決戦へ
俺たちはどんどん奥へと進んでいく。進んでいくにつれ、ひんやりと、しかしジメッとした風が俺の肌を撫でる回数も増えてきた。こういった洞窟は魔力が澱みやすいと聞いた。俺がついていった遠征のときも、こんなふうに風は動いていたが、魔力の澱みやすいらしい洞窟だったな。
ここであそこみたいな異常事態が発生したらどうするべきだろうか。今のうちに放棄してよそに移り住むべきか? いや、最悪の場合はリュイサさんが地形を変えてでもなんとかしてくれるだろう。本人もそんなふうなことを言っていたし。
あまり他人に頼るのもな、とは思うのだが、なにせ“森の主”様である。地域の危機は支配者に解決してもらおう。
「魔物が出るってのがなけりゃ、こういうところで物を冷やすのはありなんだけどなぁ。それか氷があれば持って帰るんだけど」
俺がふと漏らした言葉に、ヘレンが食いついた。
「冷やしてどうするんだ?」
「冷やしたほうが食い物とか保つんだよ」
「へえ」
この“黒の森”は広い。探せばもっと気温の低い氷穴のようなところもありそうだ。そこで直接保存するなり、氷があれば切り出してくるなりして食品なんかを保存できればいいのだが、この世界ではそう言った場所には魔物がわきやすいのがネックだな。
うちは街から離れている。畑や狩りの獲物で新鮮なものが手に入るが、それでも基本的には乾燥させたり塩漬けにした保存食が中心になっている。もし氷で食品を保存できるようになれば、うちの食生活も広がりそうなんだけどなぁ。
「冬場のほうが多少長持ちするだろ? あれと同じだよ」
「ああ、そう言えばそうだ」
「それに冷やしたほうが美味いものもある」
「ほほう」
一部の果物なんかは冷やしたほうが俺は好きだ。それに、アイスクリームみたいなものはそもそも低温でないと作れないからなあ。素材がそれなりに入手できるなら作ってみることも考えるのだが。
「うちには氷室があったわよ」
会話に入ってきたのは俺達の後ろにいるアンネだ。そりゃ帝国の宮殿ともなれば氷室もあるか。
「氷室?」
サーミャが聞き慣れない言葉を耳にして首を傾げる。この間も全員周囲に目を走らせ気配を探ることは止めていない。
「冬の間に雪とか氷とかをそこへしこたま詰め込んで、夏に取り出したりするのよ」
「えっ、アンネん家はそんなんがあるのか」
「そうね」
アンネが頷く。サーミャは「ほへー」と感心しきりなようだ。
「ディアナのところは……なかったみたいね。あんまり驚かないところをみると、エイゾウのところにもあったのかしら」
ディアナは小さく首を横に振った。王国の伯爵家にもないとなると結構貴重な設備だと言える。まぁ、冬のものを夏まで保存しようなんて贅沢がそうそうできるわけもないか。
そして俺の場合、あったかどうかで言えば、あったと言うしかないだろう。3ドアでちょっと大きめのいいやつが。そう言えばあれ、前のが壊れて買い替えてからそんなに経ってなかったな……。
「うちにはなかったけど、知り合いのとこにはあったからな」
俺はとりあえずそう言っておく。どうやら結構上の方の貴族の出だと思われているっぽいし、これで通用するだろう。そんな俺の思惑通りか、はたまた違うのか、アンネは「ふぅん」とだけ返してくる。
そんなくだらない話を遮るかのように、リディが緊張した声で言った。
「……いますね」
今まさに分岐が見えて、態勢を整えようとしているところだった。今まではどの先にいるのか特定するのに時間が掛かっていたりしたが、それも徐々に短くなってとうとう分岐より前に分かるようになった。
いよいよ、と言うことだ。念の為、鼻が利くサーミャを前に出して臭いを確認してもらう。いつの間にかルーシーも足元に来ていて、2人一緒に鼻をひくひくさせている。
やがてサーミャは小さな声で言った。
「臭いはしてこないな……でも気配はうん、なんとなくわかる」
魔物は生物とみれば殺す。だが食ったりはしないので、うっかり迷い込んで殺されてしまった生物がいれば、それに関連する臭いがしてくるはずだし、もしも邪鬼が生物に倒されていれば、その生物の臭いがするはずだ。
そのどちらでもなく気配があるということは、おそらく邪鬼はこの先で健在ということだろう。
「今のうちに最終確認をしておこう」
ヒソヒソ声でヘレンが言った。もう既にガシャガシャと音は立てているので今更ではあるのだが、大声で会話する必要もないからな。
俺たちは頷いて、自分の身の回りを確認する。ややあって、再び皆で顔を合わせると頷き、昨日の練習通りの隊形に並び直す。
「よし、あとは手はず通りに行くぞ。前進!」
ヘレンが号令をかけた。俺たちは雄叫びこそ上げなかったが、どこか高揚した気持ちで決戦場へと足を踏み入れた。