皇帝陛下への手紙
自室から筆記用具を持って居間に戻ってきた俺は紙を広げた。薄い植物繊維の紙だが、詳しい材質は知らない。端が断ち切られておらず、どこか荒々しい感じがした。
「さて、どう書きますかね」
「我々からの要求は『必要以上に王国に肩入れしないこと』が最低ですね」
「肩入れしていると思われるのは私としても不本意ですので、それ自体には異論ないですが、友人たちに累が及ぶようであればその限りではないですよ」
「それで構わないと思います」
帝国としては「王国に特注モデルと同じ品質のものをバンバン供給してやるぞ」ってならなければ、当面の脅威は回避できている、ということなんだろう。
同意が得られたので、その旨を紙に書き付けていく。
「字、お上手なんですね」
「そうですか?」
「ええ」
この世界で文書なんてものは、ほとんど目にしてないからなぁ。看板なんかはよく見るが、文字が入っていないものも多い。なのでどれくらい綺麗な字を書けているのかはよくわからないのだ。
「魔法が使えて、綺麗な字が書ける。これだけの教育を受けていて、素性が何一つ分からないのは不思議ですね」
アンネのタレ目がスッと細められる。タレ目なのに獲物を狙う猛禽類がその獲物の位置を確認しているかのようにも思えた。
「そこは色々と事情がありましてね。そんなのがほぼ隠遁生活で鍛冶屋なんてしている時点である程度ご想像はなさってるでしょうが」
「ええ、それはまぁそうですけど」
相当に高度な教育を受けている、ということはそれなりの家格の出であることが想定できる。それならば普通は隠そうとしても隠しきれないものだ。たとえ10人兄弟の末っ子であったとしても。
ヘレンのように生まれてすぐどこか庶民の家にでも出されたなら分からなくなるかもしれないが、魔法が使えるほどの教育を受けている時点で、ある程度の年齢までは貴族の家の子として育っているはずなのである。
貴族の家から貴族の家に出されたとて、出された先の家がどこかはわかる。そもそもこの世界の生まれでない、なんて想定は神様でもなければできはすまい。
その辺を探られて真実を告げても全く意味がないので、
「とにかく続きを仕上げちゃいましょう。えーと、招聘のお断りですけど、皇帝陛下は先にお礼なんかを書いておいたほうが良いタイプの方ですかね」
「いえ、父上はあんまり気にしないと思いますよ。美辞麗句のたぐいを好まない方なので」
「なるほど」
じゃあ、シンプルに「腕を買ってくれるのは良いけど、友人もこっちにいるし、行くのは無理っす」ってのを、失礼にならない程度に修辞して書くか。
「あとは……」
ペンの尻を顎につけて考える。外交文書などではなく、あくまで個人の私信ではあるのだが、これで言質にはなるからな。
「ああ、そうだ」
俺は最後に「もしうちに直接お一人でお越しになるなら、その時は条件に合致するのでご注文の品を作りますよ」と(無論、失礼にあたらないような言葉でだが)書いておいた。
「ふう、内容はこれくらいですかね」
俺はペンを食卓に置いて手紙を見返した。書き漏らしや余計なことを書いてしまっていないかのチェックだ。
その最中、ふとあることに気がついた。
「よくよく考えたら、一介の鍛冶屋が帝国の皇帝陛下に手紙を皇女に託して送りつけるって相当ヤバいのでは……?」
「大丈夫ですよ。あなたを籠絡できていたら別でしたが、これも目的の1つですからね。今回、私は基本的には伝令です」
「それでは」
俺はインクが乾燥するのを待ってから、くるくると紙を巻いてアンネさんに渡した。手紙なので宛名と自分の名前は書いたが、その他の証明するようなものは一切入れていない。
もしこの手紙で何かとんでもない問題があった時に、お互いにしらばっくれる事ができるからだ。そこは互いに信用するしかない。
「ありがとうございます」
アンネはあの目をスッと細めるのとは違い、普通にニッコリと笑って、俺の手紙を受け取った。