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鎮まりの水底 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と、内容についての記録の一編。


あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。

 この川もだいぶ、広く長いけれど、どうして一級河川ではなく二級河川なのか。知っているかい、つぶらやくん?

 ――基準を満たしていないから?

 うん、よくそんなことを言われているよね。幅とか長さとかが一定の基準に達していなければいけないと。確かに選定の条件としては、あながち間違いじゃない。

 けれども最終的な違いは、どこが指定したかによって決まるんだってさ。一級だったら国土交通大臣。二級だったら都道府県知事が指定しているのだとか。どちらの場合でも、人々の暮らしに大きな影響を与えるから、管理をしなくてはならない重要なもの、と位置付けられている。

 そして川の水を有効に使うために設けられるのが、ダムとか取水堰しゅすいせきだ。

 ここからも見えるだろう? あの取水堰も設けられてすでに数十年。長いこと僕たちの暮らしを支え、見守ってきている。

 そうなるとおかしな出来事だって起こるものだ。僕もそのうちのひとつに関わったことがある。ま、そこらへんの土手にでも腰を下ろして、話をしようか。


 僕が生まれた時から、すでにここの取水堰はあった。下流の生態系を維持するためだとか何とかで、時々、放水をしている姿を見る。

 けれどもまれに、取水堰から獣の雄たけびのような音が聞こえてくる、というウワサがあった。

 取水堰操作をするためのゲートはしっかり閉まっていたけれど、高さはせいぜい数メートル。人間でもその気になれば乗り越えることができそうな高さだった。

 野良犬でも入り込んだんじゃないか、と近所の人は話していたけれど、実際にその叫びの主の姿を、押さえられる人は現れなかった。おかげで取水堰自体が叫んでいるんだ、などと言いふらされて、「お化け取水堰」とささやかれるようになる始末。

 昔は取水堰の近くで、水の事故が絶えなかったとかいう、それっぽい話も後から付け足されて、ちょっとした心霊スポットじみたものになっていったねえ。

 だがもっと奇妙なことが、すぐ近くで起きているのを、僕は知ることになった。


 中学校二年生。休みの日にチャリを走らせるのが趣味だった僕は、サイクリングロードになっている河川敷で、思う存分疾走していた。

 片道およそ10キロ。川に沿って、ひたすら上流に向かって漕いでいくんだ。終点から更に数キロほど山の中へ足を運ぶと、県が管理をしているダムがあるんだけど、そこまで足を延ばしたことはない。気分によって、サイクリングロードをそのまま戻ったり、一般道に出て食べ物屋や古本屋を発掘しながらフラフラしたりと、気ままなことをさせてもらっていた。

 そんなある日。僕がサイクリングロードを往復して戻ってきて、ひょいと脇を見ると、土手を下りた先で、クラスメートの女子の一人が、川のふちでかがみこみながら、じっと水面を見つめているんだ。

 クラスの中でも可愛めの女子。普段から気安く話せる子の一人でもあった。つい、ちょっかいを出したくなっちゃったんだよねえ。僕はチャリにカギをかけて、そっと土手を下っていく。

 ストレートに声をかけようか、それとも「わっ」と後ろからサプライズした方がいいか、はたまた彼女が立ち上がるまでじっくり待つか……。

 色々と考えたけど、まとまらないうちに彼女は僕の気配に気づいたらしく、立ち上がりながらこちらを振り返る。

「「おっす」」と互いに声を掛け合って、「何してんの?」と突っ込んでみる。


「ん、まあちょっと」


 彼女の目が泳ぐ。それでも踏み込んで尋ねてみると、「笑わない?」と念を押してくる。「笑わない、笑わない」と請け合うと、彼女はそっと僕に告げた。

 川に映った映画を見ていた、と。


 どういうことだ。僕はいちおう流れに沿って、辺りを見回したが、大型モニターの類はない。

 左手側の上流には電車が通るための橋が小さく見え、下流にはこれまたおなじみの、「お化け取水堰」のゲートが、どっしりと構えているばかりだった。


「違う違う。水面に反射してるんじゃないの。水面自身に映っているの」

「……さっぱり意味がわからないんだが」

「ホントだって。私も気づいたのは最近なんだけど」


 ちょっと電波が入った子だったかあ、と思いながら頭をかきつつ、僕は彼女の話を聞く。


 一週間前。彼女が犬の散歩を頼まれて、川べりを歩いていた時のこと。ふと川に目を向けると、妙に色が変わっている箇所が見えた。

 はじめは、ゴミでも浮かんでいるのかな、と思ったらしいのだけど、その色はパッ、パッと目まぐるしく変わって、ちょっと不気味に思えたんだとか。でも、それ以上に好奇心が勝ったみたい。

 犬のリードを近くの木の幹に結び付けると、さっきと同じように川を覗き込んだんだ。

 そこには昔に見た、有名な洋画が映っていた。何本もハリウッド映画を手掛けてきた、そこそこ有名な監督の作品で、日本映画に多大な影響を受けたと、話していたことを覚えている。実際、映画の随所に、邦画のオマージュを取り込むことでも知られていた。

 川のせせらぎの下にあるらしく、映像の前を絶えず水の流れが横切るせいで見づらいが、映像そのものに乱れは存在せずにしっかりと映っていたらしい。

 テレビでも沈んでいるのかな、と彼女は長めの枝を、映像の真上から差し入れてみたけれど、川底に枝先が触れても、画面はまったく乱れなかった。

 不思議に思ったけど、いいかげんこちらをちらちらと見てくる、通行人の目が痛い。その時はさっと引き上げたとのこと。

 ちょうど遠くからは、例の取水堰が「く」声が聞こえてきたのだとか。


 自分以外に気づいた人が、どれだけいるか分からないけれど、彼女は今まで誰にも話さないまま、時間を見つけてはこっそり、水底みなそこ映像の様子をうかがっていたらしい。

 この一週間で分かったこととして、一日のうち、昼間のこの時間だけ映るということ。そして映し出されるのは、一週間を通して、一様に同じ映画だということ。

 週替わり放送とか、手を抜きすぎなんじゃないの? と僕は茶化したけど、彼女が口にした映画の名前を聞いた時、ちょっと首を傾げたね。

 彼女は昨日の土曜日の夜、テレビでやった映画をあげてきたんだ。僕もつい録画をしてしまうくらいには人気だ。わざわざそれの名前を出してくる、彼女の意図が分からない。


 そんな眉につばをつける僕の態度が、気に食わなかったのだろう。彼女は不機嫌そうにちょっと頬を膨らませて「じゃあ、一週間後の月曜日。学校帰りのおごり一食分、賭ける?」と、僕に挑んできた。

「お、かわいいじゃん、その顔」なんて、こっぱずかしくて口には出さなかったけど、僕は提案に乗った。すると彼女は、映画の名前を告げてきたんだ。

 来週の土曜日の映画放送。当たれば彼女の勝ち。外れれば僕の勝ちで、勝者にご飯をおごるという取り決めだ。僕としては、彼女と時間を共有できるという約束だけで、他の連中より一歩リードだぜ、くらいにしか考えていなかったけどね。

 結局は僕の負け。彼女がご飯を食べてニコニコ笑うのを、僕はドリンクバーを飲みつつ、気持ち悪がられない程度に、堪能させてもらったわけだけど。


 それをきっかけに僕たちはつきあい始めた……と、いかないのがこの現実。

 確かに以前よりも距離感が縮まって、学校でも言葉をかわす機会が増えたけど、あくまで友達としてだ。恋愛相手というよりは、ハムスターとかを愛でるような感じかなあ。

 相変わらず、彼女の映画予想は当たり続ける。僕はもはや疑うことはしなかったけど、あいにく時間と都合が合わなくて、その水底の映画に同席はできなかったんだ。彼女曰く、数回に一度、上映終わりに取水堰が、例の叫びをあげたとのこと。まるで接待のように感じられたって。

 ただ、放送していた映画に関しては、例の監督の作品が重なっていた。とても珍しいことで、放送局がひいきしているのか、圧力がかけられているのかと、邪推しちゃったけどね。

 

 けれども、ある日。彼女は奇妙なことを言い出した。

 つい先週の映画。川のものと結末が違うとのことだったんだ。詳しく話を聞いてみると、テレビでやったものは、最後に焼き尽くされた街の中で、ただ一人生き残った主人公が、まだ俺がいる限り戦い続ける、とカメラ目線でこぶしを振り上げて、宣戦布告をするラストシーンだった。

 対して、彼女が川で見たものは、復興を遂げた街の姿。そしてそのマンションの一室で、男が新しく作った家族に囲まれながらまぶたを閉じ、かつて先立って行った戦友たちの幻の中へ、若い姿に戻って加わっていく、というものだったんだ。

 彼女は首を傾げたけれど、映画に詳しかった僕は、ピンと来た。

 そのエンディングは、ディレクターズカット版。シリーズ化を見据えたのかプロデューサーに変更されてしまい、ビデオのみでリリースされたものだったはずだ。

 

 水底の映画は、未来予知じゃない。

 僕はもう一度、彼女が言い当てた映画たちの放送順をたどってみると、映画は古いものから新しいものへ、順番を乱すことなく続いていたんだ。そして、先週の映画は例の監督の最新作。数年前に公開をして以来、監督は映画製作に関して沈黙している……。

 その週から水底の映画は上映しなくなり、テレビの映画も別の監督のものへと変わってしまう。

 だが、数日後。僕が利用するサイクリングロードの先にあるダム。その底から一人の男の死体が上がる。腐乱具合から、長い間沈められていたと思われるその死体は、例の監督のものであると判明した。

 

 彼女が見たという映像。それはあの監督が死に際して残した、情熱のかけら。走馬燈だったのではないかと思う。

 取水堰が叫ぶのも、単に僕たちを脅かそうとするのではなくて、水に流れる命の香りを、誰かに感じ取って欲しいからなのかもしれないね。



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― 新着の感想 ―
[良い点] 最初、法則性の説明がつかないものの、テレビやビデオなんかが大量に不法投棄されているのかと安易に考えていたら、予想外のモノ(?)が……。 おお、だからこのタイトルなのですね! なるほど、すご…
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