六気流の応用2
さて、ここでは、人間の限界を超えた気流というものを例示していこう。
例えば、呼吸しない人類。
心臓が動いている以上、呼吸というものは明らかに必要なものである。しかしながら、肺に酸素を取り込まずして、呼気を取り込んでいる人がいる。筆者、瀧口心一朗である。
浮気というものをやはり、呼気として、天から取り込んでいるのである。
大きな生命体と私は言えるだろう。実際、私の言う人間というものは、この広い天からそれだけの呼気を取り込んでいるのである。
呼気をして呼気で安定を計る。まさに、浮気の代名詞と呼べるだろう。
その呼気は地中からも引き上げる事が出来る。大地の力というもの、星というものは、一つの呼気であるので、重気を用いて、星そのものから呼気を引き上げる事が出来る。
そういう意味で、重気は安定的である。浮気というのは、安定に欠けて、たまに、気の向くがままに、人体から酸素を取り入れようとするのである。
重気は安定的である。心臓がドクドク言っている時も、利き腕に溜まった重気をもって、沈める事が出来る。それが重気というものである。
鎮める事、これが重気であるのだとすれば、陰陽師等の祟り神を鎮める手にも重気があったのである。
であるなら、手先や足先から重気が出て来るので、作業をすればそれだけで、気持ちが落ち着くものなのである。
すなわち、人間は機械的な作業というものと共存して、重気を体の隅々(すみずみ)まで行き渡らせているのである。
私には、重気というものが足りない為に、作業を投げ出してしまいがちだが、ちゃんと重気を学ぶ事で、その弱点も補われる。すなわち、十の型を覚えて実践していければいいのである。
重気は歌声とも深くリンクする。安定的な声を出すには、重気を扱う事が欠かせないものである。重気は正十の型を始めとして、少し多くの型がある為に、入門が大変だが、しかし、その一つ一つに意味があり、それを学ぶ事で、歌声とも融和する事に成る。
いわゆるリップロール等も出来ない人はこれに学べ。
重気はいわば、型に嵌らない正座でも十分に、入って来るものである。正座から入門するというのもアリと言えばアリだが、いわば、リラックスしながら、学ぶならば、正、小、極小なのである。いわば、十の型である。
十の型は、外気の中の重気をも感じる事が出来る為に、重気を受ける四の型、流す三の型、安定の三の型と成っている。
であるならば、重気を基調として、人間の体重すらも重気に変えて、扱う事も出来るのであるのである。重気は安定的に重気を生む為に、”人間の体重”という発想に至るが、それも重気の特色の一つである。であるなら、神も体重いかんに依らず、安定した供給を計る事が出来よう。