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ありがとうが蟻が十の世界で  作者: でつるつた
2日目 前
39/60

第三十九話 虫の知らせ

 ▲▲


「それにしてもぉ、カスミ遅いねぇ? 」


 モノさんが腕時計を確認しながら言う。 今俺たちはここの施設で買い物を終えてカスミ先生を待っている。 確かに、もうかれこれ2時間以上ここで話している。 


「私たちの居場所が分からないと言うことはないのでしょうか? 」


 ソナが心配そうに聞く。 これだけ広いのだ。 迷子、もとい迷大人になっても仕方がないとは思う。


「いやぁ、その心配はぁ大丈夫よぉ。 カスミはこの施設の構造全てが頭に入っているしぃ、ここで待ち合わせって言ったのもぉカスミだからねぇ」


 と、モノさんがソナの疑問に答えた。 しかし、ここの施設の構造全てが頭に入っているのは凄まじいな……。 改めてカスミ先生は何者なのだという疑問が浮かんだ。 

 いや、その答えはもう知っているのか。 米国で訓練を受けた、今は俺たちの教師……。 まあ、そう言われて納得できるはずないのだが。

 会話のネタもきれてきたので、少し全員で周りを見てみるか。 もしかしたらすぐ近くにいるかもしれないし。 そう思い俺はモノさんに提案をしようとする。


「あの、モノさ……」


 俺は言葉を最後まで紡ぐことができなかった。 モノさんの表情は……〝無〟だったのだ。 

 全く、完全に感情がない表情。 これほどまでに無の表情は見たことがない。 また、今までのおっとりとした口調や表情もあってか、少し不気味なくらいに違和感を感じてしまった。 ゾッとして、肩が軽く上がる。 瞬きをすると、元に戻っていた。


「……モノさん、少し周りを見ませんか? 」


「うーん……まあ、それもありよねぇ……。 よし、じゃあ行きますかぁ! 」


 はーい とソナ、アスナ、ハジメ。 どうやらあの表情に気づいたのは俺だけのようだ。

 確かに、モノさんのことは俺は何も知らない。 顔に紅のラインが入っているから元有安だったということぐらいしか情報がない。 カスミ先生とはずっと昔から知り合っていたと言っていたが……。 

 ……信用していいのだろうか。 

 ……いかんな。 信じる勇気を使ってしまう。 消費してしまうのは。 今まであまり人と関わってきていないから、その名残というか……。 


「ん、どーしたの? ユウ? そんな難しそうな顔をして」


 ハジメが俺の顔を覗き込んで言う。 ……そんな顔していたのか。


「いや、大丈夫だ。 何もない」


 ふーん とハジメは意味ありげに答えた。 取り立てて俺はそのことについて言及をしなかった。 少し、俺が感じている不安感をくみ取って欲しい、という考えがあったからだ。 ハジメは普段は能天気なやつだが、これでいてとても鋭い。 多分、受け取ってくれたはずだ。

 不意にモノさんが立ち止まる。 話していたソナとアスナはぶつかりそうになり、慌てて足を止めた。


「どうしたんですか? モノさん? 」


 アスナが尋ねる。

 その瞬間、モノさんがこちらを振り返った。

 ……ボロボロに泣いていた。

 まるで、何かに堰き止められていたものが今にも溢れてくるかのようだった。


「だ、大丈夫ですか!? どうしたんです…… 」


「逃げてっ!! 」


 ソナが言い終わる前にモノさんはそう叫んだ。 たった一言しかないその言葉だけで、その場は非日常となった。 ……一体、何があったのだ?


「ごめん、なさい……うっ、もう、時間がないの……とにかく、カスミの家に帰ってぇ……」


 モノさんが手で顔を覆いながら、必死にそう言った。 肩を上下させながら、立ったまま。


「ど、どうして? まだカスミ先生が、……きてないのに……」


 アスナが混乱しながら言う。 すると、モノさんは両手を下げ、顔があらわになる。


「ごめんなさい……さようなら」


 全力で泣き出しそうになる表情を堪えて、とても哀しい、それでいて優しい笑顔をしながら言った。

 そうして、ひとりで駆け出し、左の道に逸れる。 何が起こっているのか分からない俺たちはそこで立ちすくんでいた。

 モノさんが逸れてすぐに音が鳴った。


 パンッ!


 乾いた音だった。 続けて、


 ドスッ、グチャぁ……


 と言う鈍い音が同時に鳴った。

 相変わらず俺たちは立ちすくんだままだった。 突然のことだった。 頭がこの状況に追いつかない。 俺たちを嘲笑うかのように過ぎていく時間は、しかし俺を正気にさせることはなかった。 確認しなければならない。 モノさんが逸れた道の先を。 そして。

 逃げなければならない。

 俺はおぼつかない足を動かしてその先を見た。

 --そこには、モノさんの〝生首〟が〝落ちて〟いた。


「ひっ……! 」


 急に現実が戻ってくる。 青暗いはずのその道は変に明るく見えた。 詳細にその光景が映し出される。 生首の下には大きな血の海が広がっていて、その奥にある体はぐったりと横に倒れていた。

 〝こっちを向いていた〟モノさんは、紅のラインがまるで血の涙のように見えた。 その涙の先には血溜まりができていて。


「な、……何があったんですか……? 」


 こちらに来ようとするソナを俺は、


「見るなっ! 」


 としかいえなかった。 とても、体を動かせる状態ではなかった。 そう言ったものの、もう遅かったようで、


「い、いゃぁぁぁぁァァァァっっ! 」


 という声がそこら中にこだました。 

 --俺らは何か勘違いをしていたのかもしれない。 勿論、この日本を変えるという計画の重大さはわかっていた。 ただ、それは〝つもり〟だったのかもしれない。 現に先程、非日常になったと思ったが……。

 何を言っているんだ。 最初から〝非日常〟だったじゃないか。

 いつ、この作戦が終わってしまってもおかしくない。 いつ、人が死んでもおかしくない。 そんな状況のはずなのにどこかでなんとかなる、そう思っていたのかもしれない。 

 これまでの人生で俺はわかっていた筈ではないか。 人がいなくなったり、亡くなったりする時に。 いつだって、それは唐突に、突然に何の前触れもなく来ることを。 虫は--知らせないことを。


「みんな、逃げるよっっ!! 」


 ハジメが現実に戻すようにそう言った。 変換するのに少し時間がかかる。 そうやってもたもたしている俺の手をしっかりと握って、


「ユウ、しっかりして! 」


 と、一緒に走ってくれた。 視界に入ったソナを見ると、アスナが混乱しているソナの手をこれまた、しっかりと握って駆け出していた。 

 青く暗いこの施設の中を俺たちは出口に向かってただひたすらに走っていた。 全く出口が見えない為地獄の中を走っているかのような錯覚に陥ってしまう。 たったったっ……と言う単調なリズムの足音が響く。 周りの人たちは何事かと言う疑問の目で俺たちを見ていた。 

 --だんだん、意識が今の状態に追いついてきた。 


「すまない、……はぁ、ハジメ、もう、一人で走れるから……はぁ」


「わかった。 大丈夫だね? 今はとにかく出口に向かうことだけを意識して」


 ……そうだ。 モノさんが最期に言った言葉。


 逃げて。

 俺たちは今、逃げているのだ。 

 でも。

 〝一体何から? 〟

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