第一章之四 回想一年前 ~河原にて~
アザミ……旧友の求めに応じて、すぐさま馳せ参じた義理者。意外に変なところで子どもっぽい。でも周りに子どもがいないとそうなるのも無理もないことかも?
カヤ ……主人公。アザミの旧友・ヤクトの娘。お馬さんモフモフなので可愛くなってきた。実は今、夢見心地。
黒雲 ……アザミの愛馬。青鹿毛(真っ黒で艶が青っぽい毛)の大型馬。
それは、さーさーと聞こえてくる川のせせらぎの音と、豊かな水の匂いが鼻をくすぐるようになってからすぐのこと。
――この旅の仕上げに曲りくねった坂道を下って藪を抜けると、そこはカヤの言ったとおりの河原だった。
「……。」
何も言わぬまま黒雲を降りたアザミ。
アザミはそのまましばらく辺りを見回すと、やっとのことで口を開いていた。
「ヤクト……どころか、誰もいないな。」
「……はい……。」
まさかの父の不在に返すべき答えを持っていなかったカヤは、ただ返事をするしかなかった。
今アザミたちがいるのは、無数の石がゴロゴロと転がっている正真正銘の河原だ。
少し行った所には豊かで涼やかな水がさーさーと音を立てて流れていて、キラキラ光る水面の上にはトンボが滞空しているのが見えた。
それは、夏の暑さをほんの一時でも忘れさせてくれるような、そんな素敵な景色――
「ほんとに……誰もいない、ですね……。」
「ああ。」
だが残念なことに、その景色の中にはトンボはいても人らしき姿は一人として見当たらなかった。
「ふうん。ハズレ、か……。」
しかし、そのことに驚きもなければ失望もしていないアザミだ。実はアザミ、藪を抜ける前からそんな予感がしていたのだ。
その理由は簡単。音だ。
もしヤクトがここに漁に来ているのなら、この時期なら間違いなく鮭だ。
この時期の鮭漁は割と容易で、数も多く取れるため大人数でやるのが普通だった。だというのに、どれだけ河原に近づこうとも、その喧騒が耳に届いて来ることはなかった。
そんな訳だったから、アザミには藪を抜ける前からここがハズレだという予想が付いていたのだ。
だから、それほどがっかりもしていないアザミだった。だが――
「ごめんなさい。」
「ん?」
後ろから聞こえてきた謝罪の声に振り向き見たアザミ。
そこには、アザミと違って失望をあらわにしたカヤが、ばつが悪そうに目を伏せているのだった。
「どうした急に?」
「……。」
「……?」
返事がないことを訝しんだアザミ。
それでもアザミは無言で、このただならぬ様子のカヤが続きを口にするのを待っていた。
「……嘘ついちゃったから……。」
「嘘?」
アザミは意外な告白に眉をひそめた。
カヤは嘘を吐くような娘ではない。それは自信をもって言えることのはずだったのだが、そのカヤが嘘を吐いたとは……。
「カヤ、お前……噓ついたのか?」
未だ信じられないアザミがそう尋ねると、カヤは無言でコクリと頷いて答えていた。
その目に涙を溜めたカヤ。後悔していることが窺えた。
「ごめんなさい……。」
「まあ、それはいいが……。カヤ、お前なんだって嘘を?」
「だって……。」
言い淀んだカヤが続きを言うのを辛抱強く待ったアザミ。
もう嘘なら嘘でもいい。そんなことよりも、どうしてカヤがそんなことをしでかしたのかが気になっていたのだった。
するとやっと覚悟が決まったのか、カヤが続きを白状していた。
「――だって、誰もいないし……。」
「……?」
「――お父さんの所に連れてってって言われて、わたし、はいって答えたのに誰もいなかったから……わたし……嘘……ついちゃって……」
カヤは今にも泣き出しそうになっていた。
「ふっ――!?はっはははっ……」
だがそんなカヤの告白を聞いて、豪快に笑い飛ばしていたのはアザミだ。
カヤがあまりにも神妙そうに謝るものだから、てっきり何かの事情があって自分を騙してここに連れてきたのかと思ったら、あまりにも罪のない理由だったものだから、思わず吹き出してしまったのだ。
「はっははは……。カヤ、それは嘘とは言わないぞ。失敗とか間違いとか、そう言うものだ。それに当てが外れることは誰にでもあるし、別に謝るようなことでもない。」
「うん……。」
だがアザミの励ましも心に届いていないのか、自分の案内が失敗――本人が言うには嘘――に終わって、目に見えてしょんぼりと落ち込んでしまったカヤだ。
気が付けば、返事もいつもの行儀の良さそうな「はい」から、齢相応の「うん」に変わっていた。
「ふーむ……。しかし、こうなるとどこを探したもんかな……。こう暑いと探すのもめんどうだし……大人しく家で待つ方がいいのか……。」
アザミは天を仰いで見せると、ちらりとカヤの様子を窺っていた。
だがしょんぼりと肩を落としてばかりのカヤは、そのまま何の動きも見せる様子はない。
(カヤ……いくらなんでも気にし過ぎじゃないのか?……まさか、これが人生初の失敗ってわけじゃないだろうに……。)
景色を眺めるふりをしてカヤに背を向けると、眉をひそめたアザミ。
そして自分の不用意な依頼が、カヤを思いのほか傷つけてしまったことに困惑もする。
(う~ん、まいった……。何だ?この気まずさは……。)
アザミは悩んだ。――こういう時どうすればいいだろうか。
相手が大人だったら、きっと何もしなかっただろうと思ったアザミ。
相手がどんなに落ち込んでいようと、意にも介さずに淡々と必要なやり取りだけをこなして、それで終わりにしていたはずだ。
だが、相手が子どもとなるとそんな対応でいいのか?ちょっとしょっぱ過ぎやしないか?じゃあ何かしてやるのか?でも一体何を?
(くそ……訳が分からん。)
いくら悩んだところで、こういう時の知識も経験も持ち合わせていないアザミだ。
アザミは、ただ目の前の相手が大きいか小さいかだけで、こんなにも悶々としている自分が信じられなかった。
「なあ、カヤ。今日は暑いし、やっぱり親父さんを探すのはやめようと思う。家で待ちたいんだが、案内してくれないか?」
結局、アザミの出した答えはその程度のものだった。
いつもより口調が柔らかいような気がしなくもない。――でもそんな細かい違いに気付けるのは、当の本人以外にはいないだろう。
「カヤ。お前の家までだ。頼まれてくれるか?」
「……はい……。」
再び黒雲にまたがったアザミの依頼に、カヤはうなだれながら、それでも応諾してくれていた。
「こっち……あ、やっぱり向こうの方が近いかも……。」
「お前の案内は分かりやすくていいな。」
アザミは下手くそな慰めを言ってカヤの頭を撫でると、黒雲の腹を蹴っていた。
この河原はゴロゴロとした石が多く、馬の蹄には滑りやすそうだった。だが駈足でもしない限り、黒雲ならばこの程度の悪路、難なく踏破してみせるだろう。
「ごめんなさい……。」
「お前は何も悪くない。そうクヨクヨするな。」
「うぅ……。」
乗馬の揺れに乗じてカヤがアザミの胸にしがみついていた。
よっぽど自分の案内の失敗が気になっているようだった。
(やれやれ。気にするな。って言っても気にするんだな……。)
こんな失敗、大人にしてみれば失敗の内にも入らないような些細なことだ。
なのにこんなに気にするのは、カヤ個人の気質なのか。それとも、子どもなら誰でも同じように落ち込むものなのか。
(考えても分からんか……。いや、俺も子どもを持てば分かるのか――子ども!?)
そんな自分の考えに驚いたアザミだ。
自分が子を持つなんて、今まで一度足りとも考えたことはなかったのだ。なのに今それを考えさせたカヤへのこの感情は何なのか。
(いや。やめよう。考えても分からん。今はそれでいいじゃないか。)
アザミは落ち込むカヤの頭にポンと優しく手を乗せると、足だけで黒雲を器用に操っていた。
アザミ……旧友の求めに応じて、すぐさま馳せ参じた義理者。面倒臭くなると考えるのを止めることがある。
カヤ ……主人公。優等生。凹みやすいのが玉に瑕。
黒雲 ……アザミの愛馬。気性が悪い馬ほど、実はお利口さんの法則。




