第四章之八 どこか知らない山の奥で 其之二
アザミ ……主人公兄妹の保護者。今回は出番がない。
ナライ ……真・主人公。兄。今回も出番がない。主人公なのに。
カヤ ……主人公。妹。今回も出番がない。主人公なのに。
ヤクト ……兄妹の父。深沢で一軍の将みたいなことやってる。
イサル ……ヤクトの下で働く兵。ナライとカヤの友人。能天気。
鹿頭 ……序章に出てきた賊徒たちの元頭領。アザミと秘密同盟を結んだ。
黒雲 ……アザミの愛馬。黒い。賢い。
疾風 ……ナライの愛馬。茶色い。
はるかぜ……カヤの愛馬。白い。
深沢 ……主人公兄妹の父・ヤクトが賊徒討伐のために詰めている村。
氷見沢 ……主人公兄妹の故郷。近年の賊徒騒ぎで人が減っている。
アザミが寝ぼけたイサルに目覚ましの一発をお見舞いしていた丁度その頃――
それは山奥深くにある岩壁を利用して作られたあばら屋での出来事だった。
「今日で五日目だけどさ。どうだいアンタ?その指も、少しは馴染んできたころと思うんだけど、どっか気になるところとかはあるかい?」
「……別に」
家から顔を覗かせた女の質問に、土を耕していた男は素っ気なく答えた。
「おおい。別にってなんだい?こっちはわざわざする必要のない苦労をしてやってまで、一本足りなくなっちまったアンタにその新しい指をくれてやったんだよ?もうちょっとぐらい愛想のいいこと言っても罰は当たらないと思うがねえ?」
「……感謝はしている」
男は見向きもせずに応じた。
男が鍬を振り下ろすたびに否応なしに視界に入ってくる一風変わった親指。堅くて木目の見えるその親指は、女が彼のためにあつらえてくれた物だったのだ。
「だったらさあ。ほら。アタシの欲しいモノ、分かってんだろ?もったいぶらずに教えとくれよ」
女はホレホレと催促した。彼女は自分が作った指の感想、実際に使った者でないと分からない使用感が欲しいのだ。
女はこのあばら屋の亭主であり、男はその女に救われたかつての賊徒・頬腫らしだった。
――五日前。
「ねえアンタ。驚かないで聞いて欲しいんだけどさ……アンタ、アタシと付き合ってみる気はない?」
腹が満たされて一時正気を取り戻した頬腫らしに、女は唐突な告白を行っていた。
「あぁんっ!?」
反射的に女を威嚇するように唸った頬腫らし。
しかし少し間をおくと頬腫らしは、女の言葉の意味するところを理解したのか、彼女の肢体を嘗め回すように見ると、下品な態度に豹変したのだ。
「へへ……そういうことかよ。そりゃそうだよな。こんな山奥で一人寂しく暮らしてりゃあ、そういう気分になっても仕方ねえよなあ」
下卑た笑みを浮かべて女ににじり寄る頬腫らし。
「――そんなに飢えてるってんなら抱いてやってもいいぜ。だが主導権はオレだ。ナメたマネしやがったらその首へし折ってやる。分かったな?」
食欲が満たされれば次に欲するのは性欲。女が評した通り、頬腫らしは獣の如き存在だった。
しかし気丈な女は、そんなことぐらいで怯む様子はなく。
「何バカなこと言ってんだい。誰がアンタなんかにアタシの大事な体許してやるもんか。いいかい?アタシが言ってんのは、これからアタシがやろうとしてることに付き合ってくれないかってことだよ」
女は、下半身の欲望を隠そうともしない頬腫らしにも、一歩も譲らずにきっぱりと断った。
「あん?そりゃどういうことだ?」
当てが外れて、途端に不機嫌になる頬腫らし。
いつもの彼ならば、力尽くで己の欲望を叶えようとしていただろうが、そこはグッと我慢しているようだ。
何しろこれまでにも女と頬腫らしは何度かやり合っているが、その結果は女の全勝。
彼我の体格差を差し引いても余りあるだけの技量が、この女にはあったのだ。
「そうだねえ……なんて説明したらいいかねえ……?」
問われた女は少し考え込んだ。
そしてまた、顔を上げると頬腫らしに尋ねた。
「アンタ、医術って知ってるかい?アタシはそれをちょっと嗜んでる者なんだけどさ」
「イジツ?なんだそりゃ?」
「イジツじゃないよ。イ・ジュ・ツ。まあ知らないならしょうがないけど、簡単に言えば、怪我とか病気を治す技のことだね」
「なんでえ、マジナイのことじゃねえか……てこたぁ、テメエ呪いババアなのかよ?」
頬腫らしは教わった意味を取り違えて勝手に納得していた。しかしこの時代、医術と呪いの区別がついていないのも無理もないことでもある。
だから女も、その解釈で良しとしたようで。
「まあそれでもいいさ。でも、呪いよりももうちょっと信用できるんだけどさ」
医術の何たるかを説明すると長くなる。頬腫らしはあまり教養もないようだし、本題はそこじゃないのだ。
「で?その呪いババアがオレに何の用があるってんだ?」
「なあに簡単なことさ。アンタにはアタシの患者になって欲しい。たったそれだけのことさね」
こうして女は頬腫らしの疑問に詳細に答えるのだった。
「――てこたぁつまり、テメエはオレの指を治せるんだな!?」
女の話を聞き終えた頬腫らしは、興奮気味になってその話に食いついていた。
しかし女はムッとして首を振って……
「だから治せないって言ってんだろ。アタシに出来んのは無くした指の代わりを作ってやることはことだけさ」
「どっちにしろ凄えじゃねえか!それがイジツババアの力なのかよ?」
どちらにせよ頬腫らしにとってはこの上ない朗報のようだった。
さっきのさっきまで荒れていたその理由が、この無くした指にあったのだ。
その代わりとなる物があると思うだけでも、心の余裕が全然違っていた。
しかし女。イジツババアとの呼ばれ方が面白くないようで、
「医術。それから医術の心得がある者は医師。いいね?」
「そうか。テメエはイジツババアじゃなくて石ババア。分かったぜ」
珍しく素直な割には間違っている頬腫らしだ。
「あのさ。石じゃなくて医師。それとババアってのやめな」
「なんで?ババアはババアだろ?」
不快感をあらわにする女に、頬腫らしは悪びれもせずに答えた。きっと彼の中ではババア=何かに長けた女性ぐらいの感覚なのだろう。
しかしまだ若い女にとって、その呼称が面白いわけがなく。
「嫌なものは嫌なんだ。聞き入れな」
強気な女は頬腫らしに命じた。
「じゃあ何て呼びゃあ良いんだよ?オレぁテメエの名前なんて知らねえぞ」
「おや?そう言やお互い紹介がまだだったね。よし。いい機会だしお互い名乗り合おうじゃないか。まずはアンタから名乗んな」
「はあ?なんでオレがそんなことしなきゃならねえんだ?」
テメエから名乗れ。そう怒った頬腫らしだったが、女は――
「ガタガタぬかすんじゃないよ。今すぐここを叩き出してやったってアタシゃ一向に構わないんだよ?」
頬腫らしは、唯一頼りにしてきた腕力でも敵わない相手を前に、大人しく従うよりなかったのだった。
頬腫らし……鹿頭配下の賊徒の一人。命からがら逃げだしていた。
女 ……訳ありの隠遁者。まだ若い。




