんが、はい、その板のために繕いました。あなたも知らぬ場所で心細いでしょうし、親しんだ物が傍にあると良いと思い。実際昨日はずっと、それを大事そうに持ち歩いていましたから」

「ヒノメ……‼ あなたってなんてスーパーレディなの……‼」

「すーぱれー……?」


 純佳の言葉の意味を理解できてはいなさそうだったが、とにかく感謝されているのだというのは分かったらしい。「痛み入ります」と呟き、ヒノメは純佳のために椅子を引いた。

 スマートフォンを首に下げ、純佳は感激で瞳を潤ませたまま席につく。机には焼きたてのワッフルがほわほわと湯気をなびかせ待っている。これもまたヒノメが現世らしさを追求してくれたものなのだろう。

「さっそく今日のことなのですが、死神様がお戻りになったということは、仕事をしていただかなければなりません。でないと怪しまれますので」


「仕事? そういえば昨日、ヒノメは死神の仕事を手伝っているって言ってたね」

「はい。もちろんあたしも補助はしますが、やはりここは死神様であるあなたに仕事をしていただかなければ、魔王様や悪魔たちに疑問の余地を与えてしまいます」

「そっか。確かにそうだよね……でも、死神の仕事って、一体何をするの?」

「魂の分別です」

「た、たましいの……⁉」


 仰々しい響きに純佳は喉にワッフルを詰まらせむせる。

「はい。大体の魂は冥界へ向かいます。そこで多くは魂の役目を終え、しばらくの後、浄化を終えて昇華していきます。けれど昇華されぬ魂も存在します。分かりやすく、地獄行きと表現いたしますが、そのような魂は冥界へは混ぜず、奈落へ送るのが死神の仕事。懸命に生きた魂を死後までも苦しめることはしたくないでしょう。それらが侵食されぬよう、不純物はしっかりと排除しなければなりませんから」


「要は、天国と地獄に仕分けるってこと? それが仕事なの?」

「突き詰めては、自分が理解しやすいように解釈いただければと」


 弱気になる純佳に対し、ヒノメは何を驚いているのだと言わんばかりに眉根を寄せて怪訝そうな顔をする。


「死神はその名の通り死に係わる役目を担います。だから霊魂の案内人とも言われているのです。決して命を奪うためだけに存在しているのではないのです」

「そ、そうなんだろうけど……そんな責任重大なこと、素人のわたしにできるのかな……」


 純佳の脳内にはヒヨコのオスとメスを分けるヒヨコ鑑定士の姿が浮かぶ。動画でしか見たことはないが、言葉だけ聞くと似ているようにも思える。しかし死神が鑑定するのは死者の魂だ。生命の善し悪しの判別をするのだと思うと気が重い。純佳は目を回して頭を抱える。具合が悪そうな純佳を見て、ヒノメの語気が強くなる。


「死神様にやっていただかないと」

「それは、確かにそうなんだけど……でも」

「大丈夫です。昨日、悪魔たちの役割表作成を手伝ってくれたじゃないですか。あたしには難しかったけれど、あなたは率先して協力してくれた。だから完成できたのです。あんなに厄介なことができるのだから、魂の仕分けなど簡単でしょう」

「いや全然違うよ。シフト表と魂の鑑定はまったくジャンルが違う……‼」

「弱音は好みません。あなたがやらずに誰がやるのですか。魂を彷徨わせるおつもりですか。皆を路頭に迷わせ、妖怪に化けさせるのですか」

「いや……っ、そんなつもりは……」


 熱の入ったヒノメの訴えに純佳の心臓がぎゅうぎゅうと潰れていく。冷えた手には汗をかき、動悸も激しくなってくる。食べたばかりのワッフルが逆流してきそうだった。ヒノメの主張はもっともだ。けれどそれ以上に、純佳は責任感と不安で胸がいっぱいになり思考が回らなくなっていた。死神を演じるのならば仕事も当然やらなければならない。頭では分かっている。しかしやはり自信はない。死者の本当の最期を見送り、時には地獄へ落とすなんて。もし現世にそんな求人があったとしても絶対に応募する勇気はない。自分は偉人でも神でもなんでもない。本来自分にそんな資格はないのだ。


「バイトだって、接客仕事しかやってこなかったのに。そんなの無理だよ……」

「接客に近いものはありますよ」

「うぅ……」


 食い気味のヒノメに純佳はびっしょり汗をかいた手のひらを膝の上で握りしめる。

 世界の崩壊を防ぐため、元の世界に帰るため、魔王の機嫌を直したいとは思った。だが死神の仕事まで担うとなると、何でもない凡人を自認する純佳にはあまりにも荷が重すぎる。即答で「はい」と簡単に首を縦に振ることはできなかった。


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