湯船に溶ける
鍛冶場の火を落とした後は、いつもの流れに入る。まずは入浴だ。
「本来、うちではまず入浴して、それから食事、最後に就寝という順序です」
今日も陛下を脱衣所へ案内してから、服を脱ぎつつ、俺は説明を添えた。
「昨日もでしたが、女性陣とは時間をずらしてます。浴室がすぐ隣ですからね」
「ふむ、なるほど」
一糸まとわぬ姿になった陛下は顎に手を当て、感心したように頷いた。
「罷り間違うことはない、ということだな」
「いえ……いや、そうなりますかねぇ」
俺が言うと、陛下はワッハッハと豪快に笑う。そういえば、陛下はお妃様が多いんだったか。
ちょっとした動きが、あれやこれやに受け取られてしまいかねない生活かあ。
俺はちょっとパスしたいところだな。
陛下は笑いながら湯船にザブンと浸かり、俺も一応の護衛を兼ねて一緒に入る。湯気が立ちのぼり、しばし静寂が包んだ。
やがて、陛下が低く声を漏らす。
「……本当はな。今日、俺はここでお前を帝国へ誘うつもりだった」
湯の表面が揺れ、言葉が空気に溶ける。俺は黙って耳を傾けた。
「俺が自ら来て、『帝国へ来い』と。これ以上の名目もあるまいよ」
「畏れ多いことですが」
「いや、お前の腕は、帝国でも最上級の待遇で迎えるに値するからな」
陛下の眼差しは、湯気の向こうでまっすぐだった。
だが、次の言葉は静かに笑みを含んでいた。
「だが……今は皆、ここにいるのがいいのだろうな。アンネも含めて、な」
肩をすくめ、豪快に笑う。その笑いには悔しさよりも、清々しさがあった。
「俺はここで充分です」
俺は正直に答える。
「家族がいて、〝いつも〟がある。これ以上は望みません」
「うむ。俺の目にもそう映る」
陛下はしばらく目を閉じ、湯の温かさを味わうように息を吐いた。
しばし沈黙が続いたのち、陛下は再び口を開いた。
「ただし……共和国の動きがきな臭い。王国とも帝国とも、遠からず事を構えるやもしれん」
声の調子は冗談めいてはいなかった。俺は真顔で頷く。
「具体的に何かあるのですか?」
「いまのところは兆しに過ぎん。だが、諸侯に金を流し、商人を抱き込み、静かに根を張っている。油断はできんな」
「〝遺跡〟の発掘にも熱心だったのでしたか」
「ほう、森の奥に住んでいるにしては耳が早いな」
「とある方から伺いましてね」
〝とある方〟とは、王国の王弟殿下その人なのだが、それは言わずにおく。
「ま、気をつけてくれ」
「承知しました。心に留めておきます」
陛下は満足げに頷いた。
「うむ。ま、お前たちならば、俺が言わずとも備えるであろうがな」
湯を上がると、冷たい夜気が火照った肌に心地よい。湯上がりの手ぬぐいで髪を拭きながら、陛下はふと笑った。
「さて、今日の夕食は何かな」
その言葉に、俺も思わず笑みを返した。
「大したものは出ませんよ。ですが、それがうちの〝いつも〟の夕食です」
陛下は頷き、湯気と衣服を纏って、ウキウキと我が家へと向かった。
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