人質
「私が……ですか?」
アンネは困惑を隠せないでいる。当たり前だ。ようやく帰れると思ったら、残れと言われたのだから。俺もかろうじて自分の表情を動かさないようにするので精一杯だ。
しかし、皇帝直々の命令を覆すことが出来る帝国の人間はいない。それは例え皇女でもだ。つまり、わざわざ皇帝陛下御自身がお出ましになったのは、それが目的とみてよさそうだ。
もう少し相手の身分が低ければ手紙か何かでその旨を書いておいても構わなかったのではと思うが、皇女相手にそれでは具合が悪いという事か。あるいは単に娘には直接言いたいだけだったのか。
皇帝は厳かな声で言った。
「うむ。それも此度の講和の条件に含まれておるゆえな」
要はアンネは王国の人質のままと言うわけだ。アンネはそれで一応の納得はしたようだった。心の奥底ではどうなのかわからないが。
「よろしいでしょうか」
俺は助け舟を出すべく、口を開いた。細面が俺をたしなめようとしたのか、少し腰を浮かせたが、皇帝がそれを手で遮った。
「よい。申せ」
「ではおそれながら。そも、なにゆえ条件として合意なされたのでしょうか。アンネマリー様を王国に置いておかねばならぬ理由が、浅学非才のこの身では分かりませぬ」
「ふむ」
俺の言葉に皇帝の目がスッと細められる。こういうとこはアンネと親子で似てるんだな……。アンネは俯いていて、表情はよく分からない。
「簡潔に言えば、此度起きた一連の話はこちらに非がある。公の場では言えぬが、余はそう認識しておる。その上で今回の計画、そちら側が裏切ろうとも関係はない。傍目には現状のまま変わりないからな。せいぜいが小競り合いが起きた程度の認識であろう」
皇帝はそこで一旦言葉を区切った。少し時間を置いたのは反駁がないかの確認と、俺が理解しているかの見極めだろう。誰も何も言わないと見てとって、皇帝は続けた。
「だが、こちらが裏切った場合はそちらは移住者がいる土地を失うことになる。無論だが、積極的に裏切らずとも結果的にそうなってしまうこともあろうな。いずれかが生き延びてしまえばそうなるのだから。しかし、それは避けたい」
「なるほど。分かりました」
そのための人質としては少し身分が高すぎるような気もするが、ごく内密に差し出すなら他にいないのも確かだろう。誰か臣下から出させるなら、事情を話さないわけにもいかんだろうし。
「それでだな、エイゾウ」
今度は侯爵が口を開いた。この後の展開が見えてきて、俺がこの場に同席させられている理由も察しつつはある。抵抗しても無駄だろうな……。なによりも理由に俺が納得してしまう。
「皇女殿下を預かるにあたって、王国で一番安全なところはどこかと考えたのだ」
「うちでしょうね」
俺は即答した。それだけは間違いなくそうだと言える。狼や熊、猪がウロウロしていて家には人避けの魔法もかかっている。
なんだかホイホイ到達されているようにも感じるが、そもそも場所を知っているのは限られた人間だし、知るにはある程度の実力があると思われていないと無理だから、そもそも来る時点でそれなりの条件はクリアしてしまっているだけ、と言う話だ。
「うむ。頼めるか」
ここで俺が断ったとして、アンネが腫れ物に触るようにあちこちをたらい回しにされるのは目に見えている。敵に近いような関係性だったのに、自分でも甘いとは思うが、ここまでで俺の答えは決まっていた。
「分かりました。お引き受けいたします」
「そうか。ある程度の援助はできるから、困ったことがあれば申すがよい」
「いえ、お守りするのであれば、どちらからも援助はいただかずに私共だけでやっていきます」
侯爵の申し出は固辞しておいた。援助の名目で紐がつくのは避けたい。帝国にとってはアンネを紐にするつもりなら、それもどこかで断ち切ってやろう。
ニヤリ、と笑う皇帝の目線をどうにか受け流しつつ、俺は内心でそう決意した。