3-38 水やりと水だるま――苦痛の薄いうっかりと無欲恬淡
ありがとうございます。
身分証の発行手続きも終わり、黒い神の座学も終え、チーズさん達と食事を摂って就寝。
ちなみに、献立は白い神のポトフ。
ただ、ポトフと言っても見た目だけで、地球には該当しそうな料理名は無い。
大まかに表現すると、溶けないモッツァレラチーズと白ネギ、白い鳥もも肉などの具材を、コンソメ風調味料と、例えようのないコクのあるスープで煮込んだ真っ白い鍋物。
ツノ爺さんのみ味覚の違いが大きいため、専用の鍋が用意されていたが、得られた幸福感はさほど変わらないであろう。
翌朝、ニャマコベッドで白い神にしがみついた赤黒親子を、能力で緩やかに覚醒させつつ、周囲の景色を観察。
小屋の周りには、良く手入れされた芝生と花壇。
裏手には、小さな湧泉がある。
その泉の上では、ツノ爺さんが穏やかな微笑を浮かべて、ゆったりとした動作で玉転がしをしている。
これは比喩ではなく、文字通り水の上に立ち、水の玉を転がしている。
「……? あぁ、マロリー様。おはようございます」
「おはよう」
転がる水球は良くたわむ。
どうやら、液体の水と空気をソフトマター状に結合した球体を転がし、雪だるまのように、付着した水を少しずつ結合しているようだ。
黒い神も気になったのか、寝ぼけ眼で近づいて来る。
「……ナニソレ、ちょー楽しそう」
「これですか? これは、草木の水やりに使う水の玉です」
「外側だけ硬い感じ?」
「そうですね。転がして大きくしながら、中を少しずつ柔らかくしています。こうすると張りが出て、転がしやすくなるんですよ」
「ん、私もやってみる」
ツノ爺さんと並んで、こぶし大の水球を転がし始める。
しばらくして、膝丈ほどにまで至ると、小さく破れるような音。
「あ……」
連鎖的に、ひび割れるように裂け目が拡大してゆく。
萎む水球。
「中身が膨張し過ぎだにゃ」
「慣れるまで、ちぃと硬くしちょったらやりやすいけぇ」
「うん。私もやってみようかねぇ」
いつのまにか、皆が集まっている。
私も、邪魔にならないように隅の方で、泉の水を追加しながら試してみよう。
小屋の窓が開く。
「皆さん! おはようございます! あ……」
窓の縁に体を引っ掛けたチーズさんが、地面に転がる。
「おはようー……ん? なんだろ? チーズさんがおっきく見えるような……」
黒い神が、眠そうな目を何度か強くつむり、チーズさんを見つめる。
いや、見間違いではなく、明らかに大きくなっている。
手乗りサイズから、大型犬サイズほどに膨らんでいる。
「……シロ様の料理が美味しくて、つい、残りを全部食べてしまって……」
「でぶっちゃったの?」
「はい。少しでぶりました」
この膨張度合いは少しとは言い難いが、実質、上限サイズが存在しないマリモ種の主観では、些細な違いかもしれない。
「こんなもんかねぇ……うん。チーズさん、ちょっとイイかな?」
「はい」
「コレの、ちょうど真ん中に乗ってもらえる?」
「……こうですか?」
赤い神が転がしていた水球に、チーズさんが乗る。
雪だるまであろうか。
「うん。そのままの体勢で……ちょっとだけ、あっちに向かって触手を伸ばしてくれるかな?」
空に向かって、腕を伸ばす赤い神。
水球全体が、震え始める。
振動の波は、不自然に減衰が見られず、均一に揃っている。
「……こうですか?」
チーズさんが、示された方角に数センチだけ触手を伸ばす。
「伸びちょるけぇ」
水球からも、水の触手が伸びている。
チーズさんの触手と同じ方角に、数メートル伸びている。
「うん。どうかねぇ?」
「……あの……なんと言いますか……体が増えたような、不思議な感覚です……」
チーズさんが触手を上下左右に動かすと、それに合わせて水球の触手も連動する。
「ナニソレ。イイなー……」
「や、クロちゃんにはちょっと難しいかな? マリモ種だから簡単に出来るんだよ」
仕組みは良く分からないが、チーズさんの様子からすると、感覚がいくらか伝わるロボットアームのようなモノか。
「ふむ、ワシの中身に近いモノだにゃ」
「ニャマコ汁って事?」
「いや、ヒトが飲んでも水と変わらんし、マイコンの燃料にも使えんにゃ」
「うん。ニャマコ汁の劣化版だねぇ。でも、チーズさんの乗り物にはなるよ」
チーズさんが、水球を乱雑に跳ねさせて飛び回る。
次第に、複数の触手を使い、柔らかく安定した挙動で反復横跳びを始める。
「アカ様、これ……楽しいです! ありがとうございます!」
短足で、ちょこちょこ歩く、雪だるま。
どうやら、浮かぶような事はできないが、少ないエネルギーコストで跳ねて飛んだり、水の触手をバランス良く規則的に動かす事で、四足歩行に近い動きができるようだ。
「うん。――それじゃ、水やりを手伝ってから、のんびり街まで歩こうかねぇ?」
「うむ」
「チーズさんも、準備は大丈夫けぇ?」
「はい! 大丈夫です!」
地球人のジェスチャー知識か、水球の触手を真っ直ぐ斜め上に挙げる。
「あ、ちょっと待って――」
黒い神が、水球のサイズをツノ爺さんと合わせたいのか、強引に外側だけ拡大してから、上に開けた穴に水を注いで蓋をする。
その間、ツノ爺さんが小屋の壁沿いに置かれた箱から、灰褐色の固形物を取り出し、自分の水球に溶かして混ぜる。
固形物の主成分は、石灰窒素とカリ塩に地球にはない成分が結合された物。おそらく、植物の肥料であろう。
「ん、完成。おっけーだよ」
「うん。この玉を、どこかに運べばイイのかな?」
「ええ、ありがとうございます。あちらの、丘の上まで運びます」
道中、ツノ爺さんが軽々と水球を転がす横で、黒い神が腕を震えさせながら転がしていた。が、ただの筋トレであった。
ニャマコが薄く広がる事で、芝生をコーティングしながら、同時に水球を固め、強く粘着して負荷をかけていたらしい。
私の肉体強化の及ばない筋繊維を的確に攻めた、絶妙な負荷であった。
全員が丘の頂上に着くと、ツノ爺さんが水やりの方法を説明する。
「――このように少し整えながら、全体を固めます」
ツノ爺さんが水球にいくつか小さな穴を開け、バランスを見ながら固め直す。
「はーい」
「では、クロ様はこちらの凹みに玉を……はい。アカ様はあちらで……マロリー様はあちらに――」
凹みの先が、丘の下まで続く溝になっている。
「そのまま手を離すと、このように――」
ツノ爺さんが手を離すと、ゆっくりと水球が転がり出す。
「それぞれの道を通って、下の池まで転がります」
遠方には点々と、緩やかなすり鉢状の地形。
その中央には、それぞれ溜め池が見える。
「うん。それじゃ、皆で一緒に転がしてみよっか」
「ん、それじゃ……いくよー……3、2、1、はい」
一斉に転がり出した水球は、溝――レーンから射出されると、木々の間を抜けて行く。
良く見ると、細く舗装された経路があるようで、所々にある斜面で微調整されながら転がり続け、溜め池に着水。
「――はい。これで、朝の水やりは終わりです」
「ん? これだけでイイの?」
「ええ、奥の溜め池の水が増えれば、後はスライムが足りない場所に撒いてくれます」
「そっか……あ、そういえば、スライムってニャマコに似てるんだよね?」
「そうですね。ニャマコさんのように目や口はありませんが、形は似ているかと思います」
「ん、ちょっとキニナルかも……」
「うん。見に行ってみよっか」
ニャマコに似た善良なモンスターか。
参考にしたのか、それとも偶然なのか。
構造や機能も気になる。
チーズさんとツノ爺さんが、いくつか管理業務について再確認を行い、別れを告げる。
「――では、良い旅を」
「うん。チーズさんは借りてくよ。あと、ヤバちゃんの補佐役、よろしくねぇ」
「ん? ツノ爺さん、ヤバちゃんの補佐役になるの?」
「ええ、実は永眠する前に、ご提案は頂いておりまして……」
黒い神の感じ方に合わせているのか、まるで日本人のような照れ笑いを見せる。
「そのままになってたの?」
「はい。ぼんやりしていたら、うっかり永眠しておりました……」
「……そっか。うっかりなんだね……」
なんとも言えない表情を浮かべる黒い神。
その脳裏には、過剰な苦痛にさらされる地球人について思い浮かべている。
苦痛の薄い世界を羨む人は、多いであろう。
「うん。でも、こういうタイプの人が、ホントは管理者に向いてるんだよ」
「うむ。ヤバちゃんが補佐役に欲しがるのも、納得だにゃ」
浮世離れと言ったら良いのか。無欲恬淡で、色々と無頓着な気質は、確かに向いている気がする。
「そっか……」
「んだば、今度はうっかり永眠しねぇように、気ぃつけてなぁ」
「あはは……お恥ずかしい……」
穏やかで、無色透明な微笑を浮かべる。




