不安定な朝
〝黒の森〟もかなり暑く、休日には川へ行って涼み、納品も更にもう一度済ませた頃。
まだ夏が去るには遠いだろう時期、森の暮らしは静けさを取り戻し、心配していた共和国の動きもまだ目立ったところはないということで、ひとまずの平和とのんびりした生活を満喫できていた。
しかし、その日の朝は少し様子が違っていた。
いつもならリケの次か、その次くらいに起きてきて、外の空気を吸うか、あるいは魔力の補給をしに出ているリディが、今日は俺が水汲みから戻ってきた後、いの一番に起きてきていた。
「おはようございます、エイゾウさん」
「随分早いな。もう少し寝てても大丈夫だぞ」
「いえ、なんだか夢を見ていて、目が覚めてしまって」
「夢?」
「ええ。『世界の真ん中』にいたときの、あの光景です。文様が光って、風が止んで……」
リディの言葉がそこで止まる。彼女の目は遠くを見ているようにも見える。
「怖いとかではないんですけど、少し身体の魔力が安定しないような、そんな感じがします」
言われてみれば、リディの顔色もどことなく良くないような気がする。
「おいおい。無理はするなよ。飯ができたら呼ぶから、もう少し寝てるといい」
「はい、ありがとうございます」
軽く頭を下げて、リディはまた寝室へ戻っていった。
その背中を見送りながら、俺は朝食の準備を始める。
彼女が言っていた『世界の真ん中』へ行ったとき、つまり、ワームを倒して、〝大地の竜〟を眠らせたときから、彼女の身体に変化があったかと言えば、俺たちがわかるような大きな変化は何もなかった。
あれからもそこそこ経っているし、直接的な影響はなく、一時的な魔力の乱れとか、そういうものだと思いたいのだが、いかんせん魔力については専門外なので、何がどうなっているか、あまり確定的な判断ができないのがもどかしい。
リュイサさんを呼び出して聞いた方が良さそうだな。呼び出して来てくれるかどうかは確実ではないのだが。
「おはようございます」
「おう、おはよう」
考えつつ、朝食の準備を進めていると、リケが起きてきた。
リケもドワーフなので、人間とは少し違うはずなのだが、見たところ特に問題はなさそうである。
結局、ほぼいつもどおりの、賑やかな朝食の時間を迎えた。
一つ違ったのは、リディが起きてくるのが、アンネよりも僅かばかり早いかも、くらいには遅かったことくらいで、見たところ顔色も戻っているようだし、リディを見ると頷いているから、少しの時間でも横になって回復できたのだろう。
『いただきます』
最後に起きてきたアンネも合流して挨拶をし、朝食を始める。
「そう言えば」
朝食の最中、アンネが言った。まだ本調子ではないらしく、少しふわふわとした口調だ。
「お父様が居ても、みんなあまり変わらなかったわね」
「ああ、そういえばそうだった」
俺は思い出した。帝国の皇帝陛下その人がおわすというのに、いつも通りに賑やかで、上も下もなく飯を食っていた。
俺たちからすれば、鍛冶屋に獣人族にドワーフに王国の伯爵家令嬢、エルフに傭兵に帝国皇女と炎の精霊までいるのだから、今更上下を気にするような状況ではないというのが正直なところであったのだが。
陛下はそんなところを気に入ったようだったが、アンネの件の時に居合わせた細面の男からすれば、憤懣やるかたないところだろうな。
「ああいう、ある意味で豪快な客人がいないと思うと、しばらく経っててもちょっと寂しさはあるなぁ」
俺がボソリと言うと、家族全員が神妙に頷く。ああいう気持ちの良い客ならいつ来てくれても良いんだが、さりとて皇帝陛下を気軽に呼び出せるわけもないからな。
〝黒の森の主〟は割と気軽に呼び出している気もするが……。
俺は少ししんみりした空気を吹き飛ばすように、手早く朝食の残りを片付けて言う。
「ようし、今日もいつも通りの仕事を始めよう」
返ってきたのは、
「いつも通り、じゃなんか締まらないんだよな」
というサーミャの声と、家族皆の笑い声だった。




