皇帝の剣、火床の一日
作業を続け、昼前になると、鋼はだいぶ伸びてきた。剣身の輪郭がぼんやりと浮かび、形が見えてくる。
槌を握る手に返ってくる反発は、先ほどまでの塊としてのそれではなく、すでに「剣になろう」としている音を含んでいた。
陛下はその様子をじっと見守っていた。
「鋼は、素直だな」
短い感想だった。だが、その声音は戦場で無数の剣を見てきた者の実感を帯びている。
「はい。人が鍛えれば鍛えるほど応えてくれるように思います。派手ではありませんし、その分、気を抜けませんが、信頼は出来る」
俺は素直にそう言った。チート頼りではあるが、基本的には打ったとおり大人しく従ってくれるのは確かだ。
いかにチート頼りでも気を抜きすぎれば、へそを曲げられてしまうだろうが。
「……人の国も、そうあればよいのだがな」
独り言のような声に、俺は槌を止めた。だが皇帝はすぐに豪快に笑い飛ばす。
「いや、気にするな。ただの老いの愚痴だ」
俺は何も言わず、再び槌を振り下ろして答えにした。
やがて太陽が中天にさしかかり、皆が昼の休憩を終えると、工房の音が再び重なり始めた。
サーミャが普及品のナイフを黙々と研いでいる。手際はもう堂に入ったもので、俺が口を出すことはあまりないだろうな。
ディアナもリディも、それぞれに仕事をこなし、ヘレンの鎚の扱いはなかなかのものになっている。
もちろん、アンネも。
陛下はそんなアンネの様子を見て、僅かに目を細めている。
マリベルは火床の端に腰を下ろし、炎の揺らぎをぼんやりと眺めていた。ただぼんやりとしているように見えても、無意識に何かをしてくれているのか、不思議と温度が安定する。
クルルとルーシーは庭の日陰で丸くなり、昼寝に入っている。ハヤテがそのそばで翼を休めているのが見えた。
時折、誰かがボソリと言ったことに誰かが乗っかり、そして笑い声が響く。
これが我がエイゾウ工房の日常だ。そこに皇帝陛下が加わっているのが、少しだけ不思議に思えた。
「……賑やかでいい」
陛下がぽつりと漏らす。
「宮廷の広間は静かすぎる。声は響くが、笑いは響かん」
「ここでは鎚の音よりも笑い声の方が多いかも知れません」
俺が答えると、陛下はうむ、と満足げに頷いた。
「だからこそ、剣を打つ音が心地よい」
陛下は腕を組み、火床を見つめ続けていた。その視線には欲も野心もなく、ただ「職人の槌音」を聞きたいという素直な興味が宿っているように思えた。
こうして、午後もひたすら槌を振り続ける。
赤熱した鋼を叩き、火床へ戻し、また叩く。打ち延ばしながら、芯を締め、余計な歪みを殺していく。
陛下は一言も挟まない。ただ俺の動作を目で追い、音を聞いている。
リケが横で補助をしながら炭を継ぎ足す。目が合えば、それで十分伝わっている。工房のリズムは乱れない。
夕刻に近づく頃、剣身の形がようやく定まり始めた。刃となるべき部分はまだ粗いが、全体の姿は見えている。
一日かけてこれだけしか進めていないのは初めてかも知れない。それだけ、慎重にかつ丁寧に進められている証拠ではあるのだが。
今日はここまでだ。鋼を休ませ、次の工程に進むことになる。
「これが……俺の剣になるのか」
陛下が完成には遠い、剣と呼ぶにはまだ憚られるものを見て、感慨深げに呟いた。
槌を止めた俺は静かに答える。
「はい。鋼は時間をかけてこそ応えてくれます。陛下にも待っていただくことになりますが」
「構わん。今から完成が楽しみで仕方がない」
そう言って豪快に笑う陛下を見て、俺は心の中で頷いた。
帝国の皇帝である前に、一人の「使う者」としてこの剣を待っているのだ。
ならば俺がすべきことはただ一つ。良い剣を打つことだろう。
俺が片付けを始めると、普及品を進めていた家族たちも自然に区切りをつけていく。完成した刃物は樽へ、研ぎ終えた品は油を塗られ、整然と並んでいく。
日常の締めくくりが重なり、工房の音は少しずつ落ち着きを取り戻す。
「今日はここまでだな」
俺が言うと、リケが「はい」と頷いた。サーミャたちも道具を片付けにかかる。
陛下は深く頷き、肩の力を抜いていた。
その姿は玉座に座る一国の主ではなく、ただ自分の欲しかった剣を待つ、少年のような心を持った、一人の男に見えた。
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