鞘の色
筆を緑の染料につける。スッと筆の先が緑色に染まった。その緑を鞘に彫った薔薇の葉に移していく。染料というものは名前の通り浸透させ、染めて着色する。浸透した分だけ色がつくわけだ。
赤の染料も一発で綺麗な赤がのったわけではない。今のところはまだ薄い赤にしかなってない。
だと言うのに、この緑はほぼ一発で緑になっている。流石に木目が消える程ではないが、これ以上は着色の必要がなかろうというくらいの色味だ。
染料はいくら塗り重ねても木目が消えることはまずないので、これは塗り終わったら緑の方は一発で終わりだな……。
「確かにこれは濃いな」
「でしょう?」
得意げにリディが胸を張った。でもそれも分かるくらいの濃さだ。
ペタペタと塗料を塗っていき、やがて緑の葉と鮮やかな薄い赤の薔薇が姿をあらわす。
「ふむ」
薔薇の赤もあまり濃すぎないほうが、このあと白い顔料を塗らない場合でも綺麗な気もするな。染料自体は他の用途にも使えるわけだし、使い切る必要もない。
このままだと水に濡れた時に染料が流れてしまうので、テレピン油のようなもので保護をしたほうが良さそうだ。
顔料がカミロのところにあれば、あるとは思うのだが、これも次行った時に聞いてみないといけないな。
「きれい!」
思わずだろう、一旦塗装を終えた鞘を後ろから覗き込んでいたリージャさんが声を上げた。シーッとディーピカさんが窘める。
「あっ、ごめんなさい……」
リージャさんはシュンとしてしまう。俺は思わず笑顔になりながら言った。
「いえいえ、気にすることはないですよ。妖精さんのお墨付きなら、これで仕上がりとしましょうかね」
今度は喜色満面の笑みを浮かべるリージャさん。なんだか社会科見学から、「お父さんの職場訪問」みたいになってきたな。
妖精さんのお墨付きで思い出したが、ジゼルさんが指輪にかけてくれた祝福ってなんなんだろう。ざっくりと「祝福を与えた」としか聞いてないな。
2人が知ってるかは分からないけど、聞いてみるか。
「そう言えば、ジゼルさんが祝福をくれたんですけど、具体的にどんなものとかあるんですか?」
「どんなもの?」
ディーピカさんが小首をかしげる。もしかして種類がないとかだろうか。
「病魔退散とか、恋愛成就とか……」
「ああ」
ディーピカさんは手をぽんと合わせた。まぁ、結婚指輪だというのはジゼルさんも知っているから、祝福の種類があったとして後者はないだろうが。
「長がどんな祝福をしたのかは、祝福を授けたものを見てみないとわからないですねぇ」
「ああ、それなら」
俺は神棚のところに置いてあった指輪を持ってくる。手のひらに載せて、ディーピカさんたちに差し出した。
「これなんですが」
「どれどれ」
指輪を覗き込むディーピカさん。リージャさんも一緒になって覗いている。
「これは災厄除けですね。良くないことから身を守ってくれます」
「へえ」
俺は指輪をつまみ上げた。いつもと変わらずキラキラと輝いている。
「長が授ける祝福としては一二を争うくらいのものなので、それを受け取る人は幸せ者だと思います」
「それはそれは」
治療の前払いとしては破格の報酬を払ってくれたらしい。そもそも値付け不能なレベルだろうが、友人夫妻の安全が買えたと思えば、今後ずっと無償で治療してもいいくらいだな。
「ちなみに防いだ災厄が他に降り注ぐなんてことは……」
「ないです」
ピシャリとディーピカさんに否定されてしまった。前の世界の感覚だと、悪意なくえげつないことをする印象があるからな……。
「どうも人間たちには何か大きな誤解があるようですね」
「ああいえ、多分私だけですよ」
前の世界の感覚を持っていると、この世界との誤差に戸惑うこともある。多分この世界では妖精は違った存在なのだろう。と、思っていたのだが。
「いいえ、長曰く、『妖精は人を惑わしてさらっていく』という人もいるそうです!」
「ああ……」
こっちの世界でも妖精さんの扱いはあまり変わらないらしい。
俺は苦笑しながら、すっかり憤慨しているディーピカさんをなだめるのだった。




