第一章之五 回想一年前 ~天大岩~
天大岩……アメノオホイワ。サブタイトルに出てる奴。今後出てくるかは分からないけど、一応読み方だけ。
アザミ……せっかく会いに行った旧友がいない。そのせいで旧友の娘が落ち込んだ。義理を果たすのも一苦労な義理者。それでも彼が投げ出すことはないのです。
カヤ ……主人公。意気揚々と道案内した結果が空振りで凹んだ。かなり打たれ弱いけど優等生。
黒雲 ……アザミの愛馬。たぶん名馬と言っていい。おっきなお利口さん。
それは、二人が黒雲の歩みに任せてのんびりと河原を遡って、脇に茂っていた藪がいつの間にか林へと姿を変えていた頃のこと――
「あ……あそこの岩……。」
「ん?ああ、あの大岩の所まで行くのか?」
「……。」
いつもの元気が戻らず、それでも道案内をしてくれているカヤは、アザミの言葉にただコクリと頷き返すばかりだった。
「了解。大岩まで行くぞ。」
それでも、そんなカヤに素直に従っていたのはアザミだ。
(う~む……どうにも居心地が悪いな……。)
アザミは、さっきから胸の内でもぞもぞと存在を主張し始めているこの奇妙な感情を気にしないようにしながら、上流方向に見える大岩を目指して黒雲をせっついていた。
そして――いざ大岩に迫ったアザミは、黒雲の足を止めると目を丸くしながら頭上を見上げていた。
「ほおう……これは、大きいな……。」
あまりの大きさに、そんな台詞と共に嘆息を漏らしていたのもアザミだ。
(いや、大きいなんてもんじゃないな……。何なんだ、これは?)
アザミ目の前の異様な光景に、ここは本当に人の世なのかと疑いたくなっていた。
ここは相変わらずの河原だった。辺りの林から聞こえてくる蝉時雨うるさいばかりの、何の特徴もない「平々凡々を極めたような」河原だ。
そんな当たり前の河原の中に「どんと鎮座まします異様」こそが、この大岩だった。
平凡の中にある異様。――そのせいで、余計にこの岩の特別さを際立たせる結果になっていた。
「すごいな……。これは大きいぞ。」
「あ、これ……神様が力比べをした時に、放り投げた岩の一つだって……。」
アザミのあまりの驚き様に、カヤが重たい口を開いていた。
「はぁー……そうか。神様はこんな物を投げて力比べをするのか。それはすごいな。」
その謂われに興味を抱き、黒雲を降りて岩肌に手を当てたアザミ。
「でも……ただのおとぎ話ですし……。」
そんなアザミにカヤは、ちょっとだけ冷めた態度で答えていた。
アザミはこの北限の地では割と珍しく、即物的というかあまり信心らしいものを持たない現実的な性格の持ち主だった。
だから、神様がどうとか言うようなおとぎ話を信じることのないアザミだったが、それでもこの大岩、そう言われてみれば不思議と納得がゆくではないか。
(はは……いやあ、予想以上だぞこれは……。)
見れば見るほど興味深い――つい笑みがこぼれたアザミ。
この大岩。アザミは遠目から見た時、(ああ、大きな岩だな。目印に丁度いい)という程度の感想しかもっていなかった。
だが近づいてみるほどに、その感想は誤りだったと気付かされたのだ。
(「大きい」じゃなきゃ、なんて言うんだ?それ以上の大きさ……んん……分からん。)
考えたところで知らない言葉が出てくるはずもなし。
こうして麓から見上げていて天辺が見えないほどの大きさを表す言葉など、人生の中でついに知る機会のなかったアザミだ。
(十五丈……いや二十丈?――この大きさだ。まさか十丈と言うことはないだろう。)
アザミは、この大岩を見上げていて表情が緩むのが止められなかった。
(この大きさだぞ。どうやって立ってるんだ?)
横倒しにもならずに聳え立つ大岩。たしかに神の御業とでもしない限り、説明できそうにない。
「はは……こいつの上から見る景色、ちょっと壮観だろうなあ……。」
「え?」
アザミのついこぼれた独り言に、カヤが聞き返していた。
だが、そんな聞き返しなど耳に入ってきていないアザミだ。
体がウズウズして仕方がない。――こんな気分になったのはどれだけぶりのことだろうか。この岩は絶対に「当たり」だという確信ともう一つの思惑が、アザミを高揚させ続けていた。
「なあ、カヤ。すまんがちょっと興味が沸いてきた。この岩、登っても大丈夫なやつか?」
ついに好奇の心を抑えられなくなったアザミ。アザミは、子どもっぽく目を輝かせながら、カヤにそんなことを尋ねていた。
「え?あ、はい。バチ……は当たらないかも……。」
「そうか!」
カヤの返答に二ッと笑顔で返すと、どこかにとっかかりはないものかと探し始めたアザミ。
一方で、アザミの突然の変わり身ぶりに面食らったのはカヤだ。
カヤは、ついさっきの失敗に落ち込んでいた自分も忘れて、アザミの大人げない態度に呆れていた。
(ええ……アザミさん……。)
実はカヤは、アザミがあまりにも大げさにおとぎ話に感心するものだから、アザミがこんなに大げさなのは、自分を元気づけるためにわざとやっているのでは?と、そんなことを思っていた。
だが、今こうして見せられているアザミのはしゃぎようはどうだろう?――そんなものはただの自分の勘違い。ただの幻想にすぎなかったのだと思い知らされたカヤ。
(……嘘でしょ……。)
カヤは自分の中の大切にしていた想いに、ちょっとひびが入ったような気がしていた。
だが、そんなカヤの想いなど知る由もないアザミは今、カヤを一人その場に残したまま大岩に登ろうとしている。
(ねえ、ほんとに?ほんとに行っちゃうの?わたし置いて?)
こんな大人がいていいのだろうか。落ち込んでいる子どもをほっぽって自分の興味を優先する大人なんて。
そうしてカヤは、密かな想い人に失望だか幻滅だかの冷めた感情を抱きながら、その背中を眺めていた。
「お?裏からならいけそうだな。」
大岩の裏側に登れそうなとっかかりを見つけたらしいアザミが、そんなことを呟いていた。
(ふうん……そうですか。良かったですね。)
そしてそんなアザミの背中を、すっかり冷えた感情で眺め続けているのはカヤだ。
(わたしよりも岩ですか。ふん!)
どっちが大事なの?――恋人でも妻でもないくせにそんなことを考えて一人怒っているカヤ。
「そうだ。お前も一緒に登ってみるか、カヤ?」
すると、ふと振り向いたアザミがそんなふうにカヤを誘っていた。
「え?あ、えと……。」
だが急な誘いに慌てるしかないカヤだ。
たった今まで自分一人で勝手に盛り上がって、岩にべったりだったかと思えば、一転してこのお誘い。
このお誘いは何のために?誰のために?――アザミの考えが解からないカヤは、目を白黒させるしかなかった。
だがアザミは、そんなカヤに考える暇を与えることもなく、この大岩の天辺を目指すことの利を笑顔で語ってくる。
「これだけの大きさだからな。きっと、天辺から見る景色はきれいだぞ。登っておいて損はないはずだ。」
「……。」
本当にそれだけ?本当にそんなつまらないことだけで、このおっきな岩登るの?――アザミの屈託のない笑顔の裏にある想いがどうしても読めないカヤだ。
「勿論、無理にとは言わない。どうする?」
そう言ってカヤを見つめるアザミの視線は、どこまでも優しくて真直ぐだった。
「ア、アザミさんは……どうして……ほしい……ですか?」
アザミのその視線に負けてつい顔を伏せたカヤは、しどろもどろになりながらそんなことを尋ね返していた。
「俺?……そうだな……俺は、お前にも登ってほしいかな。うん。お前も登った方がいいと思う。」
「そう、なんですか?」
「ああ。」
「……。」
考え込んだカヤ。――さっきまで、(そんなに岩にベタベタしたいんなら、もう岩と結婚しちゃえ!)なんて怒っていたのだ。
(ちょっと優しく見つめられたぐらいで簡単になびいちゃダメ!)
だからカヤは、返事を決めた。――そう。これはわたしの誇りの戦い。わたしはそんなに安い女じゃない。だからここはバシッと断らなきゃいけない。
「じゃあ……はい……。」
でも、カヤの誇りは敢無く埃となって虚空に消えていた。
だって勝てるわけがないんだもの。あんなふうに見られて。
それでも「イイエ」なんて、カヤには言えるわけがなかった。
「む、そうか。じゃあ行こう。」
「はい。」
そうしてカヤはなんやかんやの内に、この神代に曰を持つとされる大岩に登るハメになっていたのだった。
アザミ……己の使命を忘れた義理者。昔から高い所が好き。
カヤ ……主人公。意外とチョロインだった。あれ?どうしてこうなった?
黒雲 ……アザミの愛馬。アザミがそこにいる限り大人しい外弁慶。
十五丈……十尺で一丈。つまり十五丈で百五十尺。はい分かりましたね。(一尺は30㎝ぐらいなんやよ。)
神代 ……昔の世。まだ世界の主役が神様だったころ。むかーしむかしの大昔。




