第五十六話 WLT
「え、なんですかそれ」
変な言葉だな。 アリガトウ? 蟻が十? 聞くだけでムズムズするこの感じ……。
「ほんとに知らないの!? 君どういう環境でそだったんですか……あでも、感謝するという概念はあるのか」
ぶつぶつと独り言を言っている。 そんなこと言われても知らないものは知らない。 ハジメもカスミ先生も、誰もそんな言葉言ってなかったし。
「あの、俺の事情聴取の準備ができたからここに戻ってきたんじゃないですか」
「事情聴取って……そんな物騒なことしませんよ。 そうそう、カウンセリングといったところですかに」
チョキチョキと鋏の形をしている。 か、かに? 不思議な人だな。
あれ、ウケてない? と独り言を言いながら別の部屋に案内される。 扉の先は予想通り廊下だった。 きれいに整備が行き届いている。 部屋も何部屋か見られるあたりやはり病院だろうか。 でも、あの病院独特の匂いがしない……。 窓から降り注ぐ気持ちの良い日差しを浴びながら歩いていく。 今考えると久しぶりの太陽だった。 ……そういえばこんなに広いのになぜか人の気配がしない。 全くってわけではないが、広さと人の密度の比があっていない。 患者が少ないということはいいことだが……。 あ、そういえば。
「あの、先ほどの呪文? みたいなものって何ですか? 俺、すごく取り乱していたはずなんですけれどスーって気持ちがおさまったんですよ。 何か関係があったりしますか? 」
あれで俺は正気に戻ったんだ。 魔法、とかそんなのは空想の世界の話だと思っていたが……。
「ああ、あれの事ですか。 んー、多分それも含めたもろもろの説明があると思いますので」
と適当に流された。 うーん、何かあることは間違いない。
とにかくついていくしかなかった。
「さあ、着きましたよ。 どうぞこちらに」
目の前には両開きの自動扉が待っていた。 果たして、扉を開けると……
ドオオオォォォォンンンン!!!
と目の前で大爆発!! 過去の記憶のある俺はすぐさま一歩引いて様子を見る。 まさか敵襲? いやちょっと待て。 この女性が敵ではない可能性はない。 ましてまだこの人の名前も聴いていないではないか。 そんな不安感とは真逆の、張りがない声が黒い煙の中から聞こえてくる。
「た、たすけてぇぇくれぇぇl! 」
「何してるんですか、キヤベ」
▽
「いやーごめんね。 出会いがしらが爆発とか、ビビったよね」
先ほどの女性からキヤベと呼ばれた男はこちらもまた白衣だったものを着ていた。 今は爆発のすすかなんかで汚れているが……。 女性とは対照的にあまりぱっとしない人だな。 髪もぼさぼさだし。 でもなんか、とても安心感のある人だな。
「いえ、確かにびっくりしましたけど……。 ところであなた方は? 」
「あれ、ラタス、説明してないの? 」
キヤベさんはラタスと呼ばれた先ほどから一緒にいた女性に尋ねた。
「あ、すみません!! そういえば、僕の名前も言っていませんでした……」
ごめんね? と謝るラタスさん。
「じゃあ僕から紹介するよ。 僕は木矢部。 気軽にキヤベって呼んでよ。 そしてそこの女性は……ラタス。 僕の助手をしてもらっている」
よろしくおねがいしますねー とひらひら手を振ってきた。 軽く会釈をして俺は話を続ける。
「俺は橋谷ユウって言います。 助手って看護師さんかなんかですか? 」
「看護師? ああ、ここは病院ではないよ。 ここは研究所さ」
研究所。 なるほど、だからあんな漫画みたいな爆発が見られたのか。 ってか、ほんとにあんな状況あるのだな。 キヤベさんはさらに続ける。
「ここはね、あるものを研究しているんだよ。 多分、君も経験しているんじゃないかな」
「あるもの……なんでしょうか」
そんな研究とかいうたいそうなことにかかわるような経験をしただろうか。 俺はわからず、その答えを請う。
「それはね……WLT、だよ」
「WLT……聞いたことありませんけど」
「でも見たことはあるんじゃない? 現に君の掌、みてごらんよ」
掌? 俺は言われた通り自分の掌を見た。 そこには〝WLT15242〟と水色の文字がプリントされていた。 これは確か、あの地下施設で会った有安家の男性からもらったものだ。 でもあの時は確か、紙でもらったような……。
「WLT……World Line Ticketの略だね。 日本語で世界線切符。 これは自分の世界線と別の世界線を繋いでくれるチケットの事だ。 だから君はここの世界の人ではない。 ここにきて何かおかしなことはなかったかな? 」
世界線……? この世界の人じゃない……? 何が何だか……そんなSFのような言葉が出てくるとは思わなかった。
「あ、そういえばユウ君、ありがとうって言葉知らなかったんですよ。 それもその世界線にはなかったってことですかね」
「ありがとうのない世界線か……。 なかなかおもしろいね」
勝手に会話を進めていく二人。 完全に置いてけぼりだった。
「ちょ、ちょっと待ってください……。 別の世界線ってどういうことですか。 そんなもの本当にあるんですか? 」
俺は困惑しきった頭を整理するように一つずつ聞いていくことにした。
「ああ、そうか。 君は……。 いや、何でもないよ。 そうだね、世界線について話さないとね。 質問の答えだけど、あるよ。 もっと身近なもので言ったら平行世界、パラレルワールドと言ったら想像つくかな。 現に今、君はそんなに混乱していないだろう? それが指し示しているように、あまり差異のない世界がこの世……というか、この世以外のところに世界があるんだよ
「ユウ君のいた世界はありがとうという言葉がない世界……だったかな? 後で街を散策してくるといい。 他にも驚くことがあるかもしれないしね
「このチケットの事なんだけど、作るきっかけとかは後々わかると思うし、正直長いから割愛させてもらうね。 それよりもこのチケットの発動条件なんだけど……正直よくわかっていないんだ。
「どうしてユウ君が持っているかもわからない。 他の世界線でも同じものがつくられていたってことは共通認識があるってことだからね。 ちなみに15242というのがユウ君の世界線の番地だね。
「このようにわからないことだらけなんだよね。 だからこうして研究しているわけだけれど……」
ご清聴ありがとうございましたとキヤベさん。
とにかく今、俺の固定概念が壊された。 世界線。 別次元の世界。 その存在。 そんなものがあるのか。 わからないことだらけだな……。
「じゃあ、次はユウ君の番ですね。 ユウ君の世界で何があったのか話してもらえますか? 」
「……はい」
俺はぽつぽつと話を始めた。 あの地獄のような、そしてかけがえのない記憶を思い出しながら。




