忍び寄る闇
ここはモルネード王国、大陸を海で囲まれた自然豊かな大地の中央にあり、神聖な蛇、聖蛇ナーガを崇めている。その信仰は厚く、人々に豊穣をもたらすとされる蛇は殺めることを許されず、蛇遣い達の手によって保護されている。
王国中心部に王都ラダンディナヴィアがあり北にナーガ神殿、南に妖精の住まう聖地サーリンゼルカがある。モモが最初に降り立ったパロル村は王国の東にあり、北東に延びるモルネガングア山脈の麓にあった。
今、王国の西側に広がる森では邪悪な瘴気を発生させる陣が突然現れ、魔物が次々と猛毒変異する奇妙な現象が起きていた。人々は西側から王都や聖蛇ナーガ様に縋る様に北側へ移住する者達が増えている。
人口が増えた王都では物価も高く、生活困窮者が目立つ事態も発生している。これを見過ごす訳には行かない王国は討伐隊を結成し、日々瘴気の浄化に努めていた。
しかし、瘴気の浄化には聖属性魔法使いの浄化スキルが必要で、陣を一つ浄化するのにBランクなら8人、Aランクなら5人、最高ランクであるSランクなら3人必要だった。
しかし、聖属性魔法使いは希少でしかも成り手も少ない。
理由は攻撃スキルがないヒール専門職であり、パーティでは一番足を引っ張りやすく、戦死する確率も高い職業だった。
ただ、比較的に聖水精製者の成り手はいるが、スキルが中々上がらず、中級効果の聖水しか今は精製出来ていないのが実情だった。
ある朝、ダンっと矢が的を射る音が響いた。
「あー…中々現役には戻れないなぁ。」
バレッタで纏めていた髪が乱れ、掻き上げるとシャランと黒曜石のピアスが光った。
弓矢の稽古をしていたのは、聖蛇ナーガによりこの世界に転生したモモという黒髪の持ち主だった。
「しかし、10本全て的には収まっているよモモ、魔物は仕留められなくても致命傷は与えられると思うよ。」
稽古を側で見ていたのは銀髪のイケメン、ラウルだ。
ちなみに隣国ピーニャコルダの第二王子である。
「やるからには全部真ん中いかないと、ダメなの!」
「自分に厳しいなぁ、モモは。」
ラウルは腕を組んで、ふっと息を吐いた。
稽古場の入り口からパンパンと手を叩く音が響いた。
「さぁさ、モモ様、朝のお稽古はこれくらいにして下さいませ!もうすぐ朝食の準備が整います、お食事が冷めてしまっては料理長も泣いてしまいますわ。」
侍女3人の内、侍女長であるナーサが、残りの2人に指示を出し弓矢をテキパキと片付けていく。そしてモモは2人の侍女に手を引かれ稽古場を後にした。あーっと叫ぶモモの心の声が聞こえた気がした。
侍女達により、朝の湯浴みを終え、化粧を施されドレスに着替えたモモ。
「いかがですかモモ様、どうぞ鏡の前へ。」
鏡の前に映る姿はまるでギリシャ神話に出てきそうな女神の姿。髪は下ろして裾を軽く巻き、アイボリーのエンパイアラインのハイネック、ノースリーブドレスに合わせてレースのショール。真珠のネックレスにブレスレット。
「私じゃないみたい…ありがとうございます。
でも、朝食摂るだけなのにこんなにステキなドレスって…」
(汚したらどうしよう…)
「何を仰いますか、モモ様。王宮に住まう方としてのマナーの一環ですよ。」
(マナー…)
「それに本日の朝食には、王妃マーガレット様が同席なさいます。」
侍女長ナーサの言葉にドン引きのモモ。
「8:00のお約束です。さぁお急ぎ下さいませ。」
有無を言わさない侍女長ナーサに半ば強引にモモは朝食会場となる南東のテラスへと連行されて行った。
南東1階の花々が朝露をこぼす姿が美しいガーデンテラス。
そこには、侍女2人と赤いAラインのハートカットドレスにパールホワイトのストール、白いレース調の扇を手にした女性の姿があった。
侍女ナーサが女性に一礼した。
「王妃様、聖女モモ様をお連れ致しました。」
「ありがとう。」
王妃は立ち上がり、扇をパチンと畳んだ。
「はじめまして、聖女モモ様。
私はこの国の王妃、マーガレット・モルネードです。
今日は急なお願いを聞いて下さり感謝しますわ。さぁどうぞ、お掛けになって。」
モモは一礼し、勧められるまま席に着いた。ふと、もう一席あることにモモは気づいた。
「メアリー、ラインハルトはどうしたのです?」
王妃は後ろに控える侍女の1人に尋ねた。
「た、只今確認して参ります。」
メアリーはパタパタとテラスを後にした。
「ごめんなさいね、モモ様。今日は我が息子、王子ラインハルトにも同席を依頼したのに、あの愚息ときたら…」
「あ、いえ、お気になさらないで下さい。」
モモの笑顔は明らかに引き攣っていた。
(王妃様の威圧感半端ないっ…今すぐ部屋に戻りたいっ!)
モモの思考は侍女達にダダ漏れだった。
しばらくの沈黙を耐え、給仕たちが料理を運んできた。
緊張のあまり、とても食事が喉を通りそうになかったが、王妃に勧められ、頑張っていただいたモモだった。
焼きたてパンに、野菜たっぷりのスープにサラダ。メインの白魚料理。そしてデザートと続いた頃。
「母上、お待たせして申し訳ありません。」
ラインハルト王子が息を切らして現れた。
「食事の途中に現れるなんて、なんて事!王子として恥ずかしい。」
王妃がラインハルト王子を睨みつけた。すると、ラインハルトに付き添って来た騎士の1人が王妃の前に跪き、
「発言をお許し下さい、マーガレット王妃。」
「…許しましょう、アドルフ第二騎士隊長。」
「今朝方、南西の村シュピツにて、小規模でしたが、瘴気の陣と魔物の群が現れました。ラインハルト様指揮の下、浄化、討伐を終え、最悪の事態は免れました。この為本日の…」
「わかりました。ご苦労様です、アドルフ第二騎士隊長。
ラインハルト、掛けなさい。」
アドルフ第二騎士隊長は一礼して下がると、ラインハルトは席に着いた。どうやら今回の瘴気の陣は小規模なものだったらしく、王立騎士団と聖属性魔法師団で片付けられたらしい。しかし、その指揮を取る為、先頭に立って今まで戦っていた王子に労いの言葉がないのは物悲しくあった。
「おつかれさまですラインハルト王子。騎士団の方々の被害は?」
モモの問いに、ラインハルトは息を整え両手を組んだ。
「食事の場なので深くは言わないが、状況は良くない。シュピツ村の地下にアラネアの巣があったと報告があった。アラネアが一時後退した為、我々も一部隊を残し撤退したが、あの巣にはアラネア達を統括する女王がいるはずだ。瘴気の陣は浄化出来たが、部隊を立て直してすぐにでも…。」
給仕がラインハルトに食事を運ぼうとタイミングを狙っていたが、ラインハルトが右手を上げると、給仕は下がって行った。
「そうなると、ゆっくりは出来ないという事ですね。」
「申し訳ありません、母上。」
「では、私の質問にだけ答えて行きなさい、ラインハルト。」
「?」
ラインハルトはコップを手に取り水を口に含んだ。
「貴方が婚約者ジャスミン・フロリア令嬢を蔑ろにし、聖女モモ様を正妃にしようとしている噂は本当ですか?」
ラインハルトは口から水を吹き出し、モモはデザートの付いたフォークをドレスの上に落としてしまった。
「あ、ドレス!!」
慌てるモモに対し、侍女がすぐさま駆け寄り、ドレスのシミを落とす。
ゴホゴホと咽返すラインハルトの背をアドルフ第二騎士隊長が叩く。
「なんの話ですか、母上?」
「言ったままです。今、王族、貴族の間で話題第一位ですよ。フロリア公爵からも私宛に問い合わせが来ているのです。どういう事か答えなさい、ラインハルト。」
「や…どうしてその様な噂が出たのか、私も解りかねます。第一にモモ殿に会うのは本日で3回目ですが?」
ラインハルトの言葉を確認する様に王妃がモモに目をやる。
「ほ、本当です。私も王子にお会いするのは3回目で…」
「私を良く思わない者達の流した噂ではありませんか?
母上への問い合わせもフロリア公爵ご本人の物だったのですか?」
ラインハルトの言葉に王妃が怒りを露わにし立ち上がり、侍女の持つ書状を指した。
「私を疑うのですか!?あの書状をご覧なさい!確かに…」
その時、ルキスの声が脳裏に響いた。
〝モモ!!伏せて!!”
モモはテラスに映った光が王妃目掛けて射られた矢である事に気づき、テーブルを倒し王妃を庇う様に立ち、左肩に矢を受けた。その際、ルキスは矢が飛んできた方向へ光の矢を口から飛ばした。
侍女達の悲鳴が上がりテラス内は騒然となった。
「アドルフ!!犯人を捕らえろ!!絶対に逃すな!!矢手は東塔だ!!」
「はっ!!」
アドルフ第二騎士隊長は近くの衛兵、騎士達と共に東棟へかけて行った。
「モ…モモ様。大事ないか?」
王妃がモモに掛ける声は震えていた。暗殺対象が自分であると認識したからだ?
「…は…い。だいじょうぶ…です。」
モモは左肩に触れた。
(矢が…深い…)
何故か触診した時、矢の位置が頭の中にハッキリ写った。まるでレントゲンの様に。
更に悪いことに毒矢だった。左肩の傷口が紫黒く爛れてきた。モモは矢を抜かず毒の浄化治療だけをした。傷から流れ出る血はヒタヒタと音を立てて床を赤く染めた。
テラスに救助隊の騎士が駆けつけ、モモは医務室に運ばれた。
「…なんて事…」
王妃はその場に崩れ落ちた。侍女、騎士達に支えられ王妃はテラスを後にした。
「モモ!!」
バンッと医務室のドアが開き、ダンとラウルが入ってきた。上半身が手当てではだけていたモモは思わず近くにあった毛布で身を隠す。
「きゃーーーっ!!」
ラウルは少し頬を染めるも、ダンの目だけ覆った。
「大丈夫かモモ⁇」
着衣を整えたモモにラウルが駆け寄った。
「い…今のが一番大変だった!!」
モモの元気そうな声を聞いて、ラウルは胸を撫で下ろした。
「モモ様はお召し替えされます。殿方はどうぞ部屋の外へ。」
侍女達に医務室から追い出されたラウルとダンの前にはラインハルトが立っていた。
「王の間に」
ラインハルトはクイっと右手親指で行き先を示した。
王妃暗殺の件はすぐに国王ブラスベルトの耳にも入り、フロリア公爵も王宮に呼び出される事態となった。
「そ、それは、確かに私の封印ですが、筆跡は私のものではございませんっ…」
フロリア公爵は、王妃への書状に関し覚えがなく事実無根と言い、更に公爵に書状実物を見せた時、全員の目の前で紫色の炎に書状が包まれ消滅した。
「今の炎は…瘴気の陣の色…?」
と、ラインハルト。そしてフロリア公爵があることを口にする。
「あのサインは私のものではありません。私はサインには必ず斜線を引きます。今のサインには斜線がなかった。」
王の間に沈黙が走る。
「一体誰が…」
ラインハルトは髪をクシャっとかきあげた。
「王妃もプライドが高い性分で、更に王立聖水研究所の責任者としての顔もある。敵も少なくはない…」
国王も両手を顎の下に添えた。
王の間の扉がノックされた。
「失礼します。」
アドルフ第二騎士隊長が騎士二名を引き連れ入ってきた。
「矢を射た犯人の身柄を拘束しました。塔から落ちた時に骨折、打撲はありましたが、命に問題はありません。そして、これらが犯人が所持していた物です。」
騎士2人がテーブルの上に、ナイフ、羅針盤、そして茶色の小瓶を並べた。
「その小瓶は何だ?」
ラインハルトがアドルフ第二騎士隊長に問う。
すると、騎士の1人が答えた。
「こちらは毒液です。恐らくモモ様の受けた矢尻につけたものと思われます。」
その言葉にダンが反応した。
「それ、見せて。」
「ダン⁇」
ラインハルトが不思議そうにしている。対してラウルは“ああ”と言う様にダンと目を合わせた。小瓶を手に取り蓋を開けたダンは使役する妖精の名を呼んだ。
「アクア」
すると、どこからともなく水が一点に集結し、踝までのオフホワイトの髪に、ラブラドライトに輝く瞳。ターコイズブルーのVネックマキシワンピースに身を包んだ妖精が現れた。
ダンは異端で2体の妖精を使役出来た。ちなみにこの王の間で妖精が見えるのは、ラインハルト、ラウルにダンだけだった。
アクアは水の妖精で、水に関する物であればその精製工程まで追う事が出来た。
小瓶に手を翳し意識を集中させる。
しばらくして、口を開いた。
「これは西の森から黒い魔法陣でこの国に侵入。
どこかはわからない、真っ黒なフードを被った者から手渡されている。
地下…?洞窟みたい。誰かが精製してる。
水は…この滝…ピーニャコルダのコンウィの滝のもの。」
その言葉に一同が静まり返った。
「ピ…ピーニャコルダ?コンウィの滝⁈本当かっ⁇」
ラウルがアクアに問いかけると、ダンがラウルを静止した。
「アクアは嘘言わないよ。」
「ーーーっ。」
ラウルは信じられない、信じたくはなかった。ピーニャコルダはラウルの故郷だったのだから…。