0-0 記憶――思い出
【概略】
盗撮対象――『彼女』がいつからか持つようになった、様々な量的変化、差を感じとる『感触』というセンサー機能が進化。
平均、中庸、日常を貴ぶ『アルジ』による平坦なスルー。
圧縮、文体修正……2019/01/09
彼女の現在を覗く前に、一つ気になる事がある。かつて彼女自身が語り聞かせてくれた、汎用性が高く、扱い難いセンサー機能。
半世紀ほど前、それに強く関連する出来事が起きていたようだ。
「今度の日曜、これ行ってみようか……おーい……聞いてないな……おい、そこのニート」
対象の主人にあたる人物。
この時代のこの世界、この星のこの日本において、住まう者の平均を取るなら、このような姿であろうか。
「……違うよ。アンチソーシャルエンジニアだよ」
返す彼女が、約半世紀前の対象人物。
『今も昔も』見た目は変わらない。
印象を一言で表すなら、黒くて薄くて小さな少女。
「なにその住所不定無職の自称なんとか」
会話の主題が不明瞭だが、二人が見ているのはスパリゾートの広告。
「ん、来月から復帰する」
「……で、行くのか行かねーのか、どっちだよ」
「行く」
「ちゃんと朝起きろよ?」
まるで、子供に言い聞かせるような口ぶりだが、お互いにそれを心地良く感じているのであろう。その空気は、柔らかく暖かい。
「アルジが起こしてくれる」
「置いてくぞ?」
「にゃー」
「にゃー、じゃねーよ」
私の知る彼女いわく『意味が無いモノ』には尊い価値があるらしい。
少し時間を進めよう。
この辺りか。
「――ほら、ついたよ」
「ん……」
ここは、例のスパであろうか。
駐車場から施設内へと向かう。
受付を過ぎると、それぞれが目をつけていた風呂場に分かれて行く。
彼女が選んだのは、薄暗い浴室エリアを囲むスクリーンに、各地の風光明媚な景観を映し出す、というもの。
籠りがちな彼女にとって、新鮮な外の世界を雰囲気だけでも感じる事ができるのは、それなりに魅力的なのであろう。
脱衣所で、重ね着した黒ワンピースを脱ぐと、畳みもせずにロッカーに放り込み、足早に浴室を覗き込む。
――ん、なんか変な『感触』……でも、悪くないかも。
手早く洗浄を済ませ、耐水コンクリートの大浴槽に身を沈める。
その最中、突然ふらついて、脚を絡れさせるようにバランスを崩す。
――痛っ……あ、コレ……ヤバイ。
大浴槽の縁に、手を伸ばしながらも微妙に届かず、足下も覚束ないその様子は、入浴というより水難。
周囲の入浴客から、困惑の視線を浴びている。
施設情報を調べたところ、なぜか多くの湯が『電気風呂仕様』という、変わったコンセプトがあるらしい。
しかし、ペースメーカーが必要な場合などを除いて、害のあるものでは無い。
とはいえ、それ以外に理由になりそうな要素は、施設そのものには見当たらない。
「あ、すみませ……んひっ……ひひっ」
異分子的な意味でユニークな反応。
おそらく、これが彼女の特殊なセンサー機能、『感触』の持つ不具合であろう。
その『感触』というのは、非常に表現が困難な物で――、
「周囲の電磁場の変化みたいなのが、いろんな感触で伝わってくるっぽい気がする」
という曖昧なもの。
いつからか、ある程度は慣れで無視できるようになったらしい。
しかし、できるだけ『嫌な感じがしないモノ』の近くで暮らすようになったらしい。
そして今、全身が激しい『感触』に包まれるという、ケアレスミス。
スクリーンに投影された美しい光彩との対比が、異常さを際立たせる。
「ん……ちょっとキモチイイかも……」
薄く笑顔を浮かべ、痙攣しながら、ゆっくりと水没してゆく彼女の思考が伝わってくる。
――かなり……キテる……今なら頭の中とか、読めるかも。
いや、人の脳の信号が把握できたとして、それをマトモな言語やイメージに変換できるなど、考え難い。
――キタコレ。
ニヤリと口角を歪める。
――アルジに知らせよう……これは……キテる!
おそらく『感触』とは違う理由で、全身を細かく痙攣させながら立ち上がる。
――――
「――早かったな」
「ちょー探した」
「……なんかあった?」
「大変な事が発覚したよ」
足早に迫る。
「……近い近い。ウザい」
「人の頭の中、分かるようになった……」
その言い方では、誰も信じないであろう。
「……壊れたか」
「進化した」
「…………」
「神になった」
「いや、だから近い……なんなんだよ……」
「主さま……」
「なんなんだよ……」
「ありがとうございます。いつも感謝でいっぱいです」
中略。
脈絡の無い話を挟みながら、冷静な判断力を奪い、新機能の有用性を畳み掛け、スルーされ続け、帰途につく。
「――って感じで、何考えてるか分かるんだよ」
「へぇ、凄いな」
「…………」
実際、そこそこの的中率である事が明らかになったものの、変わらない反応。
淡々と夕暮れに染まる、軽自動車から眺める景色。
彼女らにとっては、いつも通りに特別で、いつも通りになんでもない、穏やかで鮮やかな日常でしかなかったようだ。