噂
俺が内心でルイ王弟殿下に同情していると、気を取り直したらしいカミロが、身体を少し前に倒し、声を潜めて言った。
「共和国の噂、聞いているか?」
その言葉に、俺は眉を僅かに顰める。
「噂というと?」
俺の返事にカミロは小さくため息をついた。
「どうもあいつら、王国と帝国の諸侯に金をばらまいているようだ。商人も取り込んで、あちこちに手を伸ばしはじめたらしい」
「……どっから聞いたんだ?」
「信用できる筋、とだけ言っておく。この話を持ち込んだのは帝国の奴だが、王国でも似たような噂が立っている」
俺は腕を組む。あの湯殿で陛下も言っていた。共和国がきな臭い、と。
軽い冗談のようではなく、真剣な顔だったのはこういうことか。
「なるほど。俺も、とある人と言ってもすぐ分かるか。皇帝陛下から軽く聞いたが、どうやら事実らしいな」
身体を寄せるように身を乗り出していた家族の一人――アンネがこちらは盛大に眉を顰めた。余計な事を俺に言ったと思っているのだろう。
カミロは小さく頷いた。
「まあ、この情報を抑えてないはずもないか」
そう言ってカミロは机をトントンと指で叩き、息を吐いた。
「今日明日にも戦になるってわけじゃないだろうが、どさくさがあるかも知れん。気をつけろよ」
「わかってるよ」
その時、会話を遮るように、ディアナが少し不安げな声を出した。
「共和国が戦を仕掛けてきたら、あちこち巻き込まれるのよね……」
そして、その時に活躍せねばならないのは彼の兄だろう。武で鳴らした家でもあるし、この都にほど近い街を領地として貰っているのは、それを期待してのことなのだから。
俺はそっとディアナの肩に手を置く。
カミロがふっと表情を緩めた。
「まあ今はまだ噂の段階だ。暗い話ばかりじゃ商売がやりにくいしな」
「でも、いざとなれば儲けるんだろ」
「言いにくいが当たり前だ。俺の仕事を忘れたのか?」
「しっかり覚えてるともさ」
そんな軽口のたたき合いに、ディアナの表情も幾分か緩む。
もうしばらくの間は、こういう冗談で済んでいてくれるといいのだが。
共和国の件以外には特にこともなしで、都のほうも水面下ではあれこれ動いているだろうが、表向きは平和なものらしい。
公爵派の動きも迷宮騒ぎ以来落ち着いていて、エイムール家も久しぶりにのんびりしていると、近況報告があった。
そして、今日はもう一つある。
「こいつだ」
「拝見します」
カミロに差し出された布で包まれたを、俺は恭しく受け取った。
するりと布がほどけると、中から現れたのは短刀である。
短刀、というのは比喩表現ではない。拵えこそなく、刀身そのままだが、鋩があり、ゆるく湾れた刃文の入った、正真正銘の短刀である。
俺はそれを窓から入る光に翳した。肌もよく見え、しっかり鍛えられたものであることが分かる。
茎のところには北方の文字で「王国住 片桐花蓮」と銘が切られている。漢字そのものではないが、よく似ているので、チートやインストールに頼らなくても、そこそこ読めそうだな。
「よく出来てる。うちに来ても教えることがなさそうだな、と思うくらいには」
横で目を輝かせているリケに渡しながら、俺は言った。
リケも俺と同じように押し頂くようにして受け取る。
「なるほど」
リケは言葉短かに言った。
「かなり良いですね。親方から学ぶべきところはあるとは思いますが」
「じゃあ、いいか?」
「ええ、もちろん」
ニッコリと笑うリケ。俺は頷く。
「皆は?」
「異議なーし」
「もちろん、大丈夫よ」
「良いかと思います」
皆に聞いても、口々に賛成してくれた。なので、俺はカミロに向き直って言う。
「いつでもどうぞ、と伝えておいてくれ」
それを聞いて、カミロはニカッと笑って頷いた。
日森よしの先生のコミック版29話①が公開されました。
今回は描き下ろしのシーンも追加になっていますので、是非ご覧ください。
https://comic-walker.com/detail/KC_002143_S/episodes/KC_0021430003600011_E?episodeType=first