Ep.1 悪夢
『やったぞ!! 召喚は成功だ!!』
けたたましい騒音と共に、私の意識が覚醒していく。
目を開けば歓声を上げながら拍手をしている人たちが見えた。
彼らは豪華な衣装を身に着けていて、その光景に、
私はまるで演劇にでも迷い込んだ様な違和感を覚える。
「これで我が国も安泰ですな」
「うむ時期尚早かもしれぬが、逸る気持ちも分からぬ事もないな」
その中で一番偉そうな人が、私を横目に話しているのが見えた。
その瞳は、私を見ている様で、見ていない。
(……なんですか……? この人たちは……?)
よく見れば、周囲の人達も私の方を見てひそひそと話をしている。
”聖女が”とか、”庶民が”とか……不躾な視線を隠そうともしていない。
(なんだか……私一人だけ置いていかれている気が……)
この感覚は、かなり気分が悪い。
あまりの不快感につい自分の胸元を掴むと、上質な感触が手に触れた。
視線を降ろせば金の刺繍で彩られている、白と青で調和された服。
こんな服、私の記憶には無い。
どうやら、自分の服すらも、自分の物ではないらしい。
いよいよ私のキャパシティが限界に近づいた所で、
降ろしていた視界に靴が見えた。
視線を上げれば、顔の整った若い男性がこちらを見降ろしている。
「あぁ……放っておいて済まない。
救国の聖女よ。ようこそ我が国へ」
誇らしそうに……大仰な態度で男は両手を広げそう告げた。
「聖女……? 私が……」
「あぁ。お前は選ばれたのだ。これは名誉な事だぞ」
話に付いていけない。ズキリと頭が痛む。
救国の聖女? 我が国? それではまるで……
「異世界……」
許容量がオーバーし、プツンと意識が途絶える中、
零した言葉だけがずっと頭に残っていた。
ーー
「そう! 異世界!!」
元気で明るい声に、意識が浮上する。
目の前には、膨れっ面をしている少女の姿。
彼女は私、【浅深 真里亜】の妹だ。名前は【浅深 星奈】。
高校生にしては背が少し低いが、活発で明るく、
学校ではかなりの人気を誇っている。
そんな彼女は怒った様子も可愛い。
火に油を注いでいると分かっていても、つい頭を撫でてしまう。
考えている間にも、ほら、手が……。
「へへへ……って違~う! マリ姉、ちゃんと話聞いてた!?」
「ごめんね、星奈。えっと……異世界、でしょう?」
私は、宥めるように星奈の頭を撫で続けて、
空いた手で膝元の開きっぱなしの本を閉じる。
すると、彼女が鼻息荒く立ち上がった。
「そうだよマリ姉。今の時代は異世界恋愛ファンタジーだ!」
「……星奈、はしたないですよ」
私は、ソファーに片足を置いてビシッとポーズを決める妹を嗜めながら、
言われた言葉を反芻する。
(異世界恋愛ファンタジー……確か、母様の書斎の一角が……)
書斎は、海外出張に行った両親が私達の為に残してくれたものの一つだ。
父様と母様の区画で分けられ、多種多様な本が蔵書されたそこは、
いわば大図書館とも呼ぶべき場所。
私達は日頃そこから様々な本を借りて行くのだ。
少々管理が大変だが、私達姉妹は親の影響か本が大好きなので、
おかげで娯楽には困らない。
高校生二人暮らしの私達にとっては宝物庫と言っても良い素敵な場所である。
(っと、また脱線していましたね……)
今、彼女が話しているのは、最近読んでハマったジャンルの話だろう。
どうやら、感化されてしまったらしい。
(星奈のいつもの癖かしら……?
まだ、母様の方の書斎には手を付けていなかったので、
丁度良いと言えば、丁度良いのですけども)
私は、ティーポットから紅茶を注ぎ、姿勢を正す。
こうなると彼女は長いのだ。
と言うのも、妹は、自分の好きな物を私に共有したがる癖がある。
私も悪い気はしない……と言うよりもこの時間は好きなので構わないが、
いきなり始まるので、少しだけ驚くのと、そこそこ時間が取られるのだ。
因みに、前回はパニックホラー物について語られた。
よりによって深夜に行われたそれは私を恐怖のどん底に陥れ……
たわけではなく、寧ろ妹の方が怖がってしまい、
眠れないと擦り寄って来た珍事件として記憶に新しかった。
そんな彼女は、私に怒られて大人しく座り、
[異世界ファンタジーのココが凄い!]
という資料をテレビに映し出して、プレゼン風に紹介し始めた。
特性やそれぞれのテーマに分けた事細かなデータ。
オススメタイトル等、毎回毎回よく出来た物だ。
小一時間程の彼女のプレゼンが終わり、互いに一息ついてから、
私は率直な疑問をぶつけてみる。
「……でも、結局の所、誘拐みたいなものでしょう?
いきなり別世界に連れていかれて……どうして皆やる気なのかしら……」
「ちょ……お姉夢なさ過ぎー! 異世界はね、ロマンだよ!
格好良い王子様に見初められて~……一緒に冒険に出かけたり。
あと魔法! 一度で良いから使ってみたくない!?」
私の疑問は答えになっていない答えで返されたが、
そういう物なのだろうか。
私としては、あくまでお話はお話として捉えているので、
そうなりたいとは思ったことは無い。
それに……大抵の異世界転移物は、事故や不幸が起こって始まる物なので、
少し物悲しいという気持ちもある。
そんなことを言えば、また呆れられてしまいそうなので言わないが。
「それでも、危険な事はあまりしたくないですね……。
もし私が異世界に行っても、何も出来ずに死んでしまいそう……」
「そうかな? お姉ならきっと、チート級の魔法使いになれるんじゃない?
それで……私が前衛!」
刀を持つ様に何もない空間を構えて、”えいやっ”と腕を振るう妹がおかしくて、笑みが漏れる。
「ふふっ……二人でいるのは確定ですか?」
「当たり前でしょ! 私とお姉はずっと一緒なんだから!
世界を敵に回したってお姉の傍は離れないよ!」
「あははっ! 何ですかそれは」
互いに堪えきれなくなった笑うと、目頭が熱くなる。
笑いすぎて涙が出てしまった様だ。
私は涙を指で掬うと、乾いた喉を潤す為にカップに口を付ける。
しかし……話している最中にいつの間にか飲み切ってしまったらしく、
中身は既に空だった。
すると、妹がそれを見て立ち上がった。
「あ、もう紅茶切れちゃったね。私淹れてくるよ!」
「ありがとう。確か……父様から届いた良い茶葉がありましたね。
それでお願いします」
「了解! 暫し待たれよ!」
妹が急に武士口調になったので、また笑みがこぼれる。
私はこの日常が……かけがえなく大切なんだ。
(…………?)
キッチンへ向かう彼女の背中を見ていたら……嫌な予感がした。
離れたくない。今ここで見失ったら二度と会えない。そんな感覚。
「星奈……やっぱり、お茶はいいわ。戻って来て……?」
私は、彼女に声を掛ける。もはや喉の渇きはどうでも良い。
今はただ、安心したい。
でも、彼女に声は届いていないのか、星奈はどんどんと先へと進んでいった。
ぞわり……と、凄まじい悪寒がする。
体が急速に冷えて行って……恐怖が体に巡っている様だ。
「待って……行かないで……!」
私は、追いかけようと足を踏み出す。
その瞬間、体はグッと重みを増した。
走る事もままならず、歩き方を忘れてしまったかの様に。
「……!!」
(声が……!?)
距離が遠くなっていく事に恐怖を感じて、
私は、星奈に向けて大声を出そうとしたが、もはや声すらも出せなくなり、
体がゆっくりと地面に沈みこんでいく。
(置いていかないで!!)
必死に天へと手を伸ばすも、その思いは届くことは無く、
やがて視界は闇に呑まれていった。
ーー
「待って……!」
暗闇の中、私はどうにか這い上がろうと叫びながら手を伸ばす。
すると、いつの間にか私はベッドの上に居た。
「ここは……さっきのは……夢?」
目頭が熱い。触ってみると、涙が乾いた感触がある。
知らない風景、知らないベッド。知らない服。
「そう、だ……」
脳裏に、豪華な服を着ていた人達が浮かび上がり、
周囲の風景と記憶を照らし合わせる。
現実的に考えたいというのに、その思考は否定されて、
有り得ない憶測が肯定された。
胸が苦しくなって息が詰まる。
涙腺が壊れて涙が止まらない。
「こっちが夢なら、良かったのに……」
忌々しく呟いても、決して覚める事のない悪夢の中、
頭に残っているのは、鮮明に残る夢の最後。
私は、置いていかないでと……強く願っていた。でも……。
「……置いていったのは……私の方……」
どうやら、私は異世界転移をしてしまった様だ。