第一章之七 回想一年前 ~天辺での遭遇~
アザミ……本来の目的を放念した義理者。でも今思い出したところで意味はないのでOK。
カヤ ……自分が高所恐怖症だったと思い知らされた主人公。何だか感情が忙しい娘。設定迷子。
黒雲 ……アザミのお馬。出番なし。「ごしゅじ~ん。まだ~?ここ暑いよ~。」とか言う性格じゃないのは間違いない。
それからの出来事は、カヤにとってちょっと忘れられそうにないものだった。
「よし、いいぞ。その調子だ。」
「そう。ゆっくり。無理しなくていい。」
まるで、あんよの練習中の孫を応援する祖父みたいなアザミの励ましだけが聞こえてくるこの大岩の階段を、息を弾ませながらも一段また一段と登ってゆくカヤ。
そして――
「あともう少しだ。よし。次が最後。頑張れ。」
カヤはアザミの手助けもあって、見事この大岩の天辺に辿り着いたのだった。
頂上に着いて緊張の糸が切れたのか、カヤが膝をついていた。
「よく頑張ったな。カヤ。」
そんなカヤに寄り添うようにしゃがみこんだのはアザミだ。
「……は、はい……わ、わたし、頑張り、ました……。」
カヤは、ようやくのことでアザミに返事をすることができていた。
登頂中、カヤは自分のことでいっぱいいっぱいになっていた。そのせいで、アザミの励ましにも返事一つ返すことすらできなかったのだ。
「ああ、頑張ったよ。お前はよくやったよ。」
「やった……あはっ……。」
カヤはその場で仰向けになると、高揚する気分に身を委ねていた。
(やった……できた……。それに……。……うふ……。)
途中の出来事を思い出して、ついニヤついてしまったカヤ。
実は、今カヤが腰を抜かしている原因は、高所が苦手と言うことだけではなかった。それ以外にももう一つ原因があったのだ。
「お前の度胸も大したもんだな。見直したよ。」
アザミがカヤの根性を惜しみなく褒めていた。
だが、表情を見られないように両腕で顔を覆ったカヤだ。
カヤが腰と抜かしたもう一つの原因とはアザミのことだったのだ。
(どうしよう……。)
耳が赤くなっているような気がして、精いっぱい深呼吸に努めるカヤ。
あの時――自分が高い所苦手だったと知らず、うっかり景色を見てしまったせいで動けなくなったカヤの手を取りに来てくれたのは、勿論アザミだった。
――カヤ。もう安心しろ。大丈夫だ。――
その時のアザミの言葉が脳裏によみがえっていた。
そしてアザミはそのまま手を取ると、ずっと励ましながらここまで導いてくれていたのだ。
それだけでも、元々アザミに密かな好意を持っていたカヤには、ちょっと刺激の強いものだった。
だが、カヤをここまで照れさせているのは、そのあとのことで……。
(ああもう……ほんとにどうすればいいの……。ふ……うふふふふ……。)
考えないようにすればするほど却って思い出してしまって、表情が緩むのを止められないカヤだ。
カヤがニヤつくのを止められない本当の理由。――それはアザミの何気ない励ましの一言にあった。
――怖いなら俺だけを見てろ。何があっても俺がちゃんと護ってやる。――
アザミは、高さに震えるカヤを励ます中で、そんなでとんでもないことを言っていたのだ。
(なんてこと言うの、この男……。)
勿論、アザミにそんなつもりがないことは百も承知しているつもりのカヤだ。
でもだからと言って、あんなことを言われて何も感じないわけじゃない。
カヤは子どもと言っても、年が明ければ早々に裳着を済ませて、大人の仲間入りを果たすことになっているのだ。
(わたし、もうすぐ大人になるのに……。もし、勘違いじゃなかったら……)
だから今カヤの腰が抜けているのも、高所ゆえの恐怖などではなくアザミの無自覚の殺し文句にやられてしまったからと言うのが理由の大半なのだった。
「カヤ、立てるか?」
「ん……く……。まだ……待って……。もうちょっと、なんですけど……。」
「いいさ。時間はたっぷりある。のんびりやろう。」
アザミとカヤがそんなこんなで登頂の喜びを分かち合っていると――
「んん……?うるさいな……誰だよ……。」
と、傍らから人の声が聞こえてきていた。
「ん?」
「えっ!?」
誰もいないと思っていた大岩の天辺に先客がいた。そのことに驚き振り向き見たアザミたち。
するとそこにいたのは――
「お前、ナライ!」
「お兄ちゃん!」
そう。先客と言うのは、カヤの兄・ナライだった。
ナライはこの暑い最中に何を考えているのか、なんとこの岩の上でだらしなく寝っ転がっていたのだ。
「あっ、アザミ!」
だが驚いたのは先にいたナライも同じこと。
ナライの方も、まさか自分以外にこの岩に登ってくるような物好きがいるなんて思っていなかったのだ。しかもその物好きの一人が、久しぶりに会うアザミだと言うのだからたまらない。
ナライはその姿を見るなり飛び起きていた。
「応。ナライ、久しいな。」
ようっと手を挙げて、いかにも気楽そうに応じたアザミ。
だが、そんな馴れ馴れしい態度に待ったをかけたのは――
「あっ。違うでしょお兄ちゃん。ちゃんとさんをつけないと。アザミさん。」
そう。カヤだった。
抜けた腰とは何だったのか。カヤはすっくと立ちあがると、不躾な兄に向かって注意をし始めていた。
「なんだよカヤ、うるさいな。いいじゃん。父さんはそう呼んでるんだし。」
突っかかって来たカヤに、「いたのかお前。」とばかりに応戦したナライ。
だが、今さらそんなことぐらいで怯むようなカヤじゃない。負けじとやり返す。
「何言ってんの。お父さんはアザミさんのお友だちなんだから当たり前じゃない。お兄ちゃんはアザミさんの何なのよ?」
「オレは……友だちだよ。」
グイグイと問い詰めてくるカヤに、あっという間にしどろもどろになったナライ。
「ウソばっかり。」
「ウソじゃないや。ねえ、アザミ。俺たち友だちだよね?」
劣勢のナライは、救援を求めてアザミに話を振っていた。
だが、急に話を振られて困惑したのはアザミだ。
「え?う~ん……さあ、どうだろうな?」
この二人はちっとも変わらないんだなだあと、完全に他人事のつもりで微笑ましく傍観を決め込んでいたので、まさかそんなことを聞かれるなど露ほども思っていなかったのだ。
(俺にとってのナライ?)
アザミは考えた。
この兄妹、ただの知り合いよりは親しい気もする。だが、諸手を挙げて「友だちです」とも言い難い存在だった。
そもそも、彼らの父・ヤクトですら過去になんやかんやあった末に、「まあ友人」とか、「一応友人」と呼べる程度の間柄になっただけで、実はそれほど親しいわけでもなかったのだ。
だから、その「まあ友人」の子どもだから知り合ったというだけのナライを「友人」と呼んでいいものかと言うと……。
「う~む……?」
アザミは考え込んでしまっていた。
ナライは悪ガキだが、一緒にいて嫌な気のする子どもではない。
だが、かと言って親子ほども齢の離れた子どもを、友人と呼ぶのも何かが違う気がして仕方がないアザミだ。
「ほら見なさい。ちゃんとさんをつけないとダメじゃない。」
「ちぇ……。」
しかし、アザミがはっきりと答えを出す前にカヤとナライは早合点したようだった。
結局二人の言い争いは、こうしていつも通りの形で決着を見たのだ。
(お?まだ何も言ってないんだが……ふふ……まあ、いいか。)
その様子を見て、それ以上考えるのをやめたアザミ。
どうせどんな答えを出してみたところで、所詮は兄妹ゲンカの勝敗に使われるだけ。そこに大した意味などないのだから。
「まあ、友だちかどうかは知らんが……それよりナライ。お前こんな所で何してたんだ?」
だからアザミは、そんなちょっと難しい課題をすっぱり忘れると、新しい話題としてそんな疑問をナライにぶつけていた。
「何って……昼寝?」
「昼寝?ってお前……このクソ暑い中でか?」
アザミは、あっけらかんと言ってのけたナライの答えに呆れて、思わず聞き返していた。
季節は杪夏。終わりとは言え、夏は夏。
そして、今日は快晴洗濯日和。
さらには、ここは日差しを遮る物なんてない大岩の上だ。
(こんな日にこんな所で昼寝だと?ナライ、どうかしちゃったんじゃないのか?)
だからアザミは、そんなことを平然と言い放つナライの正気を疑わずにはいられなかった。
でも、そんなアザミの懸念など知る由もないナライは、当たり前のように応じるばかりで――
「うん。でもこの岩の上、全然熱くないし寝っ転がると気持ちいいんだよ。」
「なに?」
その言葉に、アザミはますます訝しんだ。
そんなわけがないだろう。焼けた岩の上だぞ。生の卵だって、この岩にかかればあっという間に目玉焼きに大変身だ。
だが、アザミがナライの言葉を否定しようとした矢先――
「あ。ほんとだ。全然熱くない。」
兄の言葉を素直に受け取ったカヤがそんな声を上げていた。
見れば、カヤは岩肌に手をついてその冷感を確かめているではないか。
「何?そんなわけが……。」
ナライはともかく、カヤが言うのなら本当のことなのか?――アザミは半信半疑のまま、自分も岩肌に手をついて確かめていた。
すると――
「ん?――おおっ!なるほど。これは確かに……。」
「な?」
自分だけが知っていた大岩の秘密に、ドヤッと満足気なナライだ。
受けた日差しの熱はどこに行ってしまったのか。――ナライの言う通り、この岩はどこか冷んやりしていて気持ちが良かった。
確かにこれなら、ナライがここで昼寝したくなるのも無理ないことなのかも知れない。
「あ。そう言えば、さっき寝ころんでても熱くなかったっけ……。」
カヤの独り言に、アザミも今さらながら気付かされていた。
あの時はカヤの不安な気持ちにかかりきりで、そんなことまったく気にしていなかったが、よく考えたらあの時寝ころんだカヤの行動、本来であれば結構危険なものだった。
「んん……しかしこれ、一体どういう理屈なんだ?」
ともあれ、この不可思議な岩の冷感に俄然興味が沸いてきて、あちこち撫でまわしながら独り言のように尋ねたアザミ。
「さあ?」
「わたしも聞いたことないです。」
しかしナライどころかカヤですらも、この不可思議な現象の答えは知らないらしく……。
「ふうん……まあ、知らなくても仕方ないか……。それにしても、妙なことがあるもんだな。」
どんなおとぎ話でも、今なら信じれらる気がしていたアザミは、少しがっかりしながらも目の前の岩に魅かれていた。
――結局、ひとしきり堪能して飽きてくるまで、この岩の冷感を満喫してしまったアザミ。三人がこの岩を降りるのは、だいぶ日が傾いてからのことだった。
アザミ……無自覚でモテゼリフを言う人。罪作り。
カヤ ……思春期主人公。あれこれテンパり過ぎて途中から「高所恐怖症ってなんだっけ?」になってる。
ナライ……やっとこさで登場した真・主人公。でも紹介が三番目。妹に口で勝てない。
黒雲 ……作中に出てこないアザミのお馬。今は暑いから、川で水飲んだり木陰に避難したりと、悠々自適に過ごしてます。
裳着 ……女子版元服。具体的に何するかはメンドイので書かない。なんか結婚できるようになるらしいよ。
杪夏 ……夏の終わり。文中にも書いてあるネ。晩夏でもいいけど、それだとなんか重い気がする。
言い訳……大岩の階段はね、北側についてるんだよ。だから岩肌に手を付いて登っても熱くなーい。




