ヒヒイロカネ
「これがか……」
日緋色金。前の世界の日本でも様々な言い伝えがある金属だ。小さいが魔法の灯りを反射して、赤く揺らめく光を放っている。
俺は大体2センチ角ほどの大きさのヒヒイロカネをつまみ上げた。この大きさでもズシリとした重さを感じる。
前の世界の言い伝えだと金より若干比重が軽いはずだが、この手応えだと金よりはるかに重そうだ。
つまんだ指先にグッと力を入れたがビクともしない。メギスチウムを加工した直後だからちょっとドキドキしたが、さすがにこいつまで柔らかいということはないみたいだ。
「こいつはどうしたんだ? 高かっただろ」
ニコニコしながら俺がためつすがめつする様子を見ていたヘレンに聞いてみる。
ヒヒイロカネはアポイタカラ以上に稀少な鉱物のはずだ。この大きさでも金貨1枚、いや、2枚を超える可能性もある。
「貸しがあったからね」
ヘレンは今度はニヤリと笑った。ヒヒイロカネを分捕れる貸しって結構デカいと思うんだが、それを土産に使って良かったんだろうか。
そこそこの期間都に行ってたし、貸し借りの精算もしてきたのかも知れない。
その辺を追及することは出来るが、本人が語らないのに聞くのもなんなので、
「ありがとうな」
とだけ言っておく。その返事は、少し照れた顔と、
「お、おう」
という少ない言葉だった。
ヒヒイロカネはこの量だと何かの製品にするのはちょいと難しそうだ。何かとの合金にするのもアリかも知れないが、この量を混ぜて製品に仕立てるよりは加工の練習台にしたほうが良さそうに思える。
メギスチウムがああだったし、もし何か特殊な手順を踏む必要があるのなら早めに知っておきたいしな。
「こいつってこの状態で魔力はこもってるのかな」
「見ましょうか」
俺の漏らした言葉にリディが反応した。専門家の出番である。
「うーん、赤い魔宝石みたいに若干揺らめいていてわかりにくいですが、余りこもってないようですね」
「だとすると、加工するならその方法を探るところからか」
今度はリケが瞳を輝かせながら言う。
「メギスチウムみたいにですね!」
「そうだな」
俺が返事をすると、リケは満足そうに頷いた。今は無理でも、このままうちで修練を積めば、そのうちどんな鉱物でも加工できるドワーフの職人が誕生してしまうのではなかろうか。
そこまで世界に影響を及ぼすような人間(ドワーフだけど)を輩出してしまっていいものだろうか。かと言ってリケに「これ以上は教えることはないから、今すぐ出ていけ」ってわけにもいかんしな。
今後アダマンタイトなり、オリハルコンなりが入手できるくらいまでにはどうすべきか、俺なりの答えを考えとくか。
その後、ヒヒイロカネはみんなの手から手へと回っていく。見る機会なんてほとんどなかっただろう品だ。いや、アンネは別か。彼女は見ようと思えば見られる可能性はかなり高い。
それでも全員が興味深そうに見ている。宝石と言うには少し劣るが、鑑賞するのにも堪える感じだ。前の世界でビスマス結晶を見ている感覚に近い。
そして話はこれをどうしようかという話にうつっていく。なにかに加工する派としばらくはしまっておく派に分かれるかなと思っていたが、満場一致でしばらく神棚に供えておくことになった。
「なんとなくそうするのが自然なように思った」と口を揃えて言っていた。毎朝の拝礼で感化されてしまっただろうか。嬉しさ半分、思いがけず文化侵略のようなことになって焦り半分である。
加工の練習をするときだけ神棚からおろすことになる。まぁ、赤く輝く鉱石ってなんとなくありがたい感じもするから、みんなの言うこともわからんではない。
こうして、翌朝からは女神像とヒヒイロカネが神棚に並ぶことになった。……ここの間での喧嘩とかないよな?
昼には聞きそびれた、都の情勢の話も少しした。今は特に大きな戦や討伐なんかはないらしい。だから余計にマリウスの結婚話が広まりやすかったのだろう。
侯爵は何らかの理由で結婚話を広めたくて、このタイミングを狙っていたのかも知れない。それを確認する機会はないだろうが。あってもちょっと困る。俺はなるべく一介の鍛冶屋でいたい。
他のきな臭い話も特にはないようだった。例の帝国との手打ちの件も粛々と進み、貴族であるとは言ってもそんなに身分が高いわけでもないので、そう大きな話にはならなかったようだ。
「平和なんだなぁ」
「だから昼にそう言ったろ。まぁ、そのおかげで暇してたのが多かったから、思ったより早く戻ってこれたんだけど」
俺がのんびりと漏らした感想に、ヘレンが口を尖らせた。平穏だと傭兵の仕事は減ることが避けられない。それこそ仕事を変えられれば別だが、そうでなければ困ったことになるのもいるだろう。そんな状況は、ヘレンにとっては喜んでいいやら悪いやら複雑だっただろうな。
しかし、商人たちほどではないにせよ、それなりにあちこちに潜り込むことが多い傭兵達でもきな臭い話を聞かない、のは本当に平和なのか、あるいは……
「アタイ達でもわからないような何かが起こってないことを祈ってるよ」
ヘレンの言葉に、俺たち全員――ディアナは特に大きく――頷いた。




