第一章之十九 回想一年前 ~馬鹿夫婦劇場~
アザミ……なんか一番主人公っぽいのに主人公じゃない損な役回り。
ヤクト……兄妹の父で元お役人。家族大事。そのためなら自己犠牲もOK。
ナライ……真・主人公。今暇。
カヤ ……思春期主人公。今暇。
エナ ……兄妹の母。平時は厳しい母。有事は残念な妻。要は逆境に弱め。
黒雲 ……アザミの愛馬。今荷物いっぱい背負ってるから、さすがに人は乗れない。
深沢 ……賊徒討伐の拠点となる谷相にある村。
アザミがどれだけうんざりしようとも、そんなことはお構いなしこの夫婦の劇場は、今も着々と進行しているわけで……。
「ああ……離れることがこんなにもつらいことだったなんて。私、思ってもみませんでした。」
「いつもそこにあると気付かない。失って初めて分かる想い。それが愛なんだよ。」
そのあとも、まあうんたらかんたらと止め処なく続く二人の会話。
(ああそうだな。それが愛だよ愛……。)
なんかもう色々諦めるしかなかったアザミは、すっかり冷めた目で二人の様子を見ていたのだった。
(しっかしまあ……よくそんな恥ずかしい台詞、次から次から出て来るもんだな……。)
興味なんてないはずなのに、目が離せない。――自分だったら絶対に思いつかないような言葉が、ポンポンと飛び出してくるあの夫婦の睦言を否応なく聞かされているうちに、呆れているのか感心しているのかよく分からなくなってきたアザミだ。
だから気が付けば、結構しっかりと耳をそばだてていたわけで――
「なぜ?どうしてこんなことになってしまったの?わたしはただ貴方と一緒に過ごせればそれだけでよかったのに……。」
「それを言っても始まらない。運命とはいつも残酷なもの。受け入れるしかないんだ。」
(運命は残酷か……ふふん。お前がそれを言うのか――はっ!?いや違う。そうじゃない。)
のめり込みそうになっていることに気が付いて、そんな自分を慌てて戒めたアザミ。
アザミはあくまでも呆れている第三者と言う立場を崩したくなかった。だから一旦、あそこに見える気の毒の塊を視界から外そうと横を向いたのだが、すると向いた先にいたのはナライとカヤ――言わずもがな、あの夫婦の子どもたちだった。
(あ。そう言えばあの馬鹿夫婦……子どもの前じゃないか。)
アザミは思わず渋い顔をした。
二人の世界に浸るのは勝手だが、無遠慮が過ぎる。あれは子どもたちの前でやるようなことじゃない。
今はまだそこまで行っていないが、いつ他人様には見せられない事態に発展するか知れたものじゃなかったのだ。
(ああくそっ。何やってんだまったく……。)
嫌々動き出したアザミ。
断じて独り者のひがみなどではなく、あんなのは子どもに見せてはいけない類のものだから。
そう思ったからこそ、どうにかして子どもたちの注意を逸らそうとしたアザミだったのだが……。
「――ねえ、知ってたお兄ちゃん?アザミさん家って、ここから何日かかかるらしいよ。」
「そりゃ知ってるに決まってんじゃん。」
「なんで決まってるのよ?」
「だってオレ、前に聞いたことあるもん。なんかすっげー山の奥にあるんだってさ。――でさ、そうなるとやっぱり途中で野宿とかすんのかな?」
「ううん。野宿はしないよ。」
「なんで知ってんだよ?」
「だってアザミさんに聞いたんだもの。夜は村に泊まるようにするから野宿はしないって。」
「なんだ。つまんねえの。」
幸い、アザミの心配は杞憂だった。
意外なことに、ナライもカヤも目の前の珍劇には全然興味がないようで、雑談しながら待っているではないか。
(ああ、そうか。これがこの家の日常なのか……。)
そして、そう気が付いたアザミだ。
馬鹿夫婦に育てられたせいで感覚がちょっとズレてしまった。この子どもらに、ある種の同情を禁じ得ないアザミだった。
それから待たされることしばし――
(もう四半刻か……。)
この馬鹿夫婦の劇場はいつまで待っても終演しそうになかった。
「私は多くを望まないの。たった一つ。たった一度のささやかな願い。それさえも叶えてはもらえないと言うのなら私は一体何を支えにして生きて行けばいいのでしょう…。」
「俺だって叶えられるものならそうしたい。たった一つなんて言わない。いくつでも。何度でも。この身が朽ちるまでお前の願いをかなえることが俺の喜びになるのだから。」
(――いや。半刻は経ったか?)
いい加減忍耐の限界が近づいていたアザミは、ついに言葉を発する覚悟を決めていたのだった。
「――だからもう悲しまないでほしい。お前の喜びは俺の喜び――」
「なあ。」
「――お前の悲しみは俺の――ん?」
「すまんが……そろそろ……。」
実はもう話しかけることすらも億劫になっていたアザミ。
それでも止めないと永遠に続いてしまいそうなこの寸劇を止めるべく、アザミは今太陽がどこにあるのかをヤクトに知らせていた。
「ああ。もうそんなに経ったか。」
時の流れを知らされたヤクトは、何もかかったかのように妻から離れていた。
「――悪かったな。変なところを見せて。」
変なことしてる自覚はあったのか。――その事実を知ってますますげんなりしたアザミだ。
自覚はあるのに、それでも人前でそれをやろうとする。――この夫婦の神経のず太さは、驚嘆せずにはいられない。
しかし、今のアザミには皮肉一つ言うだけの気力もなく……。
「分かってるならやるな。こっちはずっと待ってるんだぞ。」
そう言うのが精いっぱいだった。
「それにしてもお前、さすがに来るのが早すぎなんじゃないか?もっとゆっくり来てくれればいいものを……。」
ヤクトは文句を垂れていた。
家族との時間、とりわけ妻との時間を減らされたことが大いに不満だったのだ。
「お前……そこを俺のせいにするか?お前がちゃんと日付を指定しておけば、こうはならなかったんだろう。」
しかし不満たらたらな旧友に眉をひそめながら、突き放してやったアザミだ。
(大体、あんな危機感も分からんような手紙寄越されたんじゃ、なるべく急いだ方がいいと思うのは当たり前だろう。何が「早い」だ。勝手なこと言いやがって。)
未だに懐に忍ばせっぱなしになっているヤクトの手紙。アザミはその紙質を肌で感じながら、自分に落ち度はないことを確信していたのだ。
しかし――
(――早い……早い、か……。)
そう言われて見て、思うところが何もないわけじゃなかった。
考えてみれば、どうしてあの時の自分はあんなに慌てていたのだろう。――今思い返してみても、その理由がはっきりしないのだ。
のんびり構えていていいような内容じゃなかったのは確かだったが、それでも手紙を読むなり即出立というのは、いくらなんでもやり過ぎだったのではないか。
――お前、そんなに俺に会いたかったのか?――
一昨夜のヤクトの軽口が思い出されていた。
あまり考えたくないことだが、もしかしたらヤクトが言っていたように、自分は気ヤクトに会いたがっていたとでも……。
(いや。いやいやいやいや!――何を馬鹿な。それはない。絶対にないな。)
その考えを即座に否定したアザミ。
いくらなんでも、それはあまりにも馬鹿馬鹿しい考えだった。
こんな人の顔を見ればおちょくらずにいられないような奴、どうして自分から会いたがるものか。
(ああもう、止めだ。考えるだけムダ。呼ばれたから来た。それだけ。)
アザミは一旦そのことは忘れて、目の前の不満げな旧友をあしらうことを優先していた。
「――お前さ。そんなにカミさんと一緒にいたきゃ好きにしていいぞ。俺はもう五日でも十日でも待たされたって、一向に構わないんだからな。」
アザミは言ってやった。
自分にも生活があるから一月も二月も待たされたんじゃさすがに困るが、それでもこんな言いがかりをつけられたんじゃ、こうでも言ってやらないと気が済まなかったのだ。
だが――
「いや。さすがにそんなに居座られたんじゃウチが構う。だからそれは無理だ。」
「そうかよ。」
返ってきたのは変なところで冷静なヤクトの言い分だった。
本当になんなんだ、こいつ?――人を呼びつけておきながら、来たら来たで文句を言う。待ってやると言えば、居候は困ると返す。
ヤクトのあまりの身勝手な言い草に腹を立てたくもなったアザミだ。
だが、それでも自分から縁を切ることは決してないのだろうと思っているのもまたアザミなのだ。
(ああくそっ!いい加減に――はは、参ったな。やっぱりこいつには勝てないわ……。)
アザミにとって、ヤクトはどうあっても頭の上がらない相手だった。
それは過去の出来事からそういう関係なったとはいえ、そうでなくてもたぶん嫌いにはなれないだろうこの旧友を見て、アザミはもう苦笑するより他になかった。
アザミ……主人公じゃない。俺は一体何を見せられたんだ?
ヤクト……兄妹の父。どんな時でも半分は冷静だったりする。
エナ ……兄妹の母。情熱的。実はこの茶番劇、彼女主導だったりする。
ナライ……真・主人公。ある意味鍛えられてる。
カヤ ……思春期主人公。エナの娘……後生恐るべし。
黒雲 ……アザミの愛馬。今荷物いっぱい背負ってるから、さすがに人は乗れない。今ポカンとしてる。
深沢 ……賊徒討伐の拠点となる谷相にある村。
四半刻……四半は四分の一のこと。一刻は二時間ぐらい。つまりそう言うことよ。




