0-1 未亡人――丸投げ
内容を圧縮、口調調整……2019/01/29
しばらくの間、『感触』にまつわる記憶を辿り続けた。
その機能は、対象を意識するだけで、あらゆる量的変化や差を捉えるという、埒外なモノであった。
ここまでのリサーチ内容を『上司』に送りつつ、さらに記憶の連鎖を辿ってみたところ、随分と時間が跳んでいた。
いや、これは現在か。
卓上の年月日付きの時計は、現在の日時を示している。
「懐かしい……」
彼女が、記録媒体に触れている。
昔のドライブレコーダーから、生記録の『感触』をデコードし、先程の光景を思い出している。
記録は欠損無く生きており、記憶は鮮明。
しかし、主は既に他界している。
良く知る彼女の持つ、虚ろな空気を纏っている。
日付時刻も、記録の音色も、何もかもはっきりと感じ取ることができるようで、随分と詳細なイメージが脳裏に浮かんでいる。
半世紀以上の歳月を経ても、ミリ秒も、1バイトも欠けていない。
全ての情報が生きている。
「……まだ、生きてる」
埒外な機能を持った、少女な老婆。
見た目に反して、身体機能に不具合がある彼女の腰は曲がり、目は落ち窪んでいる。
「……生きてる」
小さな彼女には大きすぎるサイズのマキシ丈ワンピースを重ね着して、リクライニングチェアと一体化。
ネットに繋げた意識で、並列読書。木の実の購入発送手続き。
夕焼けの街道を全裸アバターで疾走するジャンクゲームで散歩。
加えて、現実の右手でインド産カシューナッツを掴み、口の中に放り込む。
そして、左手は記録媒体イジリ。
情報を扱う事に関して、彼女の優秀さは現役。中身は炎症だらけ、手足は震え続けるというのに、意識と思考は鮮明。
特に、構造の把握や情報の解析速度は、年を経れば経るほど成長している。
――終わり、来ない……終わり、見えない。
断続的な、朝昼晩の違いも曖昧な、食事とも呼べない摂取。
暮れない夕焼け。
淡々と歩く。
街道はどこまでも直線。経路も、手段も選べない。
どこかに連れて行ってくれる者も、もう居ない。
次第に摂取、散歩、読書のスピードは落ちてゆく。
夕暮れの鮮やかなオレンジが、アバターを通して目にしみるのか、前を向くのをやめてしまう。
視線の落ちた先に、一冊の、百科事典よりさらに一回り大きな本。
バーチャル読書に、外面の立体映像などないはずだが、散歩も読書も入り混じった意識には、さして違和感無く映ったのか、特に驚く様子も無い。
それは、夕焼けに照らされてか、明る過ぎるオレンジレンダリングで、本来の色彩は分からない。
そっと開く。
『やっと、見つけてくれたねぇ。これは、神様になるための本だよ。とある惑星系の管理者になるための、知識と手段を提供するよ――』
「トラップ……?」
アバターも肉体も、全身を硬くして、動きを止める。
並列思考も全て放り出し、状況の把握にのみ、意識を集中する。
そして、そっと本を閉じた。
意識を本の表紙に向けながら、周囲の変化の『感触』を、アバターから伝わる変動を警戒しながら、仕様上は許されない後ろ歩きで、街道を後退する。
――出来ないことが出来るのも、その逆も慣れてる……大丈夫。大丈夫だけど……。
完全な把握には届かないらしい。
しかし、意識の底には過剰な何かに触れたであろう確信。
彼女にとっては、過剰である事全てが恐怖。
――過剰は苦しい……過ぎた人……過ぎた体……苦しい……苦しいのは、もうイヤ……。
「なんなんだよ……」
主の口癖を呟くのは、救いを求めているのかもしれない。
平常の、中庸の、バランスの、調和のルーチン。
過ぎた物を、平穏な日常に収めておくための合言葉。
「やあ。なんなんだよって言われても、ニートっていうの? や、私の事じゃなくて、君の事だけど。そのニートな君の、就職斡旋……かねぇ」
どうやら『上司』が直接勧誘――拉致しに来てしまったようだ。混乱の中で犯行に及ぶのなら、確かに適切なタイミングであろう。
――なんなんだよ……。
「誰なんだよ……いえ、すみません、取り乱しました」
「…………」
彼女の思考が急加速してゆくのを感じるが、癒着が酷く、読み取る事は難しい。
「……失礼ですが、誰? どちら様でしょうか? あ、すみません……怖いです。すみません」
「うん。チグハグだねぇ……むしろ、こっちがなんなんだよって言いたいよ」
「緊張と……癖です。キニシナイで」
「……今、凄い勢いでピーナッツ食べてる君が見えてるよ……緊張しているようには見えないねぇ」
彼女と同じく『感触』から様々な情報を解析できるこの『上司』は、彼女が何をして何を考えているのか、把握できているようだ。
「カシューナッツです。あと、凄い勢いじゃないです。ちゃんと味わってます」
「うん。凄い集中力を感じるよ」
「……えっと、それで……誰ですか? この本は、トラップですか?」
「うん……逃げ腰な理由は分かったけど、なんで意識の一部は、そんなに自由なのかねぇ」
「ん……体が不自由だから……心は自由に……」
「……今、公開ネットワークで絶叫してるのは君かな? ヤバイ奴に会ったって、私の事かな?」
「心の叫びです」
「……アバターだけ真顔にされても、リアルでリラックスし始めてるの知ってるからねぇ」
「ごめんなさい。許して下さい。苦しいのとかイヤです」
「うん……そんな事しないけど……」
同じ、思考を読む機能を持ちながらも、理解できない部分はあるようだ。
「すみませんが……よろしければ目的の方をお伺いしたいのですが、どう見ても人間のヒトではいらっしゃいませんよね?」
「…………」
「……っていうか、個人的な感触……感覚?で見ると生き物じゃない……みたいな……違ってたらすみません」
「や、私は生き物だよ。そうだねぇ、この空間の、外の外の外で生まれた、一応人間っぽいヤツ……かねぇ」
日本語に慣れていないのか、彼女の口調を真似しようとしているのか。
「えっと……この空間の外がリアルで、その外が――」
「家の外じゃなくて、宇宙の方だよ?」
「ん……」
姿を見せて安心感を稼ぎたいのか、本からぼんやりと『上司』と思われる立体映像が浮かび上がり、それが続けて答え始める。
「うん。それを君の言葉で言い換えると……シャーレの外側……かねぇ?」
「ん……すみませんが……帰ってもらって良いですか?」
自分がどのように見られるか、中途半端に頓着しない部分は、実に彼女に似ている。
「や、ごめん。ちょっと待って。いきなり会いに来た私も悪いけど……」
「それ、アバターじゃないですよね? 実物を映してるなら、かなり私に似てませんか?」
似ている、というよりも、髪の長さがいくらか短い事と、顔つきが健康的な事以外は、完全に彼女の鏡写し。
しかし、これが本来の姿なのか、作り変えた実物なのかは分からない。
「うん。一緒だからねぇ」
「…………」
「昔、近い感じのヒト種だからイケるかと思って、こっそり色々変える小さな機械を混ぜたんだけど……そしたらねぇ、結構時間経っても、上手くできたのが君だけだったんだよ」
「んー……やっぱ、帰って欲しいかも……」
私の知る限りでは、この『上司』は地球において、一切何も権限を持たないはず。
だというのに、なんとなく思いつきで実験していたらしい。
「ごめん、待って、お願い……いくつか星を、というか凄く小さなシャーレを一個、管理……というか研究してもらいたくて。たぶん、君なら楽しめるはずだよ」
「中に、知能持った生き物、居ます?」
「うん」
「無理ですね。私なんかに管理される生き物もキツイと思うし」
中身が疲れ果て、老成しかけている彼女に対するアプローチとしては、ダイレクト過ぎるであろう。
「……楽しいよ?」
「楽をしたいからとか、面倒だから丸投げとか、そんな感触がはっきり見えます」
「や、そんな事無いよ? 最初は、ほんのちょっとしか任せないし……っていうか君、暇でしょ? ニートでしょ?」
「…………」
『最初はほんのちょっと』などと発言してしまっている時点で、安直な詐欺の手口を想起させる。
というか、この『上司』は彼女に喧嘩でも売っているのであろうか。
ことごとく直線的な物言いであるが、そのような語り口もまた彼女に良く似ている。
「ごめん……本当は伝えない予定だったけど、やる気出して欲しいからねぇ」
「……?」
「アルジが居るよ」
「……会わせてくれるってこと?」
どういう事か、イマイチ分からない。
ソレが可能な理由は分かる。しかし、何か違和感を感じる。
「というか、絶対に会っちゃうからねぇ。あと悪いけど、拒否されてもこのままにはしておけないからねぇ」
「やる。やります。行きましょう」
強制である事も、隠す気は無いようだ。
迂遠に本を使って気を引こうとしたのは、ごまかしというよりただの演出であったらしい。
「うん。それじゃ送るよ。はいコレ、データここに入れておくから……じゃ、よろしくねぇ」
空間を構成するデータ量が、いくらか膨れ上がってゆく。
この空間自体に、おそらく『感触』を使えば読み取る事ができる形で、データを流し込んだのであろう。
「あ、待って……あなたへの連絡手段は?」
ここに来て初めて、純粋な焦りを感じる。
用が済むなり対応が一気に粗雑になった事に、彼女も危機感を感じたようだ。
「連絡手段は……無いよ。その代わり、自由にやっていいから。あとは、まぁ、いいかな……じゃ、またねぇ」
いつでも連絡ができてしまうと逃げられると考えたのか、『上司』は手早く去る事にしたようだ。
「……ん? ナニコレ?」
アバターの姿が、現実の姿と混じる。
全裸であった体を、黒いローブ状の衣服が包んでゆく。
動きも、アバターの整い過ぎた不自然さが消え、自然なゆらぎを持ち始める。
そして、自らに酷似し過ぎた姿の『上司』も消える。
「……嘘は、無かったかも。でも……」
嘘やごまかしの程度を『感触』で考察しながら、信憑性などを測ってはいるようで、苦笑いと共に呟きを漏らす。
その様子は、どこか投げやりな雰囲気を漂わせていた。