隷属契約
幼い頃、ボクはラダンディナヴィアという街に迷い込んでしまった。蜘蛛であるボクは人間の大人達からは忌み嫌われ、箒や、棒で追い払われ、子供に見つかれば踏み回された。ボクが命からがら逃げた先はギルドと呼ばれる冒険者が多く出入りする場所だった。ボクは建物の隅に身を寄せ息を潜めていたけれど、一人の子供に見つかった。
「父様、珍しい白い蜘蛛がいます。」
子供の言葉に耳を疑った。ボクが珍しい?白い?
「おお、まだ幼い魔物だがアルビノのタランチュラじゃないか。どこから迷い込んだのかねぇ、だがこのタランチュラは我がギルドに幸運を齎してくれるぞ。」
「アル、ビノ?どうして幸運なの?」
子供の疑問にボクも耳を傾けた。
「白い蛇や蜘蛛は神の御使いとして崇める教えも世の中にはあるんだよ。金運、仕事運などを上昇させてくれるらしい。
俺はそいつを信じているからな、折角うちに来てくれたんだ、歓迎するさ。リンツ、おまえはどうだ?」
その子供の名前はリンツと言った。リンツは金髪の長く伸ばした髪を後ろに一つ束ねた、青い瞳の男の子だった。ボクの事を不思議そうに見つめる。その時ボクにはもう逃げる力なんて残っていなかった。
終わった…。どうせこの子供も大人がなんと言おうと、他の子供達の様にボクの事を…。
「うん、父様、僕も信じていいですか?」
リンツはそう言うと、ボクにそっと触れた。その手が優しく温かかった事を今でも覚えている。
「そうか、じゃあ我がギルドの小さな守り神として大事にしなきゃな!」
「うん!!」
ボクはリンツの手の中に包まれた。
その日からギルドカウンター内にボク専用の場所が設けられた。カウンター内や事務所、好きな所に動け、蜘蛛ながら人間達の動きを見て仕事も一通り覚えられる時間をそこで過ごした。
そんなある日、ボクを最初に歓迎してくれたリンツの父親、ギルド責任者が大病を患い伏せがちになってしまった。ギルド責任者の交代も国から提案があったが、リンツが後を継ぐ事を決意した。当時リンツら王立騎士団学園で5本の指に入る実力者だったが、ギルドを継ぐ為中退した。
「父様が、築いてきたギルド、僕が守るから。」
ボクは、そう決心したリンツをずっと見ていた。失敗に落ち込んだり、陰で泣いたり、ランクの上がった冒険者と喜びを分かち合ったり…色々な場面を見てきた。リンツは1日の終わりに必ずボクに触れて言う事がある。
「ペル、おまえがいてくれるから頑張れるよ、ありがとう。」
ペルと言う名は、リンツな父親とボクの種を調べて、ブラッチペルマと判った時に、ペルマのペルを取って付けてくれたボクにとっての宝物。
それから数ヶ月後…病に伏していたリンツの父親が亡くなった。リンツは父親との別れの際、ボクを抱きしめて誓った。
「立派なギルド責任者になるよ、父様。ペルと一緒に。」
ボクはその時思い出した。どうして人間の街に迷い込んだのか。今ならわかる。ボクは同族にも、家族にも色の違いから嫌われていた。ある日、兄蜘蛛達から崖に追い込まれ闇深い森に落とされたんだ。ボクがボクで居られる場所は…。
ギルドを訪れる冒険者の中には魔物もいた。
人間に認められ使役された魔物。人化しているタイプもいれば、魔獣の姿のままのタイプもいた。冒険者達の話で聞いた、魔物が人化する方法。それは、千年以上生きた上級の同族種の血を口にする事。
ボクはリンツに別れを告げずに旅に出た。いつか人化出来たら、リンツの元に戻って、キミの力になりたいから、だから黙って離れる事を許してほしい、忘れないでほしい、たとえ忘れられてしまっても、その時はまた…。
そうしてボクは闇深い森でナルボンヌ様に会った。
ナルボンヌ様は妖艶な雰囲気を漂わせ、蠱惑的な瞳に絶大な魔力。ナルボンヌ様の側には既に、フォニュリアードや、グリンボルト・ブルーがいたが、ボクのアルビノを珍しく思った様で、すぐに血を分け与えてもらえた。ただ、人化した当初は魔力を失う。人化出来ただけではリンツの役には立てない。ギルドには荒くれ冒険者も来るから、そう考えたボクは、しばらくナルボンヌ様の下で生きることにした。
「…ペルって言うのね、あなたの名前。」
「エ…?ボクノ記憶…」
モモの手から温かい黄色い光が消え、ウッコンは傷も魔力も回復した。血と土で汚れていた躰はアルビノのタランチュラ姿に戻っていた。
「ボクノ体…ナルボンヌ様ノ、闇ノ力ノ、影響デ、赤クナッテ、イタノニ…」
「ふふ、よくわからないけど、素敵な色ね。赤だったあなたよりも。私も拝めてうれしいわ。」
モモの自然な優しい微笑みにウッコンは見入ってしまった。そんな和やかな空気を壊したのは、分厚い本を片手に、目の据わったルキスだった。
「こっちもよくわからないけど、取引でしょ!早く檻からモモを出してよ!」
「ワ、ワカッテルヨ、ホント…怖いな、この妖精。」
モモとルキスの前に人化したウッコンが現れた。レグホーンのツイストパーマにグレーの瞳、整った顔と、モノクロのストリート系が似合うモデルの様な青年だった。
(あ…あれ?赤い全身タイツじゃなかったっけ…?というか、この世界イケメン率高くない?)
イケメンを目の前に見惚れてしまっているモモを余所に、ウッコンは手刀で糸の檻を切り裂き、モモを自由の身にした。
「あ、ありがとう。」
イケメンオーラが強すぎてウッコンを直視出来ないモモ、に抱きつくルキス。
「良かったーモモ!ほら、こうしちゃいられないわ、早くここから出ないと、アイツ戻ってくるんだし!」
ルキスはモモを立ち上がらせ、ウッコンを睨みつけた。
「で?アンタはどうするの?取引終わったんだからさっさと…」
どこかに行ってと言うルキスの素振りを余所に、ウッコンはモモに近づき、モモの右手をとった。
「えっ…え?」
「ボク、モモの事気に入った。モモに使役してもらいたい。いい?」
ウッコンの急な申し出と展開に追いつけないモモ。
「なっ、何言ってるのー?モモにはすでにアタシがいるの!!魔物と一緒なんてゴメンだわ!!」
ルキスが二人の間に割って入る。
「そう、だよ。私にはルキスがいるし、あなたはリンツさんに会いたいんじゃ…?」
「ボクの事はペルって呼んで、モモ。もちろんリンツには会いたいし、仕事も手伝いたい、でも、モモの力にもなりたい。ルキスはあくまで補助系でしょ?攻撃系もいていいんじゃない?」
「や…そう言われても、私も…」
ペルの真剣で真っ直ぐな瞳を受け止められないモモは思わず俯いた。
「…さっき、モモがボクの記憶を見た様に、ボクにもモモの記憶と感情が流れてきたよ。」
「え…」
「モモが別世界の人間だった事、転生した事、聖蛇ナーガの化身である事。」
「あ…」
聖蛇ナーガの化身、その言葉にモモは体を震わせ、ウッコンから手を離して胸元で握りしめる。
「迷ってるんでしょ、悩んでるんだよね、モモ。この世界にも慣れない中で自分に背負わされた使命の重さに。」
思っていたことを突かれてモモが再び俯く。
「モモ?そうなの?なんで、言ってくれないの?相談してくれたらアタシ、ナーガ様に…」
「い、言えないよ…だって、私が決めた事だから…。途中で投げ出せないけど、怖くて…。人が傷ついたり、苦しんだり、私には治癒魔法があるけど、それでも目の前の命を失う事があったら、助けられなかったらって考えると…怖くて…っ。」
モモの視界が涙でぼやける。ペルが膝をつきモモに視線を合わせ、涙が溢れ落ちる前に拭った。
「だから仲間がいるんじゃないの?モモにはいるんでしょ?今、西の森側から7つの生命エネルギーを感じる。きっとその人達、モモを助けに来てるんじゃないの?」
(…他の二つも人間だけど…?)
ペルにはサーチの能力もあり、半径5キロくらいの魔物、人間の位置は把握出来た。
「本当?ラウル達じゃない、モモ!」
ルキスはさっそく動こうと小さくなった。
「ボク、ここで人化になる目的は果たしたから、もうここにいる意味はないんだ。モモにアルビノの姿に戻してもらえたし、これでリンツにも会える。モモに救ってもらった事は、モモには小さい事かもしれないけど、ボクにとっては生涯ものなんだ。キミの力になりたい。ルキスは怖いけど仲良くするから、モモ、ボクを隷属させて。」
ペルはそう言うと、モモの手を再度取り口づけした。
(ひぃ~っ…)
モモの顔が赤くなる。
「仕方ないわね!!アタシの方が先に使役してもらってるんだから生意気したら承知しないわよっ?」
ルキスは小さいまま、ペルに向かって姉貴風を吹かせた。
「えっ…ルキス、いいの?」
「だって、ぺ…ペルったら隷属契約する気満々だし、しない限り離してもらえないみたいよ、アイツの檻を抜け出すより難しいわ。」
ルキスが恥ずかしそうにペルの名を口にし、やれやれといった素振りを見せる。
(本当はルキスもお友達欲しかったのかな?…魔物だけど…)
すると、ペルはモモの左手を取り、自分の右手を合わせ契約紋を浮かび上がらせた。
「じゃあ、ルキス姉の承諾もいただいたし、契約するねモモ。」
「ちょっ!呼び方!!」
文句ありありのルキスの前でペルは右親指を嚙り、血を一滴モモの左手上に浮く隷属契約紋に垂らした。
「我の名はペル。ここに命尽きるまで我が主人、聖女モモの剣となり盾となる事を誓う。」
すると、契約紋がモモの手に吸い込まれる様に消えて行った。
「わっ…」
「これで隷属契約は終わりだよ。その証にコレ。」
ペルは上着を少し上げて心臓を指した。さっきの契約紋が胸に刻まれていた。
「コレはモモに隷属した証、モモの居場所やステータス、感情もボクは読み取れる。モモの魔力が少ないと判断したら自動的にボクから流れるし、モモが絶命したらボクも死ぬ。」
「へぇ、妖精を使役するのとは勝手が違うのね。アタシ達は魔力分けなんて出来ないし…ってモモ聞いてた?」
モモは今までまともに健常な男性の体も見た事がない。診てきた患者との体つきの違いに、ペルの美肌とキレイに割れた腹筋に心臓バクバクで、両手で覆う隙間から少しだけ契約紋をチラ見したくらいだった。
「き、聞いてたよっ」
(は、鼻血でそうー…)
ペルはそんなモモをクスッと笑うと着衣の乱れを直し、モモの両手を取り、甘い声で囁いた。
「何があっても、モモはボクが守るから、これからよろしくね。」
カツカツと洞窟内に足音が響く。
「サッコンのヤツ、手間かけさせやがって。」
フォニュリアードは口元の血を拭った。自分の部屋の前でドアノブに手をかけた時、ふとサッコンの言葉が頭をよぎった。
『ナルボンヌ様はただ眠っている訳ではない。闇の力を手にされて、ご自身の魔力と調和させ安定するまで深い眠りにつかれているだけだ』
(…闇の力?調和、安定…安定したら?もうナルボンヌ様が眠りについてから半年、棲家の移動もナルボンヌ様自身が決めた。魔物と妖精の混在する国、そして村の地下に。…ここに移動した意味は…?)
フォニュリアードが考察している背後に紫黒い影が現れた。ハッと振り返るフォニュリアード、そこには…。
「な、ナルボンヌ様!!」
今まで眠りについていた女王蜘蛛ナルボンヌの姿があった。
「お目覚めに、なられたのですね。」
ナルボンヌの蠱惑的な笑みに息をのむフォニュリアード。
姿は今までと変わらない。淡い桃色の肌に腰までの長い紫色の髪を左肩にハーフアップに纏め、残り髪を垂らした赫い瞳を持つ千年以上生きる女王。変わったのは、魔力の質と量…そして絶対的な存在感。その圧倒的なエネルギーは輪郭を捉えられない程、計り知れないものになっていた。
「妾が眠っている間、ずいぶんとやんちゃをしたものね、フォニュ?」
ナルボンヌが立ちすくむフォニュリアードの右頬に触れる。ナルボンヌから目を背けられないフォニュリアードは今まで感じた事のない恐怖に襲われていた。体中を冷たい汗が流れた。その時、ナルボンヌの右手が頬から首筋を伝い右胸で止まった。自分の鼓動が耳に響く。次の瞬間、ドクンッと核を握りつぶされた様な衝撃が全身を走った。
「ぐっ、ああああ…あっ…」
フォニュリアードは右胸を押さえ倒れ込む。全身に痛みが走り息が出来ない。
「はっ…な、に…をっ…」
息苦しい中、全身で呼吸し、やっと言葉を絞り出す。
「覚えがないとは言わせない。妾の忠実なる僕、ブルーをよくもあの様な姿に。」
あの様な姿、サッコンは人化を保てない程のダメージを受け、ひどい出血の上、脚は全て潰されていた。
「言い訳などいらぬ。其方はこれからお楽しみであったか?ブルーが妾の為にと捕らえた聖女、その生き血を飲むつもりであったのだろう。聖女の生き血は甘く、我々魔物を不老不死に近づけると言われていたな、だが残念。その聖女はもう其方の部屋にはおらぬ。」
「!?」
ナルボンヌはゴミを見るかの様な眼でフォニュリアードを見下ろす。
「ブルーも詰めが甘い。其方も見ていたであろう、ブルーがペルマを刺し殺す様を。」
ナルボンヌの言う通り、ブラッチペルマが人間を始末するのをやめ、脱線した際、グリンボルト・ブルーの毒槍に突き刺され、死んだと思っていたフォニュリアード。
「ま、まさか…っ」
「そのまさか。ブルーの毒槍はペルマの核を傷つけてはいなかった。其方が部屋を空けている間に、聖女はペルマと共に逃げたわ、やってくれたわペルマ…まぁ、彼奴は元より妾の部下になりたい訳ではなかった。毒化の呪式も避けていたからな。」
ナルボンヌはそう言うと、倒れ込むフォニュリアードを糸で吊し上げ右手で首を絞める、その鋭い爪が首に食い込んだ。
「…はっ…がっ…」
「其方に妾の悲しみ、苦しみはわかるまい、もう妾は個を持つ部下などいらぬ。其方もブルーの様に妾の道具と化すがいい。」
ナルボンヌはフォニュリアードの首筋に噛み付いた。
「…あ…ア…ァ」
白目を剥いて痙攣を起こすフォニュリアード。ナルボンヌは口に付いた血を拭った。
「ふふ…聖女の生き血か、どれほど美味か楽しみだな。
アラネア達よ、我が棲家に入った鼠一匹たりとも逃すなよ!」
ナルボンヌの瞳が妖しく光ると、洞窟内に潜むアラネア達の目も赫く光を放った。




