父の本音、家族の食卓
「剣の依頼をしに来ただけ……と言っても信じそうにないな」
アンネの表情を見て、陛下は苦笑する。
「ま、目的はそれだけではないのも確かではある」
陛下の声は、それまでの豪放な調子とは違い、低く落ち着いていた。
皆が黙り込み、ただその続きを待つ。
「お前の顔を見に来た。父として、だ」
アンネの目を見ながら陛下が言った。庭の空気がぴんと張り詰める。
普段はのんびりとしているアンネの表情にも、驚きと戸惑いがはっきり浮かんだ。
「……どうして今になって」
「最後に会ったのは、お前がこちらに来た頃だったか。その後の『騒ぎ』のとき、俺は帝都にいて、ここでどうしているか、直接確かめることができなかった。だから、一度この目で見ておきたかったのだ」
アンネは唇を結び、しばし視線を落とした。
やがて顔を上げ、静かに言葉を返す。
「私はここで暮らしています。鍛冶の手伝いをし、森を歩いて、〝家族〟と食卓を囲んで、笑っています。……それが、今の私の生き方です」
帝国の皇帝は第七皇女を、いや、父親は娘をじっと見つめ、やがてふっと目を細めた。
「顔つきが変わったな。宮廷にいた頃はいつも作り物の笑みだった。だが今は違う。お前の言葉には力がある。……安心したぞ」
アンネはわずかに頬を赤らめて視線を逸らす。
その横顔を見ながら、俺は心の奥で小さく頷いていた。
「帝国は……お変わりありませんか」
アンネが問うと、陛下はゆっくりと答える。
「変わらんとも。宮殿も相変わらずだ」
そう言って陛下は破顔したが、その表情はすぐに平静さを取り戻す。
「我が帝国は大きく、速く、強い。だがその大きさゆえに軋む音もまた大きい。この王国のように一歩ずつ踏みしめて歩む国とは違う。だからこそ、こうして立ち止まる場所をお前が持っているのは良いことだ」
その言葉に、アンネは真っすぐ父を見返し、静かに頷いた。
陛下はそれを見てニカッと笑い、両手を叩いた。
「さて、難しい話はこのくらいにして、これから戻るのは難儀すると思うが……」
「そうですね」
俺は頷いた。今は昼を回ってしばらく経ったくらいか。
夏だし、日が高いうちに出られなくもないだろうが、途中で何かあれば変なところで日没だ。危険度が段違いに跳ね上がる。
俺の返事を聞いた陛下は、いよいよ喜色満面の笑みを浮かべる。
「それじゃあ、食事にしようじゃないか! 父が来たのだ。家族の食卓を共にしたい」
その声に、マリベルが「ごはんごはん!」と両手を挙げる。
クルルは尾を地面に打ち、ルーシーが「わふっ」と吠えた。
俺は苦笑しながら頷き、家へと戻った。
テラスのテーブルに並んだのは、焼いた肉にベリー系の果実で作ったソースをかけたもの、それに森で採れた木の実や葉物を混ぜた簡素なサラダっぽいやつ。
そして、我が家ではおなじみ野菜スープだ。
素朴だが、我が家にとっては〝いつも〟のごちそうである。
「……ほう」
陛下はじっと皿を眺めたのち、手を伸ばし、肉を一切れ口に運んだ。
「これはなかなかに、滋味がある。噛むほどに力が湧くようだ」
「この森で獲れた獲物ですからね」
俺が答えると、陛下は満足げに頷いた。
「帝都では皿に並ぶ前に十人の手を経る。味は整うが、こういう素直さは薄れてしまう。〝黒の森〟の食事とはこういうものなのだな」
さらりと言いながら、陛下はもう一切れ肉を取り、サラダに手を伸ばす。
実際には今日のは僅かばかり凝っているし、獣人たちがこういう食事をすることはない。それを言って気分を萎えさせる意味はないので、言わずにおくが。
「父上、どうですか」
「うむ。美味い。いや、美味いだけではないな。安心する」
アンネの問いに、陛下は真顔で答えた。
それを聞いたアンネの頬に、自然な笑みが浮かぶ。
マリベルはパンをむしり取り、ルーシーと分け与え、クルルは器用に木の実を割っている。ハヤテは骨付き肉を器用についばんで、目を輝かせていた。
「こうして並ぶと……帝国の宮廷より賑やかかもしれん」
陛下の言葉に、夕食の場が笑いで包まれた。
食後、湯を沸かしてハーブティーを回す。
「良い時間だ。俺が今、皇帝である前に、父であり、一人の客だと実感する」
そう言って湯飲みを置いた陛下の横顔は、確かにただの父親のものに見えた。
アンネは静かに頷き、目を閉じて香りを吸い込んだ。
帝国と王国の違い。父と娘の距離。
それをつなぐのは、結局こんなひとときなのかもしれない。
俺はそう思いながら、湯飲みを両手で包み込んだ。