立ちこめる雲
サーミャはかなりの速度で森を駆けていく。俺も必死になってその後を追う。
時々木々の枝が俺の身体や顔をピシリと叩いていくが、気にしてはいられない。
「あ、エイゾウ!」
少し進んだところで、ヘレンの声が聞こえた。見ると背中にリディを背負っている。
「いったん下ろすぞ」
「おう」
ヘレンに言われて、俺は頷いた。ゆっくりと地面に下ろされたリディの様子を見る。
顔が真っ青ということも、息が荒いということもない。見た目にはただ眠っているようである。
「おかしいところはなさそうに見えるな……でも、突然倒れたんだよな?」
俺はサーミャの方を見た。
「ああ。獲物を捕らえて、湖に持っていったとき、ドサって音がして、見たら倒れてた」
「じゃ、特に声を出したりとか、身体を動かしたりとかは」
「無かった。ホントに急に寝てるみたいでさ」
身体を吊っていた糸が切れるように倒れてしまった人を俺も見たことがあるが、おそらくは皆の目が獲物の方に向いているときにそうなったんだろう。
となると、
「おかしいところがないのがおかしいな」
顔色が悪かったり、息が荒かったりすれば何らかの疾病であろうと見当をつけられるのだが、リディにはそういった様子がない。
人間として考えれば、普通何らかの異常があるときは、身体のどこかに反応があるものだと思うのだが、今のリディをこのままベッドに寝かせれば、ただ寝ているだけにしか見えないだろう。
こうなると逆に原因が掴めない。まさか前の世界にあった童話のように、何かのきっかけがあるまで目が覚めない、ということはないと思いたいのだが、そうではないという保証もない。
「知らないだけでエルフ固有の病気があるのかも知れないが……」
リディのおでこに手を当ててみる。特に熱っぽい感じはない。口元に耳を近づけてもすぅすぅと静かな寝息を立てているだけだし、脈も取ってみたが俺の分かる範囲で異常な感じはない。
「取りあえず家に運んで様子を見るか……としか今は言えないな」
「わかった」
ヘレンが頷き、俺とサーミャが手伝ってリディを再び背負って貰った。身長があって力も強いし、何より速い。
「先に行ってるぞ」
「頼んだ」
言うが速いか、ヘレンはあっという間に走り去っていった。それも背負ったリディをあまり揺らさないようにしつつ、である。
少し離れたところから見ると飛んでいるかのように見えるほどだ。
「よし、俺たちも急ごう。皆も戻ってきてるんだよな?」
「うん。すぐ後を追ってきてる」
俺とサーミャは頷き合うと、ヘレンの後を追って走った。
皆が家に戻って今、リディは自室のベッドで静かに寝ている。様子を見たときに想像したとおり、ただ寝ているようにしか見えない。
いつも賑やかに夕食を摂っているテラスも、今は控えめに声が響いているだけだ。
「医者に診せるか? いや、しかしエルフを診られる医者っているのか?」
医者と呼ばれるような立場の人間はこの世界にも存在する。
だが勿論、技術は俺が「前にいたところ」と比べるべくもない。
インストールによれば、この世界の医者がやることは概ね診断と、その診断によった薬の調合である。そのため、ある程度のものは結構治せる……らしい。
それに600年前の大戦時にそれまであった個別の知見が統合されて(各々が自分の経験則だけで治療していては助かる命も助からない)、不老不死のためには水銀を飲むと良い、みたいに人命にクリティカルなものは淘汰されているそうだ。
ただ、民間療法的なものも多く残ってはいるらしい。
そして、この世界にはレントゲン写真もCTスキャンもMRIもないのだ。診断もある程度までは正確さがあるだろうが、正確な診断は厳しいだろう。
そのインストールも、今病に伏せっているリディを救うための知識は入れてくれていない。
「カミロさんに情報収集をお願いするのは?」
飯もそこそこに唸っている俺を見かねてか、ディアナがそう提案してくれる。
「そうだなぁ。医者を頼むかもってのと一緒に、こういうことが他にあったかどうかは聞いてみるべきか」
善は急げ。ハヤテには悪いが、少し頑張って貰おうかな。そう思って席を立ったとき、俺の目が人影を捉えた。