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海の女神 テティス

 ―――――この聖域に悪魔が入って来た!!―――――


 その聖域は混乱と恐怖に包まれていた。

どこに天井があるのかわからない天高く、どこまでも広い新しい聖域。

だが、その空間の奥深く、上から下にカーテンが風に舞うような形に成形されたサンゴの隙間から

漏れ出る紫黒い瘴気に、ルカ達は気付いた。


「あそこが、テティス様の台座だ…」


ルカが先行しようとするバルフを制止する。


「俺が防御障壁を展開して見てくる。」


ロイドがそう言って、防御障壁を展開しようとした瞬間、その手にアイクが触れた。

今まで、おどおどしたアイクしか見てこなかったロイドが、そのアイクの表情に驚いた。

警戒した瞳に、こめかみから流れる汗。


「ロイド、女神を覆う瘴気は今まで相手にしてきたものとは、別次元だ。触れただけで肌が爛れ

腐れ落ちるぞ。僕が結界を作るから、ルカとロイドは自身の魔力をマールとマエルの持つ石に聖力(せいりき)を送って、浄化の魔力を溜めるんだ。」


「まるで別人だな、アイク。頼もしいよ。けど、どうやって石に聖力を送るんだ?」


ロイドの質問に、聖女モモから受け取った聖蛇のピアスに宿る、雷神トールが応えた。


『案ずるな、ロイド殿。彼女たちの持つ石に手を掲げ、念じれば良い。ピアスに眠るナーガの力が

そなたの魔力を通じ、石に吸収される。』


トールの助言に、ロイドは頷くと、イーサンの両肩に乗るマールの持つ石に聖力を送った。


 続いてアイクは、リリンの名を口にした。


「リリン、貴女の結界を展開してほしい。」

「え?アンタが結界作るんじゃなかったの?」

「貴女も気付いているだろう?この瘴気には悪魔の魔力が混在してる。僕の結界だけじゃ簡単に瘴気に掻き消される。この瘴気に混ざっている悪魔の力は“ベルゼ”だ。」

「え……―――――」

「僕のこの呪印は“ベルゼ”に付けられた。もう、ただで殺される気はないよ。多少でもあいつの力を利用してこの場を打破するんだ。貴女の結界に僕がヤツの邪気を利用して結界に織り交ぜる。」

「ちょっ、ちょっと待って、“ベルゼ”様って魔王(パパ)の配下だよ!?そんな…こんなこと…」

「下剋上でも考えてるんじゃないの?どうでもいいよ、とりあえず、結界。早く。海の女神助けたいんでしょ?」


 この時、アイクの使役妖精タルジュは、アイクの考えを止めようと、一歩踏み出したが、アイクが今までに見せたことのない笑顔でタルジュに笑いかけた。


「タルジュ、結界を糸状にしてリリンの結界を沿うように張って。」

『――――――っ…』


 タルジュは、アイクの言う通り、リリンの張る結界に対して、それを沿うように氷の結界を張った。

そのタルジュの結界に更にアイクが器用に呪印の魔力を通していく。自身に掛けられた呪印の魔力を利用する。これは施術者に対する裏切り行為を示すもの。それ相応の犠牲はつきものだった。

 アイクは、激痛をものともしない表情で、結界を作り上げ、紫黒い瘴気避けの結界を造り、ロイド達を見て、コクリと頷き、海の女神の下へ続く道が整ったと合図した。


「ポッチェ達は、ここで待機していてくれ。」


ロイドの指示に、ポッチェ、クアラ、ベルグ隊長は頷き、従った。


 ジワジワとアイクの右腕が赫く染まり、それは滴り落ちていく。結界の中をアイクに続いて進むロイドが、足元を滑らせる液体と、その匂いに気付いた。


「アイク!?」

「集中して、ロイド。気を抜いたら、女神を瘴気から救えない。」

「あ…ああ…―――――(この出血量、ただ事じゃない。アイクは大丈夫なのか?)」


ロイドは雷神トールに問いかけたが、返事は返ってこなかった。


遺跡パムッカレの様な段々状の道を進み行くリリンの目前に倒れる女性、海の女神テティスが現れた。

と、同時に海の勇者ルカがテティスを抱き起そうとした時だった。


「触れるな!」

「!? アイク?」

「女神の体にはこれより邪気の濃い瘴気が纏わりついている。僕が相殺するから、そしたらロイド達で浄化するんだ。」


――――――――ボタッ…パタタ…


「ア…アイク!?なにしてるんだ お前!?」


辺りの瘴気が少し晴れた瞬間、吐血と鼻血、そして呪印を施術された右腕から左胸に掛けて血だらけのアイクがロイド達の目に映った。


「手当を、早く…!」


イーサンがそう声に出すよりも前に、アイクは笑顔で口だけを動かした。“あ・り・が・と・う”


 アイクがリリンを結界内に押しのけて、息絶え絶えに苦しむ海の女神テティスを取り巻く、悪魔“ベルゼ”の魔力を含んだ瘴気を相殺した。


「――――――――――――っ!!!」


 苦痛が言葉にならないアイクの叫びと共に、女神を取り巻く瘴気は相殺され、すぐさまロイド、マール、マエルの聖力が込められた青い数珠が、聖女モモの妖精ルキスの力を借りて、聖域一体を浄化した。

 紫黒い瘴気が晴れゆく中、ロイド達が目にしたのは、血だらけでその場に倒れるアイクだった。

呪印より先の腕は相殺時の衝撃でもぎ取れ、呪印から心臓にかけて内側から獣の爪のようなもので裂けられた傷から赫い潜血が溢れ出す。


 海の勇者ルカとバルフが、海の女神テティスを抱き起す中、片やロイド、イーサン、そして待機していたポッチェ、クアラ、ベルグ隊長がアイクの惨状に何も出来ずにいた。


「……ゴフッ…それで…いいんだよ…マール……マエル」

「――――――じゅ…呪印を正しく解除しなかった…から…?」


クアラが両手を口に当て、震える声と目に涙を溜め精一杯声を出す。

そのクアラの言葉にアイクは肩で息をしながら、微笑んだ。


「ぼ…くは…最後の…最期で魂を…救われた…ゴッ…ホッ…タルジュ…イヤじゃなかったら―――――」


 もう何も映さないその瞳で上を見上げ、最期にタルジュの名を口にしたアイクの魂は

静かに眠りについた。

と、同時に、涙を堪え、拳に力を入れるポッチェの足元に氷の陣が発現した。


「え…っ?」


 氷の陣の発現が消えると、ポッチェの目の前に、今まで映らなかったマール、マエル、トール、そして

タルジュと呼ばれていたアイクの妖精の姿が入って来た。


―――――― イヤじゃなかったら、ポッチェを護ってあげてくれないかな――――――


『テイマー、ポッチェ様。私の最初のご主人の最期の言葉です。どうか、あなたを護らせて下さい。』


 タルジュが静かにポッチェに近づき、その手に触れた。

ポッチェはその場に膝を付き、タルジュの両手を掴み上げ、額に付けた。


「ワタクシを助けてくれたのは、彼か?」


 バルフの腕の中で、血だらけの骸だけとなったアイクに目を止める海の女神テティス。


「はい、彼、アイクという少年です、テティス様。」


海の勇者ルカが、静かに答えた。自分は何も出来なかったと手に力を入れて。


「――――――では、アイクを静かな場所へ送りましょう。人魚達よ、聖なる舞を、皆、彼の安らかなる眠りを祈るのです。」


 テティスの掛け声と共に、皆の祈りが一つになった時、アイクは足元から泡になって消えて行った。

おどおどとした、少し気弱な少年がアイクだったのか、冷たい目をした、冷酷な少年がアイクだったのか

本当の彼は誰にもわからなかったが、ポッチェをはじめとするアイクを見送った一行は、その最期の泡、一つまで、見つめていた。


 改めて、浄化された台座に腰を下ろした海の女神テティス。その台座を囲むように片膝を立て、武器を降ろしテティスの話に耳を傾ける一行。


「よく来てくれました。聖蛇ナーガの使徒たちよ。そして、あなた達の無事も確認出来てワタクシは安堵していますよ、ルカ、バルフ。」

「ありがとうございます、テティス様。実は彼らは…――――――」


ルカが説明しようとすると、テティスは手を挙げ、ルカを下げた。


「すべてわかっています。妖精王への道を開くのに、“虹の雫”が必要だということ。それよりも、

ワタクシはあなたたちに、謝らなくてはなりません。」

「―――――?」

魔王(サタン)の娘、リリン。あなたは彼の名をご存じのはず。悪魔ベルゼブブ。現在魔界の魔王(サタン)に次する力を持つとされる悪魔です。」


リリンが黙って頷く。


「あやつがこの地底魔王サハマジャの復活を目論む、全ての黒幕なのです。遥か昔に勇者と妖精王で倒した地底魔王サハマジャの邪気を封印した“闇のオーブ”。

ワタクシは聖蛇ナーガにその命を賜り、ずっとこの聖域で封印してきました。しかし、ワタクシもこの聖域を過信しすぎていたのでしょう、ごめんなさい。結界のわずかな歪に気付かれ…ワタクシは襲われる瞬間“闇のオーブ”を五つに割りました。しかし、わかっているだけで、欠片の二つは“ベルゼ”が。そして三つ、聖蛇の娘、モモ殿がナーガのペンダントに封印している。まだその事実を“ベルゼ”は掴んでいないようです。もし知られてしまったら、今、彼女モモ達がいるカピルス村に総攻撃を掛けられ、封印まで解かれてしまったら、地上界は崩壊するでしょう。」


 テティスの言葉に“虹の雫探索一行”がごくりと唾を飲む中、ロイドが冷静に一言口にした。


「たしかモモ様達は“カピルス”村を魔人達から奪還するに向かって…モモ様がどうやって“闇のオーブ”の欠片を三つ見つけたか知らんが、かなり危ないんじゃ…――――――」

「そう…だな。もう奪還どころではなく、結界展開も間に合うか…」


イーサン、ポッチェも困惑を隠せない。


「テティス様、彼らは妖精王の結界を再展開するため“虹の雫”を探しに、ここまで来たのです。

どうか御力をお貸しください。」


焦るロイド達を前に、海の勇者ルカがテティスの御前にひざまずいた。


「――――――ええ、もちろん。人魚達。」


テティスが人魚達に合図を送ると、人魚達が掌サイズの“虹の雫”をロイド達に手渡した。


「き、貴重なものと聞いていますが、こんなに?」


宝石好きのクアラもさすがにビックリの量で、両手から零れ落ちそうになっていた。


「“虹の雫”は人魚の鱗と溶岩で出来ている事は知っていますね。人魚の鱗と、この深海の海底に眠る火山の鉱物は敵の攻撃を反射する力を武器、防具に付与出来ます。必ずあなた達のこれからに役立つはず。

聖蛇ナーガのお墨付きの鍛冶師が地上にいます。時期をみて訪ねてみて下さい。

ワタクシにはこれくらいしか出来ません、申し訳ありません。」


 海の女神テティスに頭を下げられたロイド達は慌てふためく。


「そして、これが【創世の大地】の表紙の一部に填める“虹の雫”です。」


テティスがロイドの手を掴み、しっかりと握り渡した。

ロイドも託された重みを、仲間(アイク)の死と共に受け取った。


「ワタクシもいずれ聖蛇ナーガの意志をその身に継ぐモモ殿に会いたいと思っています。

その時、また皆とも会えたら嬉しいわ。

 海の事は、勇者ルカと聖獣バルフに任せて、あなた達は、どうぞ地上を平和に。」


 テティスがそう言うと、手を合わせ、祈りを捧げた。すると、ロイド、イーサン、ポッチェ、クアラ、リリン、ベルグ隊長そして妖精達を囲む陣が足元に現れ、光に包まれたかと思うと、“虹の雫探索”一行は地上ナーガ神殿に転送されていた。










お読みいただき、ありがとうございます。

至らぬところばかりではございますが、楽しんでいただければ幸いです。



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