皇女様のお帰り
俺から手紙を受け取ったアンネは客間へ引っ込んでいった。
「俺も寝るか……」
それなりに時間は取ってしまったので、今から寝ても大して眠れないかも知れない。
しかし、「寝られる時には1時間でも寝ておけ」というのが、前の世界で俺の得た教訓の1つである。俺は自室の扉を開けようとした。
扉に手をかけた俺は、気配を感じて一旦手を止める。家族たちの部屋に続く廊下。そこに人影がある。
「すまん、起こしちゃったか?」
「いえ」
小さな声でそう答えると、彼女はそっとこちらに近づいてきた。
「もしかして聞いてたか?」
「はい」
彼女は言葉少なに答える。彼女はどう思っただろう。聞くべきか迷っていると、答えは彼女の方から出てきた。
「エイゾウさんは、ここを離れる気がないのですね」
「そうだな。せっかく流れ着いた家だしなぁ」
か細い声。彼女の特徴ではある。あまり賑やかに話す方ではないのも相まって、普段はあまり表に出てくることはないが、実のところ彼女も大人しいわけではない。
「もし私が、一緒にエルフの森で暮らしましょうと言っても?」
「……そうだな。それはとても魅力的な提案だけどな」
「本当に?」
「それもいいかもなと考えるくらいにはな」
俺が少し困った顔でそう言うと、彼女――リディは俺の胸に手を当てた。そこだけ手の形に切り取ったかのように温かい。
「ふふ、少し意地悪をしました。私にとってもここは家ですし、皆さんは家族なので。おやすみなさい」
ふんわりと微笑むと、彼女は自分の部屋へ戻っていった。俺はガシガシと頭をかいて、自室の扉に手をかける。そして、ふと気づく。
「もしかして、なんかあったときのために控えててくれたのか?」
俺はひとりごちたが、もちろん答えはない。雨のせいか、森の匂いが鼻をくすぐったような気がした。
翌朝、雨の様子を窺うと今日はかなりマシになっている。前の世界で言えば「傘をさすべきかどうか少し迷うくらい」だ。
これならアンネを帰すのにも不都合はないだろう。水汲みも行けそうだ。
クルルとルーシーのいる小屋へ行くと、2人とも大はしゃぎだった。昨日はかまってやれなかったからなぁ。雨の中にはなるけど、アンネのお見送りには2人共連れて行くか。
一緒に湖へ行って水を汲んで戻ってくる。雨が降ってないわけではないので、多少は濡れたが、一昨日と比べれば全然マシだ。軽く拭いて「また後でな」と言うと、
「クルルルルルル」
「わんわん!」
とやたらご機嫌だった。うちの娘さんたちは元気だな……。
朝食のとき、アンネに見送る話をする。
「それじゃ、朝食を終えたら森の入口まで案内しますので」
「はい。お願いします」
「みんなも行くか?」
聞いてみると、全員付いてくるという話である。じゃ、工房一家総出だな。
朝食を終えて、全員雨のときの旅装――といっても街に行くときの格好に外套を余分に着込むくらいだが――をして、表に出る。
アンネは背中にあのデカい両手剣を背負っていた。俺たちもそれぞれに武器は携えている。雨だと狼たちなんかは引っ込んでいるはずだが、こっちに来てすぐくらいの頃の大黒熊みたいに、うろつくやつがいないわけでもないからな。
表にはクルルとルーシーが待っていて、はしゃぎまわるルーシーをディアナがなだめながら、全員で一緒に連れ立って歩きはじめた。