第一章之二 回想一年前 ~そもそもの始まりは……~
ナライ……主人公。元服前の少年。
カヤ ……主人公。ナライの妹。
アザミ……ナライ兄妹の父の古い友人。
――それは、今から遡ること、ちょうど一年前。北限の地らしい短い夏が早くも終わりを迎えようとしていたそんなある日こと。
そこは緩やかな山の中を通り抜ける山道だった。そしてその道を行くのは一人の男。
「あいつ……珍しく手紙なんぞ寄越したかと思ったら、まさかこんな頼み事とはな……。」
男は、際限なく降り注ぐツクツクボウシの声を頭上に浴びながら、のんびりとした足取りで自らの馬を進めていた。
男の名はアザミ。彼は今、旧知の友・ヤクトの求めに応じて、友の住む里へと馬を差し向けているところだったのだ。
「念のためとは書いてあるが……本当に大丈夫か?」
アザミはもう何度目かになる手紙の内容を読み返すと、気がかりそうに独り言ちていた。
アザミが手に持っている手紙の内容はこうだ。
――我が友・アザミへ
久しく顔を見せに来ないが、調子はどうだ。俺は相変わらずだ。
ところで、こっちでは最近、賊徒が見られるようになった。
お前のことだからたぶん聞き及んでいるとは思うが、噂によると今上の帝は京の治安を改善することに意欲的だと聞く。
おそらく、そのあおりを食って京にいられなくなった無頼連中がこちらまで流れてきて、賊働きに勤しんでいるのだろう。
そこで俺は、これらの連中の対処について近隣の里と話し合いを持った。
そしてその結果、その賊徒を討伐するための兵を組織することになったのだ。
だがその話し合いの中で、その兵の指揮を俺が取ることになってしまった。
正直なところ気は乗らないが、他に適任がいないのだから仕方がない。
そして、狩場は俺の里のすぐ南にある小村になることも決まった。
里にまでは危険は及ばないようにするつもりだが、なにしろ狩場となる村が近い。
念のため、事が済むまで家族をしばらくそちらに避難させておきたい。
引き取りに来られたし。
良き返事を期待する。
古い友人ヤクト――
「あいつのことだ。嘘は書かんだろうが……。」
アザミは手紙を読み終えると、そんな不信を口にしていた。
友の筆を疑うわけではないが、書かれている内容の不穏さに不安な気持ちが増して、信じたくない気持ちが強くなっていくのだ。
兎にも角にもそんな事情があったから、アザミはこうして友の待つ里へと向かっているのだった。
アザミが山道を抜け、森道、林道を通って、そしてついに目的の地となる友の待つ里の入口に差し掛かった、丁度その時――
「あっ。アザミさんだ。こんにちは。」
ふいに名を呼ばれたアザミは馬の脚を止めた。そして脇を見ると、そこには見覚えのある子どもの姿が。
「応。カヤか。ちょっと見ないうちに大きくなったな。ちょうどお前ん家に行こうとしてたんだ。どうだ、みんな元気にしてたか?」
そこにいたのはヤクトの娘・カヤだった。
石積みよって固められた粟畑の中からひょっこりと姿を見せたその子どもは、粟の葉でひっかいたのか、手や顔に切り傷を作っていた。
それでもそんなことを全然気にする様子もないカヤは、アザミに会えたことが嬉しいようで、元気いっぱいに受け答えていた。
「はい、元気ですよ。アザミさんはどうですか?」
「ああ、俺はいつでも元気だよ。ところで、お前こんな所で何してるんだ?」
「お兄ちゃん探してます。お母さんが探してきてって言うから。」
そう返されたアザミは、カヤの悪戯好きの兄・ナライの、どれだけ怒られてもちっとも懲りない顔を思い浮かべると――
「あいつ……また何かやらかしたのか?」
と、呆れたように苦笑しながら聞き返していた。
だが、実はアザミは知っていた。わざわざ「やらかしたのか?」などと聞くまでもなく、この兄妹の母親がナライを探している時は、決まってナライの悪さが発覚した時だと。
「さあ?でもお兄ちゃん、いつも怒られてばっかりですよ。」
「ははっ……それはしょうがない奴だな。」
「そうなんです。しょうがないお兄ちゃんなんです。」
それを聞いて、ますます苦笑したアザミ。
(まさか、普段からこんなことを方々に言って回ってるんじゃないだろうな……。)
確かにカヤは、兄のナライよりも要領の良い賢い娘で、それはこの兄妹を知っている者の間じゃ公然の事実みたいなものだった。
だが、そんなことを妹の口から聞かれたら兄貴の面子丸潰れじゃないか、と思わずにはいられないアザミだ。
「親父さん、今日は家か?」
「いいえ。お父さん、今日は狩りに行くって。」
「狩り……。ふうん、そうか。精が出るな。どこに行ったのか聞いてるか?」
人を呼びつけておいて自分は狩りとは……。――一瞬ムッとする思いもしたが、ヤクトもまさかこんなに早く旧友がやって来るとは思っていなかったのだろう。と、考え直したアザミ。
思い返してみれば、自分は手紙を読むとすぐに旅支度を済ませてこの里へと向かっていたのだ。
(むう……急ぎ過ぎたか……。)
自分で感じているよりも手紙の内容に驚き、慌てていたのかも知れない。――そう反省したアザミ。
「お父さん、今日は川に行く……って言ってましたよ?」
「川、か……なるほど。」
それを聞いたアザミは顎に手を当てて考えた。川。猟……いや、この場合は漁か。そして、この時期と言えば……。
「――鮭だな。よし。どうせだし、俺も手伝ってやるか。カヤ、あとで案内頼めるか?」
「はい、すぐでもいいですよ。こっちです。」
アザミの依頼に、カヤは間髪おかずに案内を始めようとしていた。
「お――?」
そんなカヤの様子に却って驚いたのはアザミだ。アザミは、カヤが母親から頼まれているお使いのことを忘れているんじゃないかと思ったのだ。
「おい、カヤ。でも、ナライはほっといていいのか?探してるんだろう?」
「いいですよ。どうせお腹すいたら帰ってくるもん。」
カヤを気遣っての確認だったが、返ってきたのは何ともあっけらかんとした答え。
(ナライのことならお見通しってわけか……。あの母親と言い、この妹と言い……あいつもまあ、なかなか大変だな……。)
カヤの後ろ姿に、その母親の姿が重なって見えた気がしたアザミだ。
大抵のことはナライの自業自得だとはいえ、年中そんな女二人に目を付けられているナライに同情を禁じ得ない気持ちになってくるのだ。
「ほんとにいいのか?お使いなんだろう?」
「いいです。やらなくっても誰も困らないし。」
カヤはもうナライの行方には興味がない様子だった。
母親には「探したけど見つからなかった」とでも言っておけば、それでいいとでも言いたげなその態度。実にふてぶてしい上に抜け目ないものだなあとアザミは感じていた。
(こいつ……まさか、お使いのフリして遊びまわっているだけなのか……?)
カヤの要領の良さの神髄を見せつけられたような気がして、後生畏るべしとはこのことかと身震いせずにはいられないアザミだ。
こんな年端も行かないうちからこういうことを平然とやってのけるとは、将来どんな大人になるのだろうか。
(まあ、こういうカミさんが良いって奴もいないことはないんだろうが……いや、やめよう。)
何か胸に突っかかるものを感じて、アザミはかぶりを振っていた。
――そんなことをしていると、せっかく案内を請け負ったのについて来ようとしないアザミに不審を覚えたのはカヤの方だった。
「こっちです。行かないんですか?」
カヤは不思議そうに、こちらを振り返っていた。
「ああいや。お前一人歩かせるのも悪いと思ってな。お前も乗っていくか?」
カヤの言葉に、自分の乗馬の背をポンと叩いていてそんなことを応じたアザミ。
案内の子どもを歩かせておきながら自分は乗馬。――勿論、本当にそんなことを気にしていたわけではない。これはあくまでも咄嗟に口から出た嘘、言い訳。
別に嘘を吐く必要もなかったのだが、吐いてしまったものは仕方がない。
「え?それに乗るの?」
だが、そんなつまらない嘘でも吐いた甲斐があったのか、「馬に乗ってみるか」という、思ってもみなかった申し出に戸惑っているカヤ。
その態度はアザミの嘘に気付いているようには見えない。
「怖いか?」
カヤがそんな様子だったから、アザミはその嘘を本当の気持ちに変えてカヤに尋ねていた。
「……んん、ちょっと……。」
「まあ確かに、こいつはちょっとデカいからな。」
アザミは馬の首を撫でながら言った。
確かにこの馬は大きかった。アザミのような大人から見ても大きいのだ。
この島国では馬は西、南に行くほど馬は小さくなっていく。だから東と北の果てにあるこの地の馬が大きいのは必然ではあったが、アザミの馬は大きい大きいと言われるこの地方の産駒の中でも大きい方だ。
だからそんな馬に乗るかと問われて、カヤが怯えるのも無理はない。
「――でも大丈夫だ。俺が一緒に乗ってるんだからな。だから暴れることはないし、もしお前が落ちそうになってもちゃんと支えてやる。」
「……イヤって言ったらどうなるんですか?」
「別にどうもしないさ。俺も歩くだけだ。」
アザミはあっけらかんと答えていた。
実はこれでもそれなりに気を遣った答え方だ。よく気の回るこの娘が、自分に気を遣ったせいでいやいや馬に乗ることになるのは避けたいところだったのだ。
それに、成り行き上そう言わなければならない流れになったが、別に自分の足で歩くのが嫌なわけじゃない。
「どうする?」
「……る。」
「ん?」
「乗る。わたし、乗ってみたい。」
「そうか。」
カヤの申し出にアザミは微笑んで応えた。
カヤは慎重だが、決して臆病な娘ではない。齢相応の好奇心も持ち合わせているのだ。
兄のナライならば、こちらが尋ねるまでもなく「乗せろ!やらせろ!走らせろ!」と言ってきそうなものだが、カヤはそんな兄貴と違って、もう少し奥ゆかしい性格だというだけなのだ。
「よし。じゃあこっちに来て両手を出せ。」
「はい。……でも、ほんとに大丈夫ですか?」
「ああ。俺がついてる。安心しろ。ほら、三でいくぞ。一、二、――」
こうしてカヤと言う案内役を得たアザミ。
彼は「――三!」の合図でカヤを持ち上げると、そのまま自分の前に乗せた。そして、旧友ヤクトの待つ川へと向かうべく馬の首を廻したのだった。
アザミ……旧友の求めに応じて、すぐさま馳せ参じた義理者。
カヤ ……真・主人公のはずの兄貴より先に出て来ちゃった主人公。旧友の娘。しっかり者と言うか、ちゃっかり者と言うか……。
ヤクト……アザミの旧友。カヤの父。のっぴきならない事情があって、アザミを呼びつけた。




