夏の井戸
それから2週間が過ぎた。このところイレギュラー続きだったこともあって、特に変わったことはしていない。リハビリのようなものだ。
納品の時にカミロに聞いてみたが「世は並べて事もなし」とのことだった。マリウスとジュリーさんも睦まじく新婚生活を送っているらしい。新婚旅行の概念はこの世界にはまだないというか、そもそも物見遊山での移動はあまりないと言っていいだろう。
旅人とはつまりどこにとっても“よそ者”だからなぁ……。行商人や探索者たちにもそれなりの苦労があるに違いない。何か事が起これば真っ先に疑われるのは彼らだろうし。
まぁ、あの新婚さんたちには指輪がついているから滅多なことは起こらないと思ってよかろう。そのあたりを心配しなくて済みそうなのは、本当にありがたいことである。
そんなこんなでいつもどおりの2週間を過ごし、俺は気が付き始めた。
「最近またちょっと暑くなってないか?」
「あー」
テラスで昼飯を皆で食べている時に俺が言うと、サーミャが空を仰ぎ見た。以前も随分と暑くなったとは思ったが、飯や休憩で鍛冶場から出た時に涼しさをあまり感じなくなってきているような……。まだ今のところはじっとしていると汗がダラダラと流れるというほどではないのだが、更に気温が上がっているような気がする。
「もう夏だな……」
日が差し込みにくい“黒の森”の中で湖を除くと、ひらけているのはうちの周りだ。抜けるように青い空には太陽がさんさんと輝き、その恵みを地面に注いでいる。
「もうそんな季節なんだなぁ」
俺がこの世界にやってきたのは多分春先くらいだ。それから雨季を経て夏。まだ1年は経過していないとはいえ、それなりの時間が経ったことになる。その間にいろいろなことが起こりすぎて、もっと時間が経っているような錯覚もあるが。
「これからまだまだ暑くなるのか?」
「そうだなぁ。夏も始まってそんなに経ってないし」
鍛冶場の中ほどではない(そうなったらこのあたりは砂漠と化している)だろうが、まだ暑くなるのか。そうなると、いずれ何をしていても汗をかくようになりそうだな。
「井戸を掘るか……」
汗をかくということは、つまり体内の水分が失われているということである。それに今のように身体を絞った布で拭くだけでは物足りなくなるのではなかろうか。主に俺がだが。となれば水浴びもしたくなるだろう。それはクルルもルーシーも同じである。
そうなれば、今汲んでいる量では水の量が足りなくなってくることは鍛冶場の火を見るより明らかというもの。水分を補給するための飲料水や畑に撒くぶんもあるわけだし。
足りなくなったら湖へ汲みに行ってもいいのだろうが、ほぼ毎日それもなぁ……。散歩も兼ねているので水汲み自体は続けるにしても、簡単に水を確保する手段もいずれ来たる風呂計画のためにも今のうちに整えておきたい。
「どうだろう?」
俺は皆に井戸掘りを提案した。幸い納品はこの間したところだから時間はあるので、後は皆が井戸を必要と思うかどうかだ。
「アタシはあってもいいと思う。アタシやヘレンはともかく、他のみんなはここから湖に行くのも危ないかもだし」
そう言ってサーミャは同意してくれた。
「そうねぇ……。無くて今すぐ困るものではないけど、あればとても便利なのは確かね」
「私もあっていいと思います。水を沢山必要とするものを植えるかも知れませんし」
腕を組んで考え込んでいるのはディアナだ。リケとアンネも似たような感じみたいで、消極的賛成と言えるだろうか。畑を考えて積極的に賛同したのがリディである。自由に使える水が増えれば植えるもののレパートリーが増えるのは道理かも知れない。さすがにかけ流せないと思うので、ワサビのような植物までは無理だろうが。
ヘレンはというとあまり興味がない感じであった。サーミャが言う通り彼女は自分で湖に汲みに行けるからどっちでも問題ない、ということらしい。
「問題は家の周りで水が出るか定かじゃないところだな」
「それなのよね」
俺が言うと、ディアナが腕を組んだまま頷いた。あちこち掘り返しはしたが結局水は出ませんでしたとなれば、骨折り損のくたびれ儲けである。湖の様子から見て伏流水なり帯水層なりはありそうだが、ここらまでは通じていない可能性は普通にあるのだ。
ディアナたちが積極的に賛成と言わないのも恐らくはそこだろう。そこまで考えて、俺はハタと気がついた。
「しまった、妖精さんたちにここらは水が出るのか聞いておけばよかったな」
彼女たちなら水がどこまで来ているか、ある程度知っていたかも知れない。あるいは感知できるとか。前に家に来た時に聞いておけばよかった。
「妖精さんたちへ連絡する方法もわからないですし、とりあえずやってみるのはありなのでは?」
そうリケが言うと、
「そうね。水が出なかったらその時考えましょう」
ディアナが同意した。
こうして、エイゾウ工房での井戸掘り開始が決定されたのだった。