第五章之終 そして、ナライは一人海原を征く(終)
ナライ ……真・主人公。兄。二人を置いて一人帰路へと着く。
カヤ ……主人公。妹。疱瘡に罹り意識不明。
アザミ ……主人公兄妹の保護者。カヤの看病で気力尽きる。
黒雲 ……アザミの愛馬。黒い。賢い。
疾風 ……ナライの愛馬。茶色い。
はるかぜ……カヤの愛馬。白い。
小波間 ……京の海の玄関口。
京 ……秋津島の中心。朝廷が置かれる。
秋津島 ……物語の舞台となる島。
津留崎 ……陸国にある。津留崎家が差配する里。
陸国 ……秋津島最北端に位置する律令国。ナライたちの住む国。
疾風を駆っている間、ナライは何も考えなかった。
少しでも何かを考えたら、たぶん自分は来た道を引き返してしまう。そのことが嫌というほどに分かっていたから。
雨は相変らずだった。強くもならなければ弱くもならずに振り続けるその雨は、ナライの体を容赦なく打ち続ける。
「やっ! はっ!」
体の冷え切ったナライは、一層気合を入れて疾風を押しまくっていた。
疾風はもう十分過ぎるほどに駆けている。これ以上無理をさせたら、疾風はおそらく潰れてしまうだろう。
それでもナライは疾風を押し続ける。
そうすることでしか雑念を振り払うことができなかったからだ。
一人ぼっちの帰路。往路の時に一緒にいた三人は、誰一人としてここにはいない。
「行けっ! 駆けろっ疾風!」
雨の飛沫と跳ね上がる泥でべしゃべしゃになったナライの顔は、もうそれが誰だか分からないほど真っ黒に汚れている。
それでもナライは、そんな顔を拭いもせずに、ひたすら小波間を目指すのだった。
「――おおう! テメエらチンタラやってねえで、さっさと終わらせねえか! 払った金の分はきっちり働いてもらうぞ!」
なりふり構わない滅茶苦茶な騎乗でナライが小波間の桟橋に着くと、上京時に世話になった船の船頭が、丁度最後の積み込みを指揮しているところだった。
「だから何度も言ってるだろ! 重いのから積んでけってんだよ! ったくいくらテメエが新人だからって、同じ失敗を何度も繰り返す様じゃあ……って、お? オメエ、旦那のところのボウズじゃねえか」
思うに任せない不慣れな新人船員に檄を飛ばしていた船頭。
しかし、疾風を曳きながらとぼとぼと近づいてくるナライに気付くと、彼は積み込みの指揮をほっぽり出して、人懐こそうにナライの所へと向かったのだ。
「やーハハハ、ちょうどいいところに帰えって来たじゃねえか。オレたちゃこの雨が上がり次第出港するつもりだったんだ」
京で発生した疱瘡のことはまだ小波間に知らされていないらしく、気持ちの良い接しぶりの船頭。
一度は見知った仲になったことで、行きの時よりも距離感が近くなったようで、実に馴れ馴れしい感じだ。
「……」
しかしナライは、俯いたままで目を合わせようとさえしなかった。さすがの彼も今回ばかりはそんな気分になれないのだ。
今はただ少しでも早く、船でこの地から去ってしまいたい。
その気になれば引き返せてしまう今の状況では、いつアザミとの約束を反故にして、あの廃屋に戻ってしまうか、知れたものではなかったのだ。
「……」
ナライは懐から出した袋を船頭に押し付けた。
「何でえこりゃあ?」
「……」
問われても無言で、ただ袋を押し付け続けるナライ。
これは、この旅の始まりにアザミから万一の時にと預かっていた袋だった。
使わずに済ませたかったが、こう言うことになってしまった以上、使わないわけにもいかず。
「なあボウズよう。旦那たちゃどうしたんで?」
とりあえず袋を受け取ることだけはした船頭は、困ったようにアザミを探し求めていた。
しかし何も言わないナライ。そのまま黙って船に乗り込もうとすると、
「ちょちょ、待てって」
と、船頭に止められる。
「……」
ナライは決して船頭と目を合わせることなく、その場に立ち尽くし続ける。
その様子に只事ではないと気付いた船頭。申し訳なさそうに袋の中身を確認すると……
「ボウズ! オメエ、これ……!」
船頭はその中身に驚愕した。
袋には子どもが持つには多すぎる量の砂金が詰まっていたのだ。
「……分かったよ、早く乗んな。さっきも言ったが、オレの船ぁ雨が上がり次第出港する予定になってる。それまではせいぜい体を休めておくこった。」
ナライは疾風の手綱を船頭に預けると、言われるがままに乗船したのだった。
間もなく雨は上がり、カヤとアザミが小波間に現れることはついになかった。
船が小波間港を出ると、とうとう一人きりになってしまったナライ。
彼は、何をするわけでもなく船の舳先に立つと、ただただ海原を眺めていた。
「……」
雨が上がったばかりの海はまだ波が高く、船が大きく上下する。それでもナライはそこを動かない。
「……」
ザパンッ――ザパンッ――と船底に叩き付けられ飛沫いた潮がナライの顔を容赦なく濡らす。
灰色の空には所々に切れ間があり、そこから射し込む光がナライの心を必要以上に苛んでくる。
本当にこれでよかったのか? もっと他に手はあったのではないか? ――もう泣こうが喚こうが引き返すことはできなくなったナライ。
どうして一人で来た? アザミがそうしろと言ったから? それは正しいことなのか?
どうしてカヤを見捨てた? 母さんを一人にしておけなかったから? それは正しいことなのか?
どうして? どうして?? どうしてこんなことにっ!? ――探しても探しても見つかるはずのない答えを求め続けて、後悔ばかりがグルグルと頭の中を巡り続けるナライ。そして――
「うわああああああっっっっ!! カヤっ! アザミィ! オレ、絶対に諦めないからなあっ!!」
二人を絶対に連れ帰る。そう決意を固めたナライは、己の迷いと弱さを洗い流すため、海に飛び込んだのだった。
-了-
ここまで長いことお付き合いくださりありがとうございました。
以上をもちまして、北天のアリス・第一部(全三部)完結です。
二部は成長したナライが、生き別れたカヤとアザミを探す旅に出るところから始まります。
~第二部あらすじ~
ナライは生き別れたカヤとアザミを探すため、疾風と共に陸路で京を目指していた。
ある日、ナライが関所を通れずに難儀していると、そんな彼の元に現れた独りの青年。その名を広と言う。
広は京人で、実家の窮屈さに嫌気が差して一人気ままに旅をしていたところ、質の悪い宿に捕まってしまい、身包みを剥がされたのだと言う。
ナライは彼の持つ関所通行手形を使わせてもらうという条件で奪還作戦に加わり、そして見事その宿を根城にしていた賊徒を退治した。
こうして、行動を共にすることになったナライと広。
京に着いた彼らは郊外に宿を借りると早速妹探しを開始するが、中々手がかりが掴めない。
そんな折、広の実家から「息子が世話になった礼がしたい」と使いが来る。
元より放蕩息子の広。自身は決して実家に近寄ろうとはせず、ナライだけを行かせるのだが、そうして赴いた広の実家で出向かえてくれたのはなんと……
はい。こんなあらすじです。ここまで書いといてなんですが、今のところ二部を書く予定はありません。
ちなみに三部は陸国と朝廷の対立が激化し戦争になりますが、書く予定なんて何をいわんや。
~第三部あらすじ~
善意で賊徒に抗っていたはずの父が朝廷の手の者によって殺された。そのことを知ったナライは朝廷軍を辞すると、故郷へ戻り反乱軍を組織した。
一方のカヤ、兄との再会を果たし喜び合ったも束の間。実は朝廷五摂家の一つ橘家の嫡子だった広こと橘広瀬との婚約を交わしていた彼女は兄と決別し、夫の支えとなることを決意する。
陸国と朝廷。兄と妹。友と友。
一度は同じ時を過ごしたはずの両者が刃を交える時、歴史はその歯車を動かし始め……
以上、伏線とか色々ほったらかしでしたが、とりあえず「北天のアリス」は完結となります。
ありがとうございました。
(2023.7.11 埼山)




