準備
明けて翌朝。俺はいつものとおりに水瓶を用意した。井戸が出来ても水汲みは止めない。散歩代わりだし、井戸は汲んできた水が無くなったら使う運用にしておいて、いざというときに水がない事態を防ぐためでもある。
井戸を覗き込んでみると結構な量の綺麗な水が溜まっていて、そうそう涸れることはなさそうだが、まぁ用心に越したことはあるまい。
家の外に出ると、まず尻尾をブンブン振り回すルーシーに出迎えられる。彼女の首には小さめの水瓶を1つだけ。しかし、心なしか水瓶が小さく見える。
ルーシーも大きくなってきたなぁ。顔つきから子犬らしさが薄れてきている。まぁ、そうは言っても俺から見て可愛いことには変わりない。ルーシーの頭を撫でると、彼女は更に尻尾を強く振った。
クルルもなんとなく大きくなっているような気もする。まだ子供だったのだろうか。大きな水瓶2つを余裕で下げて、俺に頭を擦り付けてくる。
「よしよし、お前もいい子だ」
「クルルルルルルル」
その頭を撫でてやり、俺と2人の娘は水を汲みに湖へと向かった。
朝の日課を一通り終えてから、今日は全員装備を身につけてテラスに集合した。しかし、そこは森の中の一軒家、一番ゴツいのが軽量級のヘレンの装備で、ついで胸甲とすね当てなどを持っていたディアナである。その他の面子は装甲はなしなので、防御力的には心もとない。
それでも“黒の森”の中でもトップレベルに武装されていることは間違いない。そうは言っても、だ。
「鎧作っときゃ良かったかなぁ」
俺が言うと、ディアナが小さくため息をつく。
「大して着ないでしょ」
「そうなんだよなぁ」
森の中で鎧が役に立つ機会は少ない。意味がないわけではないが、装甲よりも機動力のほうが優先されることは言うまでもないので、ヘレンでも狩りについていくときは鎧を着ては行かない。
街へ行く道中であればまだもう少し意味が出てくると思うが、2週間に1回、ほんの数時間程度のために整備する必要があるかというと、ねぇ?
そんなわけでこれまで特に家族向けの鎧は作ってこなかったのだが、邪鬼相手は勿論のこと、魔物化した大黒熊を退治するなんてことを考えると、作っておいたほうが良いのかも知れないなぁ。
そこは今言ってもはじまらないことなので、おいおい考えるとして、俺は目先の問題に話題を変える。
「洞窟内で邪鬼を倒す、ってことはそれなりに広いとこと思ったほうがいいよな」
「家族全員連れて行くの?」
アンネの言葉に俺は腕を組む。
「うーん、クルルとルーシー、それにリケをここに置いてくのは俺も考えたんだけどな」
リケの顔がこちらを向いた。
「誰かが大怪我を負ったときには即座に後送して処置してもらわにゃならん。そこに積極的に戦闘に参加できる人間を割り当てると戦力が下がっちまうから、悪いがクルルもリケも連れて行くことになる」
「となると……」
俺は頷きながら言った。
「ここにルーシーだけほっといてもついてきそうだし、本当の万が一のときに繋がれたままじゃマズいから、つなぐわけにもいかん。連れていくしかないだろ」
ルーシーが繋がれたまま放置されていたら、ジゼルさんたちがなんとかしてくれるような気はしないではないが、そんな保証はないしなぁ……。頼んでおくのも何か違う気がするし。
「エイゾウ工房の家族全員ってことか」
サーミャが身を乗り出して言った。仲間はずれが出なかったからか、少し嬉しそうだ。うちの家族の中ではサーミャとリケが一番付き合いが長いからだろうけど。
「そうだな」
俺は頷いた。「家族全員」。うちにいる以上、今までも鍛冶屋として収入を得たりして、間接的にその生命を預かっていたのは俺だ……と思う。
今回はより直接的にそれを守ることになる。が、俺は個人の戦闘能力はともかく、前の世界ではただのプログラマーだったし、この世界では腕前はさておき鍛冶屋でしかないのだ。圧倒的に力が足りない。
俺は皆に頭を下げながら言った。
「今更ですまんが、皆の力を貸してくれ。ちょっと手に余るかも知れん」
一瞬の静寂。しかし、それはすぐに破られた。
「本当に今更だな。最初っからそのつもりだよ」
「大丈夫ですよ! いやまぁ、戦うのは厳しいかもですが、それ以外はなんでも!」
「こういうときくらいは任せなさいよ、ねぇ?」
「補助は私が出来ますし、安心していただいていいかと」
「アタイを誰だと思ってんだ。そもそもワクワクしてんだから、気にすんなよな」
「こういう経験、一度してみたいと思ってたのよね」
「クルルル」
「わんわん!」
口々に言う俺の家族たち。俺は目から零れそうになるものをこらえながら、頭を上げる。
さて、ウジウジとするのはここまでだ。やると決めたことを、しっかりこなそう。俺たちの“いつも”に戻るために。