序章之九 戦場が街道に変わる時
アザミ……ナライの連れ。保護者。ナライの父の旧友。歴戦の猛者で、敵と見ればどこまでも非情。
ナライ……耐えて耐えて耐え抜いた真の主人公。兄。元服前の少年。独りでよく頑張った。
鹿頭 ……牡鹿の頭を被った賊徒たちの首領。結局何もしないまま手下が殺られるのを見ていた。しかし……。
カヤ ……主人公。二つ下の妹。まだまだしばらくは出番ない。
疾風 ……ナライの愛馬。まだまだしばらくは出番ない。
「へぇ……やっぱりやるねぇ……。今の避けちゃうなんてさぁ……。」
「なっ!?」
俺は思わず声を上げていた。
歓迎できない新手の出現に、俺が振り向いたその場所。そこにいたのは例の鹿頭だったのだ。
いつの間にか断崖の上に登っていた奴は、相変わらずの見た目とふざけた雰囲気はそのままに、どこから取り出したのか弓を左手に持って、俺のことをヘラヘラと見下ろしていたのだ。
(新手じゃないだと!?じゃあ奴は……。)
俺は思わず鹿頭から視線を外して、ついさっきまで奴のいた場所を確認していた。
だが、いるべきはずの鹿頭の姿はそこには見えず……。
(やっぱりあいつなのか……だが、どうやって?)
今、奴がいる断崖はさっきまでいた場所のほぼ正反対側だ。このわずかの間に何の気配も感じさせず、向こう側に渡るなど尋常の技ではない。
俺は隠しきれない動揺を、それでもどうにか隠して奴を睨み付けていた。
すると、俺がそうするのを待っていたかのように口を開いた鹿頭。
「驚いたかい?まぁ、そうだろうなぁ。これ見て驚かねぇ奴ぁそうそういねぇもんなぁ。いいぜ、もっと驚けよ。」
「ふん。ずいぶんと上機嫌じゃないか。仲間がやられてもお構いなしってわけか。」
動揺が見透かされていたことなど気にも留めずに応答した俺だ。
さすがに隠して隠しきれるような驚き方じゃなかったし、それに別に見透かされたからと言って、それで何がどうと言うこともない。
戦場に於いては冷静さを欠いた方が死ぬ――それが分かっていれば尚更のことで、もう素直に認めてしまった方がマシなのだ。
だが、そんな俺の応答が気に障ったらしい鹿頭。
奴はそれまでのヘラヘラした雰囲気から一転、憎々し気な感情をまとって口を開いていた。
「そう。それだよ。まったく、よくもやってくれたよなぁ。オレ、ちょっと思ったんだけどさぁ……アンタがここに来たってこたぁ、他にもいたオレの仲間、みぃんなアンタが殺っちまったんだろう?」
「仲間?……ああ。ここに来る前に群がって来たあの情けない連中のことか?」
情けない連中――それは俺とナライたちが二手に分かれることになったきっかけになった賊徒連中のことで、俺はそいつらを相手するためにナライとカヤを先に行かせていたのだ。
鹿頭の口から聞かされるまでもなく、そうだろうという予感はしていたが、やはりあの連中も鹿頭の一味だったようだ。
だがその時のことを思い出して暗澹たる気分になった俺。
たかがあの程度の連中を相手にするために、ナライとカヤを先に行かせてしまった自分の驕り。そのせいで、ナライをこんな目に遭わせてしまったのだ。
(そうだ。これは俺の慢心が招いたこと。)
たかが賊徒風情が二重の網を張って待ち構えているはずがない。ナライたちに殺しの場を見せたくない。――そんな甘っちょろい考えで判断を誤った自分の失態と言うより他ないのだ。
「ははっ、情けないとは酷いなぁ。あれでも結構選りすぐったつもりだったんだぜ。」
「ふん。知らんな、そんな奴。だがな、もし本当に連中が選りすぐりだって言うなら、俺が今ここにいる理由はどう説明をつける?」
「ふぅん。なるほど……。そりゃ残念だよ。みぃんないい奴だったのにさぁ……。」
俺の含みのある返答に分かりやすく肩を落とした鹿頭。
いかにも落胆してますと言いたげな態度だったが、そのわざとらしい態度が、「実は仲間を失ったことなんてちっとも残念に思ってません」と、奴の心境を言外に物語っていた。
「なあに、嘆くことはないぞ。お前もすぐに仲間のところに送ってやる。」
「あははっ、そりゃ御免だねぇ。いくらいい奴らだったからって、こっちから会いにいこうとは思わねぇよ。」
「そうか。だがお前の意思は関係ない。お前たちは俺の連れをこんな目に遭わせた。」
こんな目。そう言いながら、チラリと脇を見てナライの容態を確認した俺。
見たところ、ナライは落ち着いて呼吸できているようだった。さっきまで会話もできていたし、この分なら見た目ほどには重傷ではないのかも知れない。
「――その報いは、受けてもらう。」
ナライの当面の無事に安心した俺は、鹿頭に刀の切っ先を向けてそう言い放っていた。
そもそも、ナライは俺の友人の子で俺の弟子でもあった。妹のカヤもそうだ。
その二人に手を出したのなら、相応の報いを受けてもらおうと言うのは師匠として当然のことなのだ。
だが、そんな俺の決意を煙に巻くように応えるのが鹿頭という奴のようで、奴は俺の怒りをスルリと受け流すように言葉を返していた。
「おお怖い怖い。でもなぁ、オレだって『はいそうですか』ってぇわけにぁいかねぇんだよ。こっちにもやることがあるんだ。アンタのせいで一からやり直しになっちまったが……まぁそれはいいや。でもなぁ、さすがにこれ以上アンタの相手なんかしてらんねぇんだよ。」
「やること……だと?」
鹿頭の言葉に眉をひそめた俺。
この鹿頭の言うことだ。ただの攪乱のつもりなのかも知れないが、それでも妙に引っ掛かる物言いだった。
「おっといけねぇ。今のぁ忘れてくれ。どうも一人になると口が軽くなっていけねぇや。」
すると、すぐさま前言を撤回してきた鹿頭。
ついうっかりと言うにはあまりにもわざとらしい。だがこいつの性格を考えれば、あまり真に受けない方がいいのは間違いないだろう。
「さて、そんなわけだからよ。オレぁもう行くが止めるんじゃねぇぞ。英、雄、さん。」
そうして、奴の言うことの意味を深く考えないようにしていると、鹿頭は俺に背を見せていた。
どこまでも勝手な奴だ。そう言えば俺が見逃してくれるとでも思っているのだろうか。
「お前が何をしようと言うのかは知らんが……俺がこのまま逃がすと思うか?」
「いいや、思わねぇよ。」
俺の問いに、鹿頭は背中を向けたまま答えていた。
だったらなぜ背中を見せる。それでは殺してくれと言っているようなものではないか。
まさか俺のことを「背を見せた相手に遠慮するような甘い人間」と見ているわけでもあるまいに。
「――でもアンタの意思は関係ねぇのさ。だって、そうだろう。アンタ一体、どうやってオレを止めるつもりなんだい?」
鹿頭は振り向きながらそう答えていた。
確かに、奴の言うことにも一理あった。
なにしろこの距離だ。刀を振るっていたんじゃ、どうやったところで逃げられるだろう。しかも相手は背丈ほどもある断崖の上にいるとなれば尚更のこと。
あいつの足の異常さは、あの短時間で俺の反対側まで回り込んでいたことでも、何となく窺い知れるのだ。
だが、それが何だというのだ。別に刀でなくともまだ武器はある。
「俺には弓がある。忘れたのか?」
「そう。弓。アンタのあれぁ凄ぇよ。あの威力。どうなってんだあれ?で、その弓は今どこにあると思う?」
「何?……あっ!」
そう言われて、俺はやっと気付かされていた。馬に設えてあったはずの俺の弓が、今は鹿頭の手にあるのだということに。
「そう。やっと気づいてくれたかい?正解は、ここだ。よく分かんねぇけどこれ、良い弓だよなぁ。仲間の代わりって言っちゃぁなんだけどこれ、貰ってくぜ。」
鹿頭はそう言うと、あっははは……と笑い声をこだまさせながら、木々の向こう側へと消えて入った。
「あいつ……一体何なんだ?」
逃げた鹿頭を追う気にもなれず、俺は一人になってそう呟いていた。
見た瞬間から変な奴だとは思っていたが、一人になった時の鹿頭のあまりにも飄々とした立ち居振る舞いに、俺は毒気を抜かれていたのだ。
(それにしても、あいつ……。)
俺は奴の行動を思い返していた。
あの鹿頭……結局、最後まで殺気もやる気を見せることはなかった。
そう。俺に矢を射掛けたあの瞬間にですら、だ。
殺気を見せずに殺しにかかる――そんなこと、たかが賊徒の頭風情にできるものなのか。いや。できるはずがない。だとすれば、あいつはいったいどういう奴なのか。
「んん?……いや。まさかな……。」
急に思い浮かんできた突拍子もない推理を否定した俺。
だが、それを全く否定できないような歯切れの悪い気持ちになりながら、俺は鹿頭の気配が急速に遠ざかり、そして消えて行った方角を睨み付けていた。
アザミ……ナライの連れ。保護者。ナライの父の旧友。愛弓を失ったが、それどころじゃなかった。
ナライ……耐えて耐えて耐え抜いた真の主人公。兄。元服前の少年。
鹿頭 ……牡鹿の頭を被った賊徒たちの首領。尋常ではない体術を見せて逃亡。何事も煙に巻いて掴み所がない。
カヤ ……主人公。二つ下の妹。まだまだしばらくは出番ない。
疾風 ……ナライの愛馬。まだまだしばらくは出番ない。




