第一章之三 回想一年前 ~旧友の待つ川へ続く道にて~
アザミ……旧友の求めに応じて、すぐさま馳せ参じた義理者。里の入口で出会ったカヤに道案内を頼んだ。
カヤ ……主人公。アザミの旧友の娘。アザミに道案内を頼まれて実はご満悦。
ヤクト……アザミの旧友。カヤの父。のっぴきならない事情があって、アザミを呼びつけた。
「あ。そこをこっち。」
「応。」
ぽっくりぽっくりとのんびりした馬の蹄の音を尻の下に聞きながら、アザミとカヤはヤクトの待つ河原へと向かっているところだった。
「次はこっち。」
「そうか。」
遠くに聞こえるのは、ミンミンだのツクツクだのと相変わらずうるさい蝉の声。
でもこの声も、あと一月もすれば全く聞こえなくなって、どこか裏寂しい気分になるのだと思うと、この喧騒もそう悪いものではなかった。
「あとはそこの藪を抜けると、その向こうが河原です。」
「なるほど。適当な所で突っ切ればいいのか?」
「もうちょっと行った所にみんなが使ってる道があります。」
「分かった。」
カヤの案内の元、この明るい里に広がった粟畑の中を通り抜けるアザミたち。
アザミは河原までの道順を聞くと、辺りの景色を眺めながらのんびりと馬を進めていた。
(ふう……やはり日向は暑いな。)
額から噴き出してきた汗を拭い払ったアザミ。
今は夏。
――もう終わりが見えてきているとはいえ、それでも見上げる空は青々として日差しも強かった。
山の向こうに目を向ければ、そこには大きな雲がもうもうと立ち登っているのが見える。この分では夕方には一雨あるかも知れない。
「カヤ。馬は初めてか?」
「はい。」
アザミは、カヤの慣れない様子にそんなことを尋ねていた。
まだ少し腰が引けているけれど、それでも一応一人で乗っていられるようになっていたカヤだ。
だが初めのうちは、それこそアザミが後ろから支えてやらなければ、馬の背にしがみついて震えているのがやっとだったのだ。
「乗ってみてどうだ。やっぱり怖いか?」
「う~ん……おっきいのがちょっと――きゃ――でも、ちょっとかわいいかも。」
「そうか。」
たった今、ちょっと強く揺れだけで怯えていた割には前向きな発言をするカヤに、アザミは興味を抱いていた。
大きいのにかわいいと言うのは、アザミの中にはない感覚でもあった。
「大きいのがかわいいのか?」
「はい。この子、あったかくて、それにすべすべしてるじゃないですか。ふふふ……。」
カヤはそう言うと、馬の首を撫でていた。
最初は馬の大きさに、乗るだけでもおっかなびっくりだったカヤも、乗っているうちに少しは慣れてきたのか、今ではこうして馬の首を撫でるような余裕も出てきている。
だからそんなカヤを見たアザミは、(やはり慎重なだけだな。臆病とは違う。)とあらためてカヤの性格を認識していた。
(ふうん、なるほどな……。もしカヤにその気があるなら、馬術を教えるのもいいかも知れないな。この分なら、いい乗り手になれそうだ。)
カヤの嬉しそうな様子に、そんなことを思い付いていたアザミ。
もしカヤが「うん」と言うのであれば、カヤに馬を用意しなければならないだろう。そしてその場合、おそらくカヤの分の他にももう一頭が必要になるはずだ。
(あいつが指くわえて見ていられるはずがないからな……。)
そのことを考えて、ついニヤリと笑みがこぼれたアザミ。
あいつとはナライ。カヤの兄・ナライのことだった。
あのやんちゃで負けん気の強い兄貴のことだ。妹だけが馬を与えられるのを黙って見ていられるはずがないのだ。
だからカヤに馬術を教えると言うことは、つまりナライに教えると言うことでもあったのだ。
「……まったく……しょうがないな、あいつは……。」
「え?なにか?」
「いいや。何でもない。」
つい漏れていた独り言をカヤに聞かれていたアザミは、ニヤつき過ぎた表情を引き締め直すと、それ以上考えるのをやめた。
(おっと、いかんいかん……。)
妄想に耽って締まりのなくなった顔を子どもに見られるなど、大人に有るまじき失態なのだ。
大人と言うものは子どもの前では常にカッコよく振舞うべき。――それはアザミの密かな理想でもあった。
「なあ、カヤ。こいつはもっと速く走ることもできるが、やってみるか?」
「やめてください。それは絶対にイヤです。」
「はははっ……だろうなぁ。安心しろ。やらんよ。」
「むう~……。」
カヤ、いくら慣れてきたと言っても、さすがに今は馬に乗せられているだけで精いっぱいだろう。それが分かっていて敢えて聞いてみたら、予想通りの答えが返ってきてアザミはニヤリと機嫌を良くしていた。
一方のカヤは、アザミにからかわれただけと分かってぷうっと頬を膨らませているではないか。
「はは……そう怒るな。怒るとせっかくの美人が台無しだ。」
「ふんっ。」
そう言われてそっぽを向いたカヤだったが、実はまんざらでもないようで少し顔がにやけていた。
それからしばらく。――カヤは自分の背をアザミに預けていた。
「おっ?」
「……。」
それはカヤなりのちょっとした好意の表れのつもりだったのかも知れない。
だが、そんなカヤの想いに気付くはずもないアザミは、ただカヤの怒りが解けたと解釈して安心しているだけだった。
そうやって、なんやかんやと河原へと延びるこの里道を行くことしばし……。
「ここか?」
「はい。」
藪にそれらしい切れ目を見つけたアザミはカヤの返答を聞くと、馬首を回して河原へと続く最後の分かれ道に入っていた。
あとはこの藪を抜ければ、そこはもう河原だとカヤは言う。
「なあ、カヤ。親父さんはそこにいるのか?」
「えと……まあ、たぶん……。」
「たぶんって、お前……。」
アザミは、しっかり者のカヤにしてはらしくない返事に困惑した。
「だって川としか聞いてないですし……。」
「ああ……。」
その答えを聞いて、妙に納得してしまっていたアザミだ。
だったら最初から案内など引き受けなければいいものを――自分を良く見せたいのか、たま~に無謀に走ることがあるカヤだ。
カヤは正直で善良には違いないのだが、こういうふうに見栄を張りたがるところがあるのでは?――アザミは以前からそのことに何となく感付いていたからこそ、カヤの返事に納得してしまったのだった。
(まあ……いなければいないで、それでもいいか。その時は諦めて家で待てばいいだけだしな。)
どうせ、旧友の家でじっと待っていても暇を持て余すのが目に見えていたから、手伝ってやろうと気まぐれに思い立っただけのアザミだ。
だからアザミは気楽な気分で、もう終わりが見え始めているこの旅路をのんびりと楽しんでいるのだった。
それから……。今度口を開いたのはカヤの方だった。
「あ、そうだ。お馬。この子、つないでおく場所ないですよ。」
カヤは、馬のことをよっぽど気に入ってしまったのだろうか。「大変!」とばかりに声を上げていた。
だが、それを聞いても至って冷静なのはアザミの方で――
「いいさ。どうせこいつは逃げん。」
だから心配は無用、と請け負ったアザミ。
実際、勝手にどこかに行ってしまうような躾け方はしていない。仮にどこかに行ってしまったとしても、呼べばすぐに戻ってくるのだ
「ふふふっ……いい子なんだね、お前。」
それを聞いたカヤは微笑んでいた。カヤは、もうすっかり馬と言う生き物に慣れてしまったらしい。
「ねえアザミさん。この子、名前は何て言うんですか?」
カヤはしきりに馬の首を撫でていたかと思うと、アザミの顔を見上げてそんなことを尋ねた。
「ああ、黒雲と言う。こいつはちょっと気難しい奴なんだが、どうやらお前とは気が合いそうだ。仲良くしてやってくれ。」
「黒雲……。わたしはカヤ。よろしくね、黒雲。」
そう言ってアザミの愛馬・黒雲の首をまた撫で始めたカヤ。
耳をそばだててカヤの挨拶を聞いていた黒雲は、ブルッと一つ嘶いて「応。よろしくたのむ。」と返事をしているようだった。
アザミ……旧友の求めに応じて、すぐさま馳せ参じた義理者。大人とはかく有るべしという理想を持っている人。でも独身&普段の生活で子どもとのかかわりもなし。
カヤ ……主人公。アザミの旧友の娘。乗るどころか触るのも初めてだったけど、お馬さん大好きになりそう。
ナライ……名前は出てくるけどちっとも出番がない真・主人公。困ったね。なお、カヤの兄。
黒雲 ……アザミの愛馬。青鹿毛(真っ黒で艶が青っぽい毛)の大型馬。




