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北天のアリス  作者: 埼山一
第五章 京
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第五章之六 別れ

アザミ ……主人公兄妹(きょうだい)の保護者。不眠不休で看護中。

ナライ ……真・主人公。兄。どんな時でも最善手を考えられる。

カヤ  ……主人公。妹。意識が朦朧としている。

黒雲(くろくも)  ……アザミの愛馬。黒い。賢い。

疾風(はやて)  ……ナライの愛馬。茶色い。

はるかぜ……カヤの愛馬。白い。


小波間(こばま) ……(みやこ)の海の玄関口。

(みやこ)   ……秋津島(あきつしま)の中心。朝廷が置かれる。

秋津島(あきつしま) ……物語の舞台となる島。

津留崎(つるさき) ……陸国にある。津留崎家が差配する里。

陸国(りっこく)  ……秋津島最北端に位置する律令国。ナライたちの住む国。


「もう……これ以上は無理か……ケホッ」


 止むことを知らない雨がしとしとと降りしきる中、二日経ってもカヤの熱が下がらない。

 そのことに危機感を抱いたアザミは、いよいよ最悪の事態を想定せざるを得ないところまで追い詰められ、一つの決断を下そうとしていた。




「アザミ! 葛、採ってきたよ」


 そう言いながらガタガタッ――と、建付けの悪い戸を勢いよく開けてこの廃屋に飛び込んできたのは、もう何度目かの薬草摘みに出ていたナライだった。

 彼はびしょびしょになったほっかむりを解くと、しみ込んだ雨水を手際よく絞り出していた。


「葛、ここ置いとくよ」


 言いつけ通りに土間からこちらへは入らず、板敷の端に戦利品を置いたナライ。


「ああ。助かる」


 アザミはそんな素直なナライを労った。


 本当に助かる。

 疱瘡(ほうそう)に特効薬はないのだ。看病する側の人間に出来ることは、ただ熱を下げてやることだけで、回復の決め手は患者自身の生命力に頼るしかないのだ。

 しかしカヤの病状、こうも回復の目途が立たないとなるといよいよ……


「ねえアザミ、カヤの具合どう?」

「……」


 決して悲観しないナライの質問を、思案中のアザミは聞き逃していた。


「アザミ? カヤの具合――」

「ん? あ、ああ。だいぶいいな。今はカヤ自身が疱瘡の毒に少しばかり手こずってるみたいだが、お前の採ってきた熱冷ましもあるし、もうすぐよくなるはずだ」

「良かった!」


 心にもないことを言うアザミの言葉を、素直に喜んだナライ。


 本当はそんなわけないのだ。

 ナライの採ってくる薬草もほとんど効果がない。

 それでも煎じた薬だけは無理にでも飲ませてはいるが、食べることも飲むこともままならない今のカヤでは、そもそも疱瘡に勝つ前に体力が尽きるだろう。

 しかしそんな残酷な事実を、この妹思いの兄に伝えることなど、アザミにはできず……


「でもさあ、アザミは寝なくて大丈夫なの? カヤが熱出してから全然寝てないでしょ?」

「ん? いや、心配するな。俺は日ごろから狩猟で鍛えてある。二日どころか十日寝なくたって全然平気なんだよ」


 そういうもんなのか……と感心するナライ。

 いくらアザミでも二連徹はさすがに辛いと感じるが、今はそんなこと言ってる場合じゃない。


「お前こそ寝る時、外に出しちまってるが、大丈夫なのか?」


 アザミは申し訳ない気持ちを抑えつけながら尋ねた。

 疱瘡の感染を恐れたアザミは、雨の降りしきる中、ナライ一人だけ野宿してもらっていたのだ。

 それはそれで風邪をひいてしまいそうだったが、疱瘡よりマシだと割り切るより仕方がないことだった。


「うん。この前アザミに教えてもらった木の枝を屋根にする方法あるじゃん。あれ、やってみたら結構いけてたし、全然平気」

「そうか」


 狩猟の師として、教えたことがこんな所で生きている。――思わず嬉しくなったアザミだ。


 ナライたちを預かるようになってからもう一年強。一向に成長しない悪ガキだとばかり思っていたが、こういう非常事態においてこれほど頼れる男になってくれていたとは。


 しかしそんなことを喜んでいる場合じゃない。アザミにはやらなければならないことがあるのだから。


「なあ、ナライ。お前に頼みたいことがあるんだが」

「なに? もっと薬草?」

「いや。そういうんじゃなくてな。もっと大事なことなんだが……」




「――それどういう意味だよアザミ!」


 アザミの頼み事を聞いたナライが激昂していた。


「聞いたまんまの意味だ」


 突き放すような態度で応じるアザミ。


「じゃあアザミは、もうカヤを見捨てるつもりなのかよ!?」

「そうは言ってない」


 熱くなるナライに、アザミは冷静に答えた。


「俺はな、お前は早く小波間(こばま)に行け、と言っただけだ。行くのはお前だけ。俺はカヤとここに残る」

「え……」

「お前には教えてなかったけな? 船で陸国(りっこく)に帰るには季節の縛りがあるんだ」


 冷静さを取り戻したナライに、アザミは丁寧に説明した。


 ――今降っているこの雨は冬の先触れ。秋の終わりの雨なのだと。そして、この雨が通り過ぎてしまうと、風の向きが変わってしまうのだ、とも。


「船が東北にある陸国に向かうには、西か南の風が必要なのはわかるよな? だから今を逃しちまったら、もう春まで陸国に帰る手段がなくなっちまうんだよ」

「でも、だったら……」


 歩けばいいじゃん。疾風(はやて)たちだっているんだし。そう思ったナライ。

 しかしナライが口を開く前にアザミがこんなことを言う。


「ナライ。お前、まさかおふくろさんを半年も一人ぼっちにしておくつもりか?」

「……」


 アザミの言葉に母の顔を思い出したナライだ。


「いくらあの人が気丈な人だって言っても、家族のことになると、急に脆くなることがあるのはお前だって知ってるだろう?」


 アザミのその一言がナライの心を大きく揺さぶっていた。


 そうだ。普段は鬼のように恐ろしい顔ばかりしている母さんだけど、一度家族に何かあると途端に弱気になるのだ。

 今回の旅だって、本当は父さんに会って帰ってくると言う、どうのんびりしても一月もあれば戻って来られるような旅だったからこそ、送り出してくれていたはず。

 それがもう二月以上。父さんから連絡は行っているはずだけど、いい加減母さんの心も限界かも知れない。


「安心しろ。カヤは絶対に俺が治して見せる。そうすれば冬の間はまあしょうがないとしても、春一番の船でお前たち家族の元に返してやれる!」

「……」

「行け、ナライ! 男ならグズグズするな! 」

「応!」


 それまでどうしようかと逡巡していたナライ。しかし、アザミの熱のこもった激励に励まされると、この廃屋を飛び出したのだ。


「そうだ。止まるなよ、ナライ。カヤはこの命に代えても俺が必ず……ゴホッ」


 疾風の遠ざかる足音を聞きながら、祈るように独り言ちたアザミ。

 彼はその言葉を最後まで言い切ることなく、カヤの上に覆い被さったのだった。


アザミ ……主人公兄妹(きょうだい)の保護者。気力が限界を迎えた。

ナライ ……真・主人公。兄。自分がいるとかえって邪魔になっていると気付いた。

カヤ  ……主人公。妹。意識がない……

黒雲(くろくも)  ……アザミの愛馬。黒い。賢い。

疾風(はやて)  ……ナライの愛馬。茶色い。

はるかぜ……カヤの愛馬。白い。


小波間(こばま) ……(みやこ)の海の玄関口。

(みやこ)   ……秋津島(あきつしま)の中心。朝廷が置かれる。

秋津島(あきつしま) ……物語の舞台となる島。

津留崎(つるさき) ……陸国にある。津留崎家が差配する里。

陸国(りっこく)  ……秋津島最北端に位置する律令国。ナライたちの住む国。


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