プロローグ
ある日、通学路の海岸線で俺は彼女を見た。日光を反射しているような眩しい砂浜にて、彼女は潮風を操り黒く美しい髪をたなびかせる。目がちかちかするほど白い砂浜と、人工的に造られたように綺麗な黒髪が生み出すコントラストに俺は目を奪われた。
俺には到底手が届かないような存在だと思うほど綺麗だった。例えるなら素晴らしい絵画を観てるような。だが、俺は心の何処かでは分かっていた。実際にはそんな事もなく、ただの一クラスメートだと言うことを。砂浜に立つ彼女を見つめながら
「俺じゃ、額縁にもなれないな。」
ため息混じりに呟く俺の自転車は後輪に別の自転車の前輪がぶつかる。幼馴染の佐久間千鶴だ。
「自転車止めてまで何見てんの?」
佐久間は不思議そうに俺に問いを投げ、俺の視線の先を見るや否や数秒後にこう続ける。
「ははーん、さては狙ってるね?白浜彼方ちゃんだよ。あの子の名前。」
佐久間はそんな風に俺をからかうが今はそれに答えを出すことが出来ない。
「違う、海が綺麗だなーって」
綺麗だと思ったのは事実だ。
佐久間はニヤリと悪どい笑みを浮かべると、口を開く。
「たしかに、あの子綺麗だよね」
佐久間に隠し事は無理だ。バレているのは火を見るよりも明らかだが、反論すると確証を与える事になってしまうので何も言うまい。
最近の若者はなにかと他人の恋愛に興味があるらしいが、俺には理解できなかった。他人のことなんてそんなに気にならない。ただ、白浜彼方という人間とも芸術作品とも取れるような存在を除いては。それとも、これを一目惚れと呼ぶのだろうか?自分で結論を出す事が何故か出来ない。上手く言えないが、絡まったイヤホンに抱く感情のようだ。
「あの子?なんの話?あ、よく見たら誰か人が立ってるな」
こんな誤魔化し方しかできない俺は、不器用なのかもしれない。そもそも、誤魔化せてすら無いだろう。ただし、認める事とは程遠い。
おろしたての制服はまだぶかぶかで、とても不格好だった。だが、潮風が袖口の隙間から服の中を吹き抜けていくというのは、非常に心地良かった。
佐久間はまだ止まって海を眺めていたので、俺は撒き餌をする。
「早くしないとおばちゃんの定食売り切れるぞー」
佐久間を釣るには餌が一番だ。
佐久間と昼食を食べて帰宅してふと、あの情景が頭に浮かぶ。佐久間は俺が彼女、白浜彼方を好きだと言った。
俺は多分、恋をした事がない。故にこの気持ちに名前をつけるのはとても難しい。仮にこれが恋だとして、俺はこれからどうすれば良い?話した事も無いのに。そもそも彼女にとっての何になりたいんだ?
疑問の連鎖を断ち切るために佐久間に連絡しようと思い携帯を取り出すが、辞めた。佐久間に頼ってばかりでは俺はいつまでも前に進めないと思ったからだ。
次の日、学校に行く途中に佐久間と通った海岸線にもう一度彼女を求めるように俺は自転車のペダルを踏んだ。昨日は綺麗に見えた海も何故か昨日より暗く見える。それは空も同じだった。そこからまだ昨日の景色を頭から切り離すことができず二十分程、自転車を走らせて、ようやく学校に到着する。
本当に20分経過したのかと思うほどあっという間だった。
教室に行くと、友達の坂上・田村・笹木がいつものようにふざけあっていた。この見飽きた映画みたいな日常も、最後の一年だ。最後の一年が始まった。終わりの始まりというヤツだ。
坂上は笹木の筆箱を取り上げて田村にパスしようとしたがその筆箱が田村に届く事は無かった。
教室は静まり返り、田村御一行は青ざめていた。
「何?これ、心の準備は出来てる?」
白浜彼方の頭に装填された笹木の筆箱は白浜という名の砲台によって校庭に発射され、見事に着弾した。
勝手に取り上げられた挙句に投げ捨てられる笹木は年度に最悪のスタートを切ってみせた。
これで朝のホームルームにはほぼ間違いなく間に合わないだろう。
「俺の筆箱があああ!!!!やべあと2分でせんせー来るじゃん!」
笹木は叫びながら教室を飛び出し、クラスは笑いに包まれる。ただ一人、白浜彼方を除いては。
昼休み、俺は白浜彼方を探し、図書室の前の廊下を歩いていた。
「珍しいね、陽ちゃんが人探しなんて。」
こんな呼び方をするのは佐久間の他にはいない。俺の名前、日向 陽介の陽から取っているらしい。
ところで人探しなんて一言も言ってないのにこいつはやはり、妖怪なのだろうか。
「そうかもね」
無愛想な返事をしてこれ以上話題が広がらない事を願った。
「白浜さんでしょ?」
ニヤニヤしながらそう言い放つ妖怪は本当にタチが悪い。白浜という名前を聞くだけで俺の心には波紋がおこる。
その波紋が読み取られているかのようだ。
「そうだよ。なんかわるい?」
俺は隠しても仕方ない事を悟り正直にそう伝えた。伝える事に加え、開き直った。
「何よ?もしかして怒った?」
不安げに尋ねてくる佐久間に俺は焦りを覚え
「いや、ごめん、そういうつもりじゃ無いんだけどさ。」
と苦笑いを顔に浮かべながら言った。
その時だった
「ちづるーっ!」
二階と三階をつなぐ階段の踊り場に立った頃、聞き覚えのない声が階段の上方から聞こえたのでそちらを向くと、白浜彼方が立っていた。
「彼方ちゃん!」
そう応えるのは驚くべきことに隣の妖怪だった。
「お前、仲良かったんだな。」
今度こそ悟られぬ様にしらけた顔で佐久間に言い放つと
「ごめんねー彼方ちゃんと付き合うのは私です。」
調子の良いところは昔から変わらない。幾度となくこの元気には救われたが、今では少し苦手だ。
そんな会話をしているうちに白浜彼方は軽快なステップで階段を駆け下りてきて佐久間の隣に並ぶ。
「二人で飯でも食ってこいよ、俺は田村達と食べるからさ。」
心にも無いことを口から吐く自分に嫌悪感を覚えたが、構わない。
「えー一緒に食べようよ」
その誘いに乗ってしまいたいが、白浜彼方から悪く思われたくない。
「いや、遠慮しときまーす」
と、とっさに後悔に塗れた言葉を放ちその場を去ろうとした時
「そう?じゃあ行こっか」
そう言った佐久間の隣の白浜と目が合った。
一体、何秒ぐらい経っただろう。きっと、一秒にも満たない時間は体感で十秒、いや二十秒ぐらいには感じられた。
今思えば、気づかなければ良かったのかもしれない。これが恋だと。