戦いの始まり
俺とヘレンを先頭に、サーミャとリディ、アンネとディアナ、そしてリケとクルル、ルーシーの隊形で進んでいく。
皆押し黙り、言わずとも歩調を揃えていて、今だけを見ると小さな軍隊のようだ。
そのまま、通路のようになっているところを抜ける。そこはいかなる要因によるものか、薄明るくなっており、ぼんやりとだが広い空間であることがわかった。
「うっ」
その言葉を発したのは俺だったか、それとも他の誰かだっただろうか。それくらい無意識に漏れた言葉。臭いではない。濃密な何らかの気配。リディに確認するまでもない。いるのだ。
「松明!」
鋭い、しかし沈着冷静なヘレンの声が空間に響いた。リケ以外の全員が松明を放り投げる。投げられた松明は地面に落ちてなお、あたりを照らす。すると、空間の明るさが一気に増した。
どうやら、この空間にはヒカリゴケのような植物が生えているらしい。壁面や地面の一部が明るくなっている。もっと暗い環境での戦闘を覚悟していたが、これはありがたい。
空間は大きなホールのようになっていた。天井はヒカリゴケ(仮)があまり生えていないせいか、暗くて高さが分からないが、広さはかなりあるらしい。奥の方までは光がちゃんと届いていない。
地面は多少の凹凸はあるにせよ、走ったり踏ん張ったりするのには支障なさそうだ。
そして、その空間の中央に佇む巨体。邪鬼だ。ゴツゴツとした肌が、ややもすると肥満体と取れるような身体を覆っているが、衣服は身にまとっていない。身長はアンネよりも更に高く、その手にはどこから調達してきたものか、岩のように見える素材の棍棒を携えている。
鼻そのものはないが、鼻孔らしき穴のある、乱ぐい歯をむき出しにした禿頭には、なんと目がなかった。
「日の光で弱体化、というよりは目がないから外に出ると不利ってことか」
目の有無は遠距離で早期に獲物や敵を発見できるかどうかにもかかってくる。夜間ならいざ知らず、昼間にノコノコと出ていけば袋叩きにあうだろう。
生物ではなく魔力から生まれた魔物なので、目がないのが進化の過程によるものかどうかはわからない。ホブゴブリンも感覚器官を使っているようだったし、そこらは生物と共通らしいのが救いだな。
理由はわからないが、何故かこの状況にあってもぼんやりと佇んでいる。身体は俺達から見て斜めを向いているが、射撃するのに支障はなさそうだ。
「接敵! 射撃用意!」
相手が態勢を整えるのを待ってやる義理もない。目標を認め、ヘレンが号令する。俺とヘレンは左右に別れ、その間からサーミャとリディが弓を手に前に出た。後ろでガチャリと音がする。アンネが投槍を準備しているのだろう。
サーミャとリディは弓に矢をつがえ、弦を引き絞る。2つの弓はキリキリと力を蓄えた。
「放て!」
ヘレンの号令で2本の矢が空間を切り裂くように飛んでいく。矢は見事に邪鬼の頭に命中し、深々と突き刺さった。
「ギィヤァァァァァァァァァァ!!!」
巨躯に見合わぬ、空気を切り裂くような、悲鳴にも似た咆哮を邪鬼が上げた。これでそのまま倒れてくれれば、拍子抜けではあるが一番いい展開だ。
しかし、そんな淡い期待は打ち砕かれる。邪鬼は鼻孔を動かすとこちらに目のない頭を向け、
「キャオオオオオオオ!!!」
さっきのとはまた違う咆哮を上げた。よく見れば耳朶もない。どうやら臭いだけでこちらを把握しているらしい。ズシン、と身体もこちらへ向ける。
「チッ、さがれ!」
ヘレンが舌打ちをして号令する。サーミャとリディは号令に従って素早く後ろに退いていく。邪鬼はこちらを向いて、もう一歩足を踏み出した。
「しゃがめ!」
サーミャとリディが俺たちより後ろに下がったのを確認して、ヘレンは次の指示を下した。俺とヘレンは素早くしゃがみこむ。
直後、ブンと低い音がして、銀色の光が一条、邪鬼へ向かって飛んでいく。こちらに来ようとしていた邪鬼は、その光を腹に受けた。三度の咆哮。耳に心地よいとは言えない音が耳に叩きつけられる。
「前列前進! やつの悲鳴だけなんとかなんねーかな!!」
ヘレンが号令と同時にうんざりした顔で愚痴を漏らす。
立ち上がり、槍を構えて前進しながら俺はヘレンに返す。
「同意するが無理だろうな」
「残念だ!」
ヘレンは俺に速度を合わせて進みながら言った。まだ愚痴を言ってやり取りする余裕があるなら平気だな。
邪鬼は腹に刺さった投槍を棍棒を持っていない方の手で掴んで抜いた。血液を巡らせている生物ではないので、血は出ない。それは分かっていたのだが、そこに空いた穴がみるみるうちに塞がっていくのはあまり予想していなかった。
「澱んだ魔力による回復です!」
俺たちの後ろからリディが言った。ホブゴブリンも魔力で回復はしたが、ここまで早くはなかった。
「厄介だな」
ヘレンがため息まじりにつぶやいた。俺は頷きながら返す。
「こうなったらやるっきゃねぇだろ。やつが消えるまで何度でも倒し続けるだけだ」
「だな」
俺の言葉にヘレンはニヤリと笑って同意する。傷が塞がった邪鬼は俺たちに向かって走りだした。図体の割には素早いが、昨日1日だけとは言え、俺達は“迅雷”の攻撃を受けてきたのだ、という自信が恐怖心を打ち負かす。
「止まれ!」
ヘレンの鋭い号令。俺たちは足を止めた。邪鬼はもうすぐそこまで迫ってきている。
俺たちはヘレンの次の号令を待つ。そして、それはすぐに下された。
「かかれ!」




